第4話 木曜日 ~木曜日はわりと元気~

「そ、それでは地域の見回り行ってきます。」

ADHDの吉川は母親に教えられたとおり丁寧に挨拶をして課を退出した。看護婦さんとペアで地域の独り暮らしのお年寄りを訪問するのだ。

 「この季節は歩いていて気持ちいいから、

ちょっと回り道しない?」

珍しいことを看護婦井上さんが提案した。「そんなに気持ちいいかな?」と吉川は少し疑問に思ったが素直に従う。実はこの道は井上の通勤ルートで、この先に日赤の募金がある事を知っているのでわざと避けたのだ。

吉川は以前、NPOで募金活動をしていた。彼はその活動で世のため人のためになると信じていた。しかしそのNPOは暴力団が絡んでおり、募金は暴力団の元へ全額ピンハネされていたのだ。皮肉にも障害のある吉川は成績が良く、そのNPOでもてはやされ賞状までもらったのだ。だからこそ事が公になってからの吉川の落ち込みはひどく、誰もが見ていられなかった。そこで母親が別の事に目を向けて欲しいと主治医の推薦状も付けて都庁に応募したのだ。

「障害のある人を使って騙すなんて、許せない!」と井上は義憤に駆られる。

「井上さん、気分でも悪いの?」

吉川に顔を覗かれ井上は我に返った。いけない、気づかれてしまう。それにしても本当に吉川君は優しい。一般的にADHDの患者は優しく繊細で落ち込みやすい。だからこそ私が守ってあげなければ…。井上は看護婦の使命感に燃える。

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。「懲りない…。」井上は唖然とした。募金内容を変えてあのNPO団体が一つ向こうの道でまたやっていたのだ。吉川の顔を覗くと、もう遅かった。吉川は気がついていた。井上は意を決し、携帯から警察を呼ぼうとした。その手を吉川は止めた。

「だめだよ、井上さん。こ、これは僕が乗り越えるべき、か、課題なのだ。人に任せてばかりじゃいけないのだよ。誰だって傷つくよ。僕は極端かもしれない。でもママもお医者様も課長もいつか居なくなる。一人で頑張れるようにしなきゃ。だ、大丈夫。」

吉川はひょこひょこと飛び跳ねるように募金の集団へ近づいていった。顔見知りが数人いて、吉川に気がつき、ぎょっとして振り向いた。いつのまにかお互い対峙する形になっていた。

「み、みんな、だめだよ。」

吉川がどきどきしながら語りだす。するとざわつく集いの中から、一人髪型がわざとらしく整えられている男がおもむろにちかづいてきた。

「なんだね?」

一番会いたくない元締めのヤクザ上がりのNPO主催であった。さすがに眼光鋭い。

「こんなことしていたらバチが当たるってママが言ってい、いました。」

「なんのことかわからないな~ああ!」元締めは吉川をからかうように顔を覗き込む。目は笑ってない。

「だめなのですう~」吉川は体をガクガクさせて言った。あかん、完全に飲まれている。暴力は良くないが…しょうがない、と井上が空手の構えを整えようとすると、吉川は以前の仲間がまだやっているのをみて、前にふみだした。

「本当にいいの?そんなこ、ことばかりしていて、みんな本当はまずいって分かっているでしょう。真面目に働こうよ」

仲間のうち話好きの女性達がたまらなくなり吉川に向かう

「だってもうここしかないのよ。」

「あなたはいいわよ、居場所があって。」

「そうじゃない!」吉川は叫ぶ。

別のボランティア団体だっていいじゃないか。

最近はマックもロウドウカンキョー?だっけ?カイゼンされたと近所のおばさんがいっていたよ!僕あんな決まった通りに手早く動くなんて出来ない、途中で飛び跳ねちゃうし。みんな、出来ることいっぱいあるじゃないか。またやりなおせばいいのだよ。」

「そんなの無理。」

女性ボランティアがポツリとつぶやく

「なんで?」

吉川が下から覗き込む。

「私職場の人間関係がうまくつくれないの。どこの会社にいってもお局さんにいじめられちゃうの。」

「ど、努力だよ、少しずつ打ち解けて。」

「いいえ、分っているの、自分のどこが駄目か。…私観察したことを正しく伝えてしまうの。つまりお世辞がいえないの。」

 吉川も井上も言葉を失っていると、隣にビラを手にした育ちのよさそうな青年がうなずきながら話し出した。

「リケジョはつらいよな。僕はコンビニで働くと医師の父の顔に泥を塗ってしまう…。折角医大出てもメスを持てずにメンス用品の補充かよって…。でも、どうしても手が震えて持てなかったのだ。家には帰りたくないけど、血を見るのがいやで非行にも走れなかった。吉川君、君は恵まれているのだよ。」

最後にめがねをかけ、ポロシャツをジーンズにシャツインしている男性がうつむきつつ言う

「僕は早慶大を出ているのだ、そんな所で働けないよ。」

「仕事に貴賎はありません!」

井上は思わず声を荒らげる。早慶男はぎょっとして後ずさりをした。ええい、情けない

「井上さん、だめだよお、怒ると迫力あるのだから。」

ぎくっつ。まだ空手2段とはばれてないはず。井上は引きつった笑みを浮かべつつ

「そ、それでは資格を取れば」

と薦めた。それを聞きリケジョはため息混じりに答える。

「資格をとってやり直そうと考えた事もあったわ。でも…弁理士の兄は年収200万です…」

「もう駄目なんだ、大企業リストラされたら行く場所なんてないんだよ」

わっと泣いてかがみこむ元早慶大卒。人間どうなったって生きていけるわい!いい大人がなにを…と井上が叫びだしそうになったとき、吉川は彼の肩を抱く。

「だ、大丈夫、やり直せるよ。ぼくだって、で、できたのだ。最近ラインもつかえるようになった。なにかあったら、連絡してよ。」

「吉川君…」

周囲もその光景をみて泣き崩れていた。本当は皆、居場所がほしかったのだ。井上はそこまで分かっても合点がいかない。「居場所なんてバイトをしたり働きだせば勝手にできるのでは…。」井上ははっとする。ここの人達って、どこかで見た人たちと…そう、研修で参加した、引きこもりサークルの人達に似ている…。周囲にどうやって溶け込んでいいかわからないのに、自分から声をかけられない。その上相手の言う事を何でも悪く取ってしまい、流すこともできない。ようは他者の言動に過敏に反応してしまうのだ。

「あの、私、皆さんのような人達、知っています。」

井上の言葉に皆振り向く。

「あ、皆さんのような人達って言い方失礼ですよね。皆さんように繊細で過敏な方々(たしか批判しちゃいけなかった、危ない)最近は増えているのです。ネーミングに問題があるかとい思いますが(いや君たちはそのまんまだよ)、市役所は“引きこもり復職プログラム”という名前で皆様のような繊細な方々(気を使うって疲れるなあ)を対象とした企業もありますよ!。」

「でも、わたしなんか…。」

「怒られないかしら…。」

(それどころじゃないでしょ!)井上呆れ顔になるのを必死で抑え、

「大丈夫ですよ、皆さんに理解ある方々や企業はたくさん居ます。都庁でも毎週水曜日午後から復職説明会、と、これは産業医対象でした。なにか有益な情報を得られたらお知らせしますから、えっと私のノートに携帯のアドレスを書いていただければ連絡いたします。(ここはいったん引いて)無理に来なくてもいいですから。来たいときにお越しになれば大丈夫ですから(私もだんだん慣れてきたなあ)。」

募金活動をしている人たちは、はじめは数名がおずおずと記入し、そのうちに井上の前に復職関係のメーリングリストに参加したい人であふれかえってきた。記名が終わると彼らは以前よりほっとした顔をし、募金セットを整理して家路へと向かっていく。

「おい、みんなどうしたんだよ」

やくざの元締めの言葉は既に彼らには届かない。皆、居場所が欲しかっただけなのだ。そして、ああしてこうして、と指示してくれる人が欲しかったのだ。

「おい、金稼ごうよ!沢山募金すれば、こ、今度は賞金もつけるぞ!」

元締めはあわてて呼び戻そうとするが、皆の心にはスルーしてしまう。元参加の顔には何も分かっていないという燐便の表情さえ浮かんでいた。しかし本来哀れまれるのは元参加者のはずだが。

 誰も居なくなった広場でやくざは呆然と立ち尽くす。

「君も、やりなおせるよ」

吉川が肩を抱こうと瞬間、憤怒の表情でやくざは振り返った。

「お前が来てなにもかもおじゃんだ、どうしてくれるのだよ!」

「吉川君、こんな人に理解求めたってしょうがないよ」

「井上さん、そういう考え方は良くない…。」

「理解もへったくれもあるか!」

やくざが吉川を殴りつけようとした刹那、井上はやくざの腕を捕まえ、背中に回す。

「な、なんだぁてめえ、いて」

そして…。

「…やりすぎちゃうのですよ、井上さんは。」

「すみません」。

道場で顔見知りの管轄の警官が呆れ顔でつぶやく。吉川が咄嗟の機転で井上の乱闘を止めるため呼んだのだ。

「まあ、今回は相手が悪いので、上には報告しないでおきますよ。それに、彼の顔も立てないとね。」

吉川の誠意をこめた謝罪は結構効くのだ。運よく無罪放免になったが、井上の心中は複雑であった。とにかく訪問介護を終わらせないと、としょんぼりしていると、吉川は、自分ひとりで終わらせるからいいと答えた。

あれ、私、吉川さんに甘えている?今回、吉川君に守られた。彼はトラブル処理能力といい、立派な大人の男だったのだ。私は彼を子供扱いしていたのだ。だが実際の所、彼のほうがずっと大人であった。

つまり、彼は自立した社会の一員だったのだ。それなのに私の中に善意と言う形で偏見が形づくられていたのだ。これは…。私の看護婦としての大いなる課題だ。

さて、戻るか、会社に。

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