崖の上にて

「ねぇ、天国ってあると思う?」

 少年は目の前の空間にそう話しかけた。その空間には何もなく、あえて言うなら空気があるだけ。しかし少年にはそこに物体が、おそらく人間のようなものが見えているかのように、その空間に焦点を合わせて話しかけた。

「そう、天国。ぼくのイメージからするとお花畑だったり、仏様とか、天使みたいなのがいたりする、そんな場所」

 少年は、さも当然かのように返事を待った。

「確かにね。あるって知ってるんだったら、こんなところでふらふらしてないで、さっさとそこに行ってるよね」

 それまで見ていた空間から目を離し、少年は周辺に目をやった。

 そこは、小高い丘の崖の上だった。周りには少年以外何もない。

 そして少年は空を見上げた。

「雲の上とか行ってみたりとかした? まあ今の時代、飛行機とかがたくさん飛んでるし、そんなところにはないんだろうけど」

 そういいながら、空を見上げたままに、少年は地面へ寝転がった。

「空って、良いよね。この澄んだ蒼色が、どこまでも続いてると思うと、本当に飛んでみたくなるよ。有限だっていうのはわかってるけど、それでもこんな小さい僕なんかに比べれば、無限と一緒だしね。あ~~、雲になりたい!」

 突然大声を出したかと思うと、少年はおもちゃ屋のショーウィンドーを覗くかのように、目を無邪気に輝かせながら言葉を続けた。

「あの大きな綿飴のような雲になって、空を飛び続けられるのならどんなに良いだろうか! 広大な空に、ぬくぬくと、のんびりとしながら漂って、世界中を回って、いろんなものが見られるとしたら、どんなに素晴らしいだろうか! それこそ、天国みたいなものじゃないか!」

 そして少年は、ふと、元の位置に視線を戻した。

「そういえば君は、なんでこんなところにいるの?」

 返事を待つように、少年は目の前の空間に黙って耳を傾けた。

 空間も、何も変化することなく黙っていた。

「へ~、まあ趣味なんて人それぞれだからね。僕が空を好きに思うように、君も人の死を楽しんでるって事だね」

 そして少年は、ゆっくりと腰を上げた。

「さてと、そろそろ始めるか」

 そう言いながら、目の前にある崖から身を乗り出して崖下を覗き込んだ。崖はそこそこの高さで、下には大きな岩が転がっている。頭から落ちれば、まず助からないだろう。

「君もここから落ちたの? 痛かった?」

 空間は、答えなかった。

「何にやにやしてるんだよ。え? 怖いかって?」

 少年は空間に、薄い笑みを顔に張り付けて答えた。

「むしろ楽しみだよ。ここから落ちれば、君みたいになって、でも君みたいにここに縛られることなく、空を漂えるんだから。それにもしかしたら、君の行けなかった天国に行けるかもしれないしね」


 そして少年は崖に体を傾けた。


「地獄に着くかもしれないけどね」

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