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☆ ☆ ☆
次の日曜日に、あたしたちは、近所のショッピングモールへいくことにした。
九月に入ったものの、まだ暑い日が続いていた。その日も夏日でじっとりと暑く、朝起きると、ぐっしょりと寝汗をかいていた。
あたしは出かける前にシャワーを浴びて、肩にかかるくらいまで伸ばした髪を梳かし、黒のスカートに、半袖の白いシャツを着た。夏の前に、仲のいい女の子たちと夏用の服を買い物にいったときに買ったものだ。
待ち合わせはお昼前にショッピングモールの入り口で、ということにした。そこまでは自転車でいけば十五分ほどの距離だったけれど、汗をかくのが嫌だったから、バスを使うことにした。身支度を済ませて外に出ると、まだ真夏のように強い陽射しがアスファルトを焼き、蝉がうるさく鳴いていた。
待ち合わせ時間の少し前に着くと、健一はもう到着していた。
入り口の自動ドアの横に立っていた健一は茶色のチノパンに青色のTャツという格好だった。それを見て、そういえば私服で健一と一緒に出かけるのは、中学に入ってから初めてだった、と思った。
並んで歩くと、猛烈な違和感があった。小学校のときは同じくらいだったけれど、もう身長は健一の方がぱっと見でわかるくらいに高かったし、店内のファッション店なんかに設置されているガラスに映る自分たちの姿が、昔とかけ離れていてどきりとした。膝上のスカートに、細身なシルエットのTシャツという女子っぽい服を着てきたことに、今さら恥ずかしさを感じた。
お昼だったから、最初にあたしたちはバーガーショップで食べ物を買って、フードコートに座った。まわりの席はほとんど埋まっていた。知り合いがいたらどうしよう、と思ったけれど、あたりなかに知った顔はなかった。
人込みのなかは、たくさんの人の話し声でガヤガヤとしていたけれど、それはむしろあたしを落ち着かせてくれた。あたしは健一とふたりでいることを、いろんな意味で気にしていたけれど、まわりの人たちは、誰もあたしたちのことなんか気にしていない。なんだか人混みのなかに隠れ込んだみたいな気分だった。
ハンバーガーを食べながら、健一と、おじさんのこととは関係のない、学校での話をした。健一の方には、あたしが感じていたような動揺の様子は感じとれなかった。そのことに安心もしたし、少しだけ、ほんのわずかだけ物足りないような気もした。
食べ終わったあと、あたしは一回席を立って、あたしはお気に入りのお店でアイスを買ってきた。席に戻ると、健一が「フィフティーワンじゃん」と言った。あたしは「三百円以上した」と紙袋からカップを出しながら言った。
「高ぇ」
あたしはプラスチックのスプーンを手に取ってアイスをすくって口に入れた。好きな味に、テンションが上がる。そしてそのテンションのまま、
「一口だけあげよう」と、小学生のときのノリで、プラスチックのスプーンを健一に差し出した。口のなかでは、アイスの甘い後味がほんのりと広がっていた。
健一は一瞬だけ躊躇したような感じだったけど、スプーンを取ってアイスをすくった。スプーンが健一の口のなかに入る。以前も飲み物の飲み回しなんかはしていたのに、それを見ると、胸のなかに動揺のさざ波が立った。
気を取り直して、部活はどんな感じなのかと聞いくと、忙しかった、と健一は答えた。やはり部活の練習時間は、小学校のチームのときよりもずいぶん多いみたいだった。夏休みや冬休みも、一日丸ごとの休みほとんどなかったという。あたしは中学生になってから暇をしていることが多かったから、その忙しさは、少しだけうらやましかった。
「あたしはなんか、中学入って、退屈だったよ」
「由梨子、生徒会だっけ」
「うん。でも、ほとんどやることないからね。夏休みとかはほぼ丸ごとお休みだし」
ふーん、と健一は言った。
それから、あたしは、また暗い気分になってしまうかもしれないことを恐れながらも、遠まわしに、おじさんに関係する話も振ってみた。
「隆一君は、どうしてる?」
すると、健一は小さく溜息を吐いた。
「それがちょっと……。父さんが持ってた本、ずっと読んでてさ。前も読書家だったけど。最近はちょっとおかしくなったのかと思うくらい」
「そうなんだ」
隆一君はいつも余裕を崩さない人だというイメージが強かったから、 それを聞いて、あたしは意外に思った。やはり何か、思うところがあったんだろうか。
「――大丈夫かな」
「さあ……」
そう言って、健一は肩をすくめた。たぶん、隆一君なら大丈夫だと思うけれど。普段はチャラそうにしていても、しっかりしているところや思慮深さのようなものを、あたしは今までの付き合いから感じてきていた。六歳も年上の大学生の心配を、中二のあたしがしても仕方ないとも思った。
それからあたしたちは少しずつ、小学校のときの話とか、おじさんの話をした。健一は、この前ほど疲れている感じではなくて、あたしが冗談を言うと、少し笑ったりもしてくれた。
昔話をしていると、改めてあたしたちが共有している過去の出来事の多いことを実感した。
あたしは健一のことをすべて知っているわけじゃない。けれど、彼のことを他人だと思うには、共有しているものが多すぎたし、近すぎるくらい近い場所にいた。過去のことを思い出すと、自分と健一が溶け合って、その境界が曖昧になってしまうくらいに、あたしと健一の距離は近い。
溶け始めたアイスを、口のなかに入れた。甘くて冷たい味が、口のなかで、あたしの唾液と混ざる。
やがて、そのあたりをぶらぶらして帰ろう、ということになった。席から立ち上がるとき、あたしは健一に短く質問をした。今日健一に会ったときに、ぽこりと意識の奥から湧いてきて、さっきから、喉元のところに引っかかっていた問いだった。
「そういえば、あんた、誰かから、連絡先聞かれたりしてない?」
「は? いや別にないけど」
さらりと健一は答えた。それを聞いて、あたしはほっとしてしまった。
やはり、絵里ちゃんは健一に興味を失ったか、あるいはまだぐずぐずしているかのどっちかだったみたいだ。まあたぶん、あたしの経験上、もう飽きたんだろうとは思う。大変なことがあったばかりなのに、なんで今、こんなことが気になっているのか、いい加減自分で自分がウザかったけれど、これでこの思い煩いからも解放されるような気がして、少し前よりも心が軽くなったように思えた。
「あっそう」と、何でもないようにあたしは言った。
急な話題だったからか、健一は怪訝そうにしていた。この話題で突っ込まれると面倒なので、あたしはさっさと、フードコートの出口の方に歩いていった。
☆ ☆ ☆
お店をぐるっと回って、それから、ショッピングモールを出た。
あたしたちが住んでいる地区を目指して、住宅街を歩く。健一が自転車で来ていたから、あたしたちはゆっくりと歩いて帰ることにした。まだ明るいけど、陽はもう傾き始めていて、電柱や標識の影が、乾いたアスファルトの上に長く伸び始めていた。
相変わらず蝉はうるさかったし、空に浮かぶ雲は、真夏のように真白で分厚い入道雲だったけれど、たまに吹く風には、これまでの季節とは違う冷たさの気配があった。季節が変わるなぁ、と思った。
その帰り道の途中、あたしはそういえば、もうひとつ聞いておきたいことがあったことを思い出して、「ねえ」と自転車を押しながら横を歩いている健一に話しかけた。
「何?」
「サッカー部で、マネージャーってできるかな」
健一は、驚いたように、え? とこっちを見た。
「――わかんない。どうだろう。野球部にはいるみたいだけど……」
少しの間、沈黙が降りた。あたりでは、うるさいほどに、蝉が鳴いている。いくつもの鳴き声が重なって、まるで空気が波打っているみたいに感じた。
「でもなんで?」と、少しして健一は聞いてきた。
一年半の間、何か物足りなかった。サッカー部にマネージャーとして入部するという前例があるのかわからないから、もちろん、本当にできるかどうかはわからない。今さら男の子ばかりの部活に入ったら、周りの女の子たちからは、もしかしたら否定的なことを思われるかもしれない。でもそんなの、関係ない。あたしとサッカーの関係は、あたしと健一たちの関係は、もっと昔からある、もっと深いものなのだから、外からとやかく言われる筋合いはない。
「まあ、いいじゃん。そういうことだから」とあたしは答えた。すると、健一は、何もわかっていない様子で「わかった」と頷いた。
そう言っているあたしの方も、何がそういうことなのかはっきりしていなかったのだけれど。
ただ、自分の近くにあったものや、近くにいた人たちが、これ以上離れていってしまうことは、もう嫌だった。
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