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 ☆ ☆ ☆


「どこかでちょっとお茶してこうよ」と、愛子ちゃんが誘ってくれたので、わたしたちは、そこから少し歩いたところにあるお店に入った。

 そこはカフェもやっているパン屋さんで、いくつもの棚にいろいろな種類のパンが並び、その奥に、カフェのスペースがあった。一組のおばさんのグループと、中学生くらいの女の子二人が、奥の席でお茶をしていた。

 カウンターで、二人で同じアイスカフェラテを買って席に座ると、愛子ちゃんはそれまで肩にかけていたバッグから買ったばかりのマンガを取り出し、むふふふ、と笑みを浮かべながら表紙を眺めていた。きっとよほど好きなのだろう。

 カフェラテを飲みながら、しばらく彼女と学校でのことを話していると、やがてわたしの引っ越しの話になり、「もうこっちには慣れた?」と愛子ちゃんはわたしに尋ねた。


「うん。でもね、目が覚めるときだけ、『ここどこ?』って感じになっちゃって、まだちょっとびっくりする」


 そう言うと、愛子ちゃんは笑った。


「わかるなぁ。わたしもおじいちゃんの家に泊まったときとか、そうなる。――でも、学校はずいぶん遠くなっちゃったね」

「うん。それだけはちょっと大変かな……。けど愛子ちゃんがずっと通ってたんだよね。すごいね」

「いやあ……。この街の駅からなら、大体座っていられるし、その間、本も読めるから。今ではあんまり苦にはならないかな」

「そっか」


 そこで会話が途切れて、あたしたちは、飲み物を飲んだ。からり、と氷がグラスのなかで小さく鳴った。お店に流れていたピアノのBGMも、次の曲に変わった。するとふいに、愛子ちゃんが口を開いた。


「そういえば、あの里奈ちゃんの親戚の人は、どこの高校に通ってるの?」

「え?」

「ほら、この間、会った人。えっと、……上本? あれ、違うか……森本……さん? だっけ? わたし男の子と話すのに慣れてないから焦っちゃって、実はあのとき、ぜんぜん言葉が頭に入ってなかったんだぁ。ごめんね」


 えへへ、と彼女は笑う。


「ああ、うん、ええっと、入沢高校ってところ……」


 わたしは、健一君の名前は答えずに、そう返した。

 この間、わたしたちは健一君とばったり出くわした。あのとき、健一君は、わたしと同居していることを隠すような行動をとった。幸い、まだ愛子ちゃんはわたしがお世話になっている家がどこなのか知らないので、(大まかな場所は話したけれど、家そのものがどれかはまだ伝えていない)あの場ではなんとかなったけれど、近所に住む彼女を、この先もずっとごまかし続けていくことは、たぶん出来ないだろう。


「ああ、あそこかー。小学校のころの友達が何人か通ってるんだ。おしゃれな子が多い学校なんだよね」


 友達に隠し事をしてしまっていることに、内心、苦いものがこみ上げてきていたけれど、わたしの返事を聞いた愛子ちゃんは、健一君の名前のことにはこだわらず、上機嫌に言った。そうなの、とわたしは、心苦しい気持ちで相槌を打った。

 こんな気苦労をするくらいなら、いっそすべてを話してしまおうかと思ったけれど、なかなか、その話を切り出すための勇気も言葉も出ない。

 半年間お世話になる家に、同い年の男の子がいるということは、彼女だけではなく、わたしはまだ、誰にも話していなかった。


 ☆ ☆ ☆


 その後愛子ちゃんとは、パン屋さんを出てすぐに別れた。わたしは、昼食用に買ったパンの入った紙袋を手に持って、――パン屋さんにいるときに、おばさんから、やはりお昼には帰ることが出来ないらしいということと、午後もお友達とお茶をするから帰りは夕方になる、ということを伝えるメールが届いていた――家までまっすぐに歩いた。

 帰宅後、部屋に上がる前に水を飲もうと思って、リビングに入った。するとテーブルの上に、ポツンと、お弁当箱が置かれたままになっていることに気が付いた。健一君が忘れて行ったんだと思って、わたしはすぐ彼に電話をかけてみた。けれどやはり、部活中であるはずの健一君は出なかった。

 もし携帯を見る時間があれば、折り返し電話してくれるだろうと思って、わたしはスマートフォンをポケットに入れて部屋に戻り、デスクチェアに座った。

 机の上に、わたしは小さな植物のポットを置いていた。そういえば昨日から水をあげていなかったことを思い出し、机を濡らさないように注意しながら、霧吹きで土と葉を湿らせた。葉先に軽く指を触れると、付着していた細かな雫がいくつか、はらりとこぼれ落ちた。緑色の葉からこぼれる雫は窓からの陽射しを受けてきらきらと光った。

 机に頬杖をつきながら、そんなふうに植物を眺めたり、先ほど買ったファッション雑誌のページを捲っていると、退屈さと気怠さに、また眠気を感じてきた。

 お昼寝でもしようかな、と思ったとき、ふいにスマートフォンが着信の音を響かせた。ポケットから取り出して画面を見ると、健一君の名前が表示されていた。

「健一君、お弁当、忘れてるよ」と電話に出たわたしはすぐに言った。


「俺も、今気が付いた」

「わたし、持っていこうか?」


 その提案に、健一君は遠慮した。けれど、わたしは「気にしないで」と、押し切るように言葉を続けた。暇だったし、彼が通っている学校を見てみたいという好奇心もあった。

 電話を切るとわたしはまた髪を整え直した。手元のファッション雑誌には可愛いサイドシニヨンの結び方が紹介されていたので、その髪の結び方を試してみた。

 鏡で確認すると、結構いい感じに出来ていて、自然に笑みがこぼれた。ストレートよりも軽やかな雰囲気で、ロングスカートに白のTシャツという服の感じにもよく合っている。

 出掛ける前に、しっかりと健一君のお弁当をリュックに入れて、家を出た。

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