第4話.約束

 いつか見た風景。ここでは無い何処か。

 懐かしい感覚に、今見ぬ仲間達。

 ――されど唐突に世界は終わりを告げる。


 白亜の世界に投げ出された意識は、浮かぶ体に迫る熱と感覚により個として確かな実感を呼び起こし、その燃料は脳の電気信号でエンジンを回す。体からくる信号を脳が受け取り、耳が周囲の音を集音しては、開いた目が視覚情報を次々に脳へと送り状況把握を急き立てる。

 急かされ淡々と覚醒する脳は、未だ最適速度の半分にも到達しておらず。流れてくる情報を通常の倍以上時間をかけて処理し理解する。かけられた毛布を退け、空調の効いた室内を見渡し、嗅覚を刺激する酒の臭いを纏わせ転がる酒瓶は、ここが漆先生の自室だという判断を下した。


「――っつ!」


 よろよろと立ち上がり部屋の出口へ向かう途中。意識を刺す痛みに首を抑え、舌打ちながら首に手をかける。首に巻かれた包帯と、役目を終えたかと言う様に体温と同じになった湿布は、昨日の記憶を鮮明に呼び起こした。

 だがそれは原因を探るべくして行われた行為に過ぎず、記憶は激情を呼び起こす事無く再び過去へと沈み、部屋を出るべく体を動かす。


「おはよう星崎君。体の調子はどうだい?」


 部屋を出てすぐに、デスクの椅子に座る漆先生の声が届く。昨夜の面影は既に無く、白衣を羽織るその姿はまさしく医師そのものだった。

 挨拶を返すと手招きされて、対面に用意された椅子に座る。先生は俺の首に巻かれた包帯を解いて湿布を外し患部を確認すると、触診と問診を繰り返し、慣れた手つきで湿布と包帯を巻きなおした。


「首に極度な負荷をかけなければ問題ないだろう。首以外の場所は昨日の時点で軽い内出血だったから、痣にはなっているだろうがね」


「昨日はあのまま先生の部屋で寝てしまってすみません。毛布までかけてもらって」


「構わんよ。浅海と飲むときは何時もあいつが先に寝るからな――それより良く眠れたろう? 橘先生に抱かれながらは」


 意地の悪い笑みで図星をつかれ、自分でも赤くなる顔を誤魔化すように口をおさえてワザとらしく咳をする。この様子では、まるで母に抱かれているようだったなどと言えば最後。散々からかわれた挙句、本人の耳に入るのはまず間違いないだろう。


「いや悪かった悪かった。年頃の男児にそれを聞くのは酷だったか――さて、君も目が覚めた事だし、我々も出向くとしようか」


「出向くって何処にです?」


「楽しい楽しい授業にだよ、若人君。まぁ残念ながら君が楽しめるかどうかは、流石の私も保証しかねるがね」


 くつくつと笑う先生に拗ねた目線を送りながら、手渡された大きなクーラーボックスを持ち上げる。起き抜けの体には些か辛い重みを感じながら、医療キットを担ぐ先生の後を追って保健室を後にした。





「これはうん。なんと言うか酷いな」


 砂浜の上に敷かれたシートの上で一人ごちる。横には持ってきたクーラーボックスが大量の飲み物やアイスと共に鎮座して、ビーチパラソルが日光を遮り、心地良い風だけを届けてくれる。そして眼前には水着姿で海水浴を楽しむ先生や仲間達がその青春を今まさに謳歌していた。


 これを聞くだけなら何も酷い要素などは存在しないが、残念ながらその中に俺は入っておらず、更に言えばシートから出る事すら許されていない。それと言うのも、今は学園へ俺用のサマーベッドを取りに行っている過保護な幼馴染のおかげだ。

 今日は旅行が出来ないこの島の環境を考えての校外学習との事なのに、出会って早々荷物は奪われシート上に隔離され、今度は横になるためのサマーベッドときた。流石に煩わしく感じるが、本人の気持ちを考えると、邪険に扱えるわけがない。


「やぁやぁお姫様。ご機嫌は如何かな?」


「やめてくれ狭間。この上からかわれたら、流石の俺も爆発する」


「いやごめんごめん。君が一人で黄昏てるから、休憩がてら来ただけなんだ。悪気は無いよ。僕も、彼女もね?」


 理解はしているつもりだとため息を吐く。だが怪我の悪化や彼女の気持ちを考えても、昨日の今日この場所でただじっとしているのは、あまりにも居心地が悪い。気分はひたすらに落ち込んで、首筋も痛みの幻覚に襲われる。

 唯一幸いだったのは、未だ名前も知らぬあの男は今この浜辺には居ない事だ。


 当然と言えば当然だが、俺に手をあげた件で、今はこの島の責任者でもあるアレンさんの元へ出頭している。少なくともこの校外学習が終わるより先に、この場所へ戻ってくる事は無いそうだ。


「気の滅入ってる君の為に少しタネ明かしをしようか――じつはね、この校外学習はもう少し後の予定だったんだ」


「……どうして早まったんだ?」


「過保護な皆の希望だよ。特に彼女はここで君を嫌な思いにあわせたくないし、嫌な気持ちでいて欲しくないんだ。結果はまぁ、このザマだけど」


 狭間が俺の惨状をさして肩をすくめる。つまりは皆が俺を心配し、少し早めの気分転換を用意してくれたのだろう。それが分かると確かに少し気持ちが晴れて、狭間につられて自然と笑みが零れた。


「皆も遊びたかったって本音は当然あるけどね。彼女もちゃんと説得すれば少しは許してくれると思うから、精々口説き落としてくれ」


「今日はやけにお喋りだな。お前も俺に気を遣ってくれたのか?」


「心外だな。僕は元々お喋りなんだ。ただそれ以上に見ているのが楽しいだけさ」


 狭間はそんな俺を見て満足したのか、手に持っていたジュースを飲み干すと、俺の肩を使い立ち上がる。離れていく狭間を追って視線を動かすと、橘先生に飛びつき感涙と共に雄叫びをあげる滝崎に、先生と日真理の一撃がきまり海に沈む。


 慌てるクリスにビーチボールを持って笑う漆先生。そんな光景が眩しくてなのか、視界がぼやけ体がけだるさを訴える。

 このあと花音を説得しなければいけないのに、こんな調子では駄目だと少し横になって上を見上げると、そこにはビーチパラソルのカラフルな裏地は存在せず。見えるのは規則的に接合の跡が見える金属製の天井と、人工の光源による明かりだけだった。


「よう明人。まーだ寝てたのかぁ?」


 ふいに懐かしい声が部屋に響き、視界に男の顔が映る。男は滝崎にとてもよく似ていて、俺の腕を掴むと有無を言わさず部屋から連れ出す。

 咄嗟に彼の名前を呼ぼうとして声を出すが空気は震えず、ただただ彼に導かれて乳白色の通路を進む。もつれる足を正し、倒れそうになる姿勢を持ち上げ、彼を見失わない様に、必死で視界を前へ向ける。

 ――だが既に彼の姿は無く、眼前には白衣姿の日真理が立っていた。


「ちょっともう明人! 今日は皆で教授の講義受けに行くって言ったでしょ? いつまで寝てんのよ」


「まぁまぁ、間に合ったんだから良しとしようよ。まだ眠いのなら講義でぐっすり眠れば良いよ」


「だ、だめですよぉ」


 日真理の後ろに狭間とクリスが何時もと違う白衣で何時ものやり取りをする。そこに違和感を感じる事は無く、三人へ詫びようとすると背後から声をかけられ振り返る。

 するとそこは賑やかなパーティー会場で、そこには仲間達が一様にドレスを着て私に対して手招きしている。


「やぁやぁ諸君!今日は私の栄えある式典に参加して頂き誠に感謝するよ!」


「別に“あんたの”じゃないでしょ。飛ばした探査機がたまたまアタリを引いただけじゃない」


「日真理君、ひがみは良くないなぁ。やはり速さこそ全てなのだよ!」


「こんな奴の単細胞探査機に私のアイリスちゃんが負けるなんて……あとそのノリいい加減ウザいからやめろ早漏野郎」


 日真理が懲りない滝崎に、太ももまでスリットの入ったドレスを巻き上げながら蹴りを入れ、それを見て笑う狭間とクリス。遅れて輪にやって来たアレン教授にたしなめられて、日真理は振り上げる足を下しながら顔を赤くして畏まる。


「確かに見つけたのは滝崎君ですが、詳しい情報は彼の探査機では掴めませんでした。その点、後手ですが確り情報を確保してきた日真理さんの功績も、大変素晴らしい。当然二人の設計に携わった君達三人もですよ」


 我が子を自慢する様に褒める教授の声に、全員が照れくさそうな反応で返す。今日はこの船でとても素晴らしいものが見つかった日。皆の念願が叶うかもしれなかった日だ。


「お、明人。お前の希望の星がお目見えだぜ? お前もAIばっか作ってねぇで探査機飛ばしてさっさと成果出して来いよ!」


 背中をその太い腕でぐいぐい押され、半ば強引に輪の外へと放り出された私は、仲間の衛星軌道から大きく外れ、別チームが作る輪の一つへと送り出される。今では珍しい生の食材を使った料理が並ぶテーブルを楽しそうに囲むグループに、異物の私が声をかけると幾つのも目が私を貫くが、一人だけは私が誰だかわかると花が咲いた様な笑みで迎えてくれた。

 それだけで私の鼓動は血液を伝って鼓膜を振動させ、心臓に耳をあてていないのにも関わらず心拍数を計測する。ウェーブのかかった綺麗な栗色の髪は、思わず手が伸びてしまいそうで、手に変な力が入ってしまっていた。

 声をかけたのは此方なのに、彼女が振り向いてから初めて、どうやって誘うのか決めていなかった事に気が付いた脳がパニックを起こして気が遠くなりそうだ。


 彼女はそんな私を見て小さく笑うと、自分のグループに一言告げて私を連れてスペースの空いた壁際へと案内してくれる。


「まずはおめでとう。かな? まだこの船の航行速度じゃ随分先になっちゃうけど、ようやくこれで皆の未来が明るいものになったわね……本当言うと今まで怖かったの。ずっとこの船が朽ちるまで人々はこのまま流され続けるんじゃないのかって」


 ちょっとした弱音に花の様な笑顔が萎み、首が垂れる彼女を私は必死で励まし元気付ける。口から溢れる言葉は酷く陳腐で幼稚な言葉の羅列なのは理解していたが、普段はどの様に喋っていたのかを、その時だけは忘れていた。


「あのね、私には夢があるの。いつか本当に住める星が見つかったら、仲間達と一緒に本物の海を見たいって」


 会話中の何気ない彼女の望み。それでも私は本気で叶えてみせると、彼女の前で誓ってみせる。

 何時か必ず仲間達と一緒に君を海に連れて行こうと。自分一人では実現出来なかったが、私にはそれを可能にした仲間達がいるのだと。


 だから待っていて欲しい。私は必ず――


「あーちゃーん。起きて下さーい。寝るならこっちでね?」


 少し間の抜けた彼女の声が頭を揺らす。どうやら疲れて眠っていたらしい。今までずっと忙しかったのだ、懐かしい思い出を夢として見るのも仕方は無い。

 彼女が私の為に用意してくれたサマーベッドに腰かけて、私にとっては太陽より眩しい彼女の白い水着姿に見惚れてしまう。


「はいこれ。こんな所で寝てたんだから喉乾いてるでしょ?」


「あぁ、ありがとう鏡花きょうか


「――えっ?」


 ジュースを持った彼女の手が私の前で静止する。時間の止まった機械の様な彼女の顔を窺うと、そこには私の見知った愛くるしい顔と、私の知らない青い瞳がこちらを見据えて停止していた。

 私の知る彼女の瞳は吸い込まれる様な黒色で、目も悪い訳では無いからコンタクトも必要ない。それに以前私がその瞳を褒めた時は嬉しそうだったし、あれだけ綺麗な瞳を隠してしまうのは勿体ないと思う。


 ――いや、そもそも私と彼女は幼馴染では無かったはずだ。同じ学園にも通ってはいなかったし、同じ家にも住んだ事は無い。

 海に連れて行くのはもっとずっと先の話だし、彼女とは約束もしていない。だって彼女は船に乗って――


「――あぁごめん花音。たぶん、人違いだ」


 孤児しか居ない。人口も数える程のこの島で、人違いをする事自体おかしな話だが、どうやら私は誰かと間違えたらしい。


 ずっと昔に会った誰か。ずっと前から一緒だった誰か。

 ――だけどそれは今じゃない。


 そう認識した瞬間に訪れる大きな落胆と、つい最近感じた迫る何かに対する焦りで、いたたまれなくなった私は奪い取るようにジュースを飲み干すと、花音に断りも入れずサマーベッドに横になる。


「ごめん花音。ちょっと気分が悪いからもうしばらく寝ることにするよ」


「うん、そうだね……ごめんあーちゃん。私もちょっと学園に忘れ物してきちゃった」


「そっか」


 気のない返事を受けて、彼女は早足にこの場を去る。罪悪感に苛まれ、彼女を追うべきか一瞬悩んだが、それはより大きな空虚に飲まれ私は怯える様に目を伏せる。


 その日、彼女は夕暮れになっても戻ってくる事は無く。夜になって家に着くと、日真理から彼女を泊めると告げられた。



 

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