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 ☆ ☆ ☆


 夜、帰ってきたおばさんと夕食を作り、あれから数時間、部屋でぐったりと寝ていたという健一君と三人で食べた。その後、わたしはおばさんとリビングでテレビを見て、健一君は部屋に戻った。彼が自室にいる間に、わたしはお風呂に入った。

 お湯に浸かる前に体を洗っていると、腕が少しひりっとした。あまり赤くはなっていないけれど、たぶん日焼けだろう。今日は曇りがちな日だったから、ちょっと油断してた。もうそろそろ、外出するときには、強めの日焼け止めを塗るようにした方がいいかもしれない。

 そんなことを思いながら、体の泡を流して湯船に浸かり、腕をそっと撫でた。腕についていた水滴がすっと流れ落ち、ぽちょんと小さな音を立てた。

 お風呂から上がると、髪をタオルに包み、部屋着にしているショートパンツと古いTシャツを着て、化粧水を顔につけた。リビングでミネラルウォーターを飲み、それから部屋に上がって、ドライヤーで髪を乾かしながら雑誌を読んでいると、夜の時間は、すぐに経過していった。

 午後十一時。六時に起きるわたしは、十二時前後に寝ることにしている。そろそろ寝る準備をしないといけない。クローゼットから布団を出し、床に敷いた。ぼふん、と一度倒れ込む。まだ肌の熱を吸収していない布団はひんやりとしていて気持ちいい。

 もぞもぞしながらしばらくその感触を楽しんだあと、部屋を出て、一階の洗面所で歯を磨き、再び階段を上ったところで、健一君の部屋のドアが開いた。


「あ」


 健一君と、はたと目が合って、無意識に声が漏れてしまった。なんだか照れくさい奇妙な間が出来た。

 さっきお風呂から上がったばかりの健一君は、ハーフパンツにTシャツという姿だった。髪が生乾きで、いつもよりも肌がツヤツヤ、ほかほかして見える。


「夜でも、今日はまだちょっとだけ暑いね」


 ほとんど何も考えなしに、わたしはそう話しかけていた。


「うん。――でも、窓を開けると、ここは結構涼しくなるんだ」


 そう健一君は言って、階段に面したところの窓を開けた。網戸の向こうから、風がゆるく吹きぬけてきた。


「なんかこの場所、風がよく通って。夏はこの場所に座ってると、結構気持ちいい」


 そう言いながら、彼は階段の一番上の段に腰かけた。


「へぇ~」


 わたしもその横に座ってみた。たしかにそこは風の通り道になっているみたいで、夜風が涼しかった。無意識に手を動かすと、健一君の腕にあたった。ふたりとも微かに汗ばんでいて、ぺたりと、肌が貼りつくようになった。

「あ、ごめん」と、わたしは腕を引っ込めた。「うん……」と言いながら、健一君は身じろぎして、わたしから少し距離を取った。

 ふと、母以外で、健一君ほどわたしに近い人はいないだろう、と思った。遠いとはいえ親戚同士で、同じ家に住んでいて、年だって同じだ。

 そして、

 ――きっと、健一君のことが好きな女の子がいたとしたら、わたしはその子から、恨まれてしまうようなところにいる気がする。

 ふいにそんなことを考えてしまうと、ぞくぞくっとする思いがこみ上げてきた。

 しかしそれは、恐い、という感じだけではなかった。不思議な嬉しさのようなものが、どこかに含まれていた。どうしてなのかは、わからなかった。けれど、昼間に雑誌の占いを読んだときに感じたあの動揺がよみがえってきそうで、すぐにわたしはそのことについて考えることをやめた。小さく首を振って、誰にともなく、小さくにこっと笑みを作る。

「寝られないとき、ここで涼ませてもらお」とわたしは言った。健一君は、「うん。静かだし、結構落ち着くよ」と言って、立ち上がった。

 人と接するのが苦手な子だとおばさんは健一君の性格について言っていた。けれど、実際に一緒に暮していると、言葉は少なくても優しい人だと思った。引っ越しの日もいろいろと手伝ってくれたし、一週間の間、何度も、気を遣ってもらっていることを感じてきた。

「おやすみ」と、わたしも階段から立ち上がりながら言うと、健一君も頷いて、「うん。おやすみ」と、返事を返してくれた。

 そうして、わたしは部屋に戻った。

 電灯のスイッチに繋げられたひもを引っぱって明かりを消し、敷いた布団に寝転ぶ。疲れや、心のなかの心配事や、いろいろなものが、布団の柔らかさに溶けていく。家のどこかから、微かに物音が聞こえてきた。

 今日は、よく外を歩いた。身体がほどよく疲れていて、すぐに、ふわりとした眠気が訪れてきた。

 暗闇のなかうっすらと見える、見慣れない天井をしばらく見つめてから、わたしは瞼を閉じた。瞼の裏側には、今日見たものが、ばらばらに、脈絡なく浮かんでは、消えていった。

 意識が段々薄れていく。目を閉じたまま、もう一度、おやすみなさい、とわたしは呟いた。

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