ふたかさね

褪せる珊瑚(一)

 燦然と降り注ぐ陽光。

 白亜の壁を円形にくりぬいた門の手前に、藤が淡い紫色の豊満な花房を垂らしている。蜜蜂が遊覧し、甘い香りが漂う。

 十六歳だった。

 少年は、青年になりかかっていて、日に日に伸びてゆく手脚をもてあまし、いしゆみの矢のように、どこかへ放たれたくてうずうずしていた。

 石畳の庭で、そのとき彼はひとりさまよっていた。

 兄が妃候補たちをこの宮に招き、楽宴をひらくという。

 ここは――……亡き母が住まっていた宮だ。

 そこに、さんざめく若い女たちが大挙してやってくるというのは、彼にとって気に障ることだった。

 ――太子。

 太りじしで泰然とした兄の、自分を呼ぶ声が脳裏に響く。

 そなたも出席せよ。そなたの妃候補たちでもある。

 兄とは母が違う。十も年上の兄に、彼は越えがたい垣を感じていた。

 あなたの妃でしょう。わたしには関係ない。

 そう叫びたい気持ちが腹の底を焼き、しかし口をひらけぬまま彼は周囲の目をくらまし、木々のなかに逃げ込んた。

「うつくしい藤ですね」

 突然かけられた声に、彼ははっとして振り返った。

 門の向こうから、柳のようにしなやかな物腰の女性がゆっくりと歩み寄ってくる。

 ぎょくの下がる歩揺かんざしを挿した黒髪、そよ風にふわりと舞う銀糸の領巾ひれ。裳裾がさらさらと衣擦れの音を立てる。

 切れ上がったまなじりを持つそのひとは、困ったような微笑みを浮かべていた。

「……あなたは……」

 彼は思わず声を漏らした。見覚えのある顔だった。近郊の都市の貴族の娘。兄の二つ年下の、妃候補の筆頭だ。

「……わたくしをご存じですか」

 女はすこし驚いた顔をした。

「舟遊びの場で見たことがある。そなたは兄に気に入られているぞ」

「……」

 彼女の頬が一気に緩んだ。

「まあ。そうであれば、よいですが」

 白い指をからめ合わせ、ゆらゆらと身を揺らす。その小娘のようなしぐさに、彼は目を惹かれた。

「そなたは妃になりたいのか」

 女はふふ、と唇に笑みを載せた。

「妃の官位は面倒だと思いますが、陛下のおそばにいられればどんなに幸福かと、夢想してはいます」

 やわらかな声音に、少年は自分の衣の端を握りしめた。

 胸がつきつきと痛む。

 ――これはなんだ。

 彼は瞬間、おおきな力にからだごとたたき伏せられたような心地がした。

 胸の底に、ほんのわずかに滲もうとしていた熱は、とっさに厚い暗幕にくるまれて、地の底にうずめられた。

 ――隠せ。

 露わにしてはならない。

 露わにしたら、わたしは破滅する。

 空気に触れれば、その熱は発火して、わたしの身を燃やし尽くす。

 瞳は凝然と彼女のすがたを見つめる。

 彼女は少年を見ていない。

 これからも、この先も、彼を見ることはない。

 彼女は小娘ではなく、自分の思慕がどんなに確かかを知っている。それが、少年にはわかる。

 弩の矢のように解き放たれたら、どんなによかったか。

 少年はすでに、自分がぽきりと折られた矢であることを悟っていた。

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