3.

「という訳だ。お前ら、まさか行かないとか抜かさねぇな!?」

 武咲陽馬は意気揚々と一枚のバーチャルウィンドウを掲げて仁王立ちし、明らかに温度差のある尾糸研二と新枝怜人はゆっくりとグラスに入った炭酸飲料をすすっていた。

 その土曜日、重大な発表があるとのたまった陽馬の呼び出しを受け、二人は彼の実家に出向いていた。そして、今に至る。

「その入場パスってこっそり転売できないかな? 今月新作ゲーム多くてどう見積もっても金欠予定なんだよね」

「怜お前大人しそうな顔して案外下衆いな! いつの間にそんなゲーマーになりやがった」

「三年近く入院と自宅療養してればね。必然的にゲームぐらいしかやること無いし。それにどかどかゲームデータ送りつけてきたのはどこの誰だっけ」

「よし、その話は終わりだ。研二は」

「サブスクールの予定が重ならなければ行ってもいい」

「どれぐらいの割合で行けそうなんだそれ」

「9割方無理だろうな」

「おいマジかよ……。お前ら、マリオネイトの全国大会観に行けるって意味が本当に理解出来てんのか?」

「出来てるよ。出場校に招待枠が割り振られるから、それで行けば入場自体はタダで済むってことでしょ?」

「そうだよ! あのクソ高いパスを買わずに済むんだぞ! ってか普通は発売と同時に完売するから買うのだって一苦労な一品なんだぞ?」

「費用で言えば『KAWASAKI』領までの運賃と宿泊費が馬鹿にならない」

そうだよ、と怜人が研二に同意する。その問題があった。

 

 マリオネイトの全国大会は、その人気から多くの観客が押し寄せる。加えてICの再現精度の要求水準も高く、並みの民間ペイントリウムが備えるISDでは対応しきれない。そうした収容数・システム的な問題を鑑みると、国内にあるものでは今一つ物足りない。そこで、例年規模の大きな大会は大抵KAWASAKI領内、西神戸にある巨大ペイントリウムを借り受けることが多い。ここでネックなのが、KAWASAKI領が日本ではないということだ。

 

 先の大規模国家間紛争において、各地で独立に向け武力蜂起を行ったUCICの各企業群。その動きは日本国内にもあった。その最大勢力がKAWASAKI重工である。ただ、そのインドやアメリカのそれに比べ、日本の場合は談合と協議によって比較的穏便に領土の割譲が実現していた。すぐそばの関西大都市圏が火の海になるのはお互いにとってもメリットが無かったからだ。そうして旧兵庫県の大半はKAWASAKIを代表とするUCIC傘下企業の自治領となり、明確に『他国』となった。すぐさまUCIC首脳陣が国交関係を結んだために、国内での立ち位置は以前とそれほど変わらない状態にとどまってはいる。

が、それでも日本でないことは確かだ。領域の行き来には入国審査を始めとした各種の手続きを要するし、ICUC圏内特有の法律が敷かれていること事前に把握しておかなければ、容赦無く拘束される。陽馬の入手したパスはいわゆる限定的なパスポートであり、通行許可を始めとした雑事を最低限で済ませられるという恩恵もあった。だが、その効果はあくまでKAWASAKI領内での『許可』であり、実際に行動する際に掛かる諸費は当然ながら自腹で賄わなければならない。特にKAWASAKI近辺130㎞圏はクラウドベルトの利用料金が法外に高いことで悪名高かった。

 が、そんなことは些細なことだろう。

「それぐらい払えよ! 入場できるってことに比べたら大したことねぇだろ! 甲子園とは訳が違うんだぞ?」

「色々と問題のある発言は控えろ。……俺個人としてはどちらでもいい。新枝はどうなんだ、マリオネイトの観戦は好きだったんじゃないのか?」

「まぁね。確かに観に行きたくはあるけど」

「けど、何だよ」

「高校生の試合だからなぁ、プロならともかく」

「何様なんだお前はよ」

「と、冗談はそれぐらいにしておくと、一日目は予定が入ってて行けない。病院の定期健診がある。行くとしたら二日目だけかな」

「ああ、それなら泊りも必要ないな。俺も予定を調整するにしてもそれぐらいが限度だろう」

「ええー、嘘だろ、勿体ねぇ……」

「っていうか、パス三枚も集めたのは陽馬なんだから、いつもみたいに適当に女子でも誘えばよかったのに」

「いや、そこまで熱の入ったペイントリウム勢はそんなにいないからな……。ノリで行く奴はいそうだが、正直そんな奴に渡せるほどこのパスは安くない。そして熱の入ってる連中はパスなんぞ貰わんでも自腹で行く」

「相変わらず面倒臭い性格だな」

「お前らにだきゃ言われたかねぇよ……」

 脱力してフローリングの床に座り込むと、自分のグラスにボトルから透明な液体を注いで一気にあおった。

 

 来月の第2土日、高体連によるペイントリウム競技の全国大会が行われる。そのうちの一種目、マリオネイト部門において、先ヶ橋高校は今年も参戦する運びとなっていた。出場校には招待枠として一定数の入場パスが配布されるのが慣例となっており、部内の判断で自由に人を呼べることになっている。総数は分からないがそう多くなく、近しい友人を誘うのが通例とされている。ここで事前に人脈その他を駆使して仕込みに仕込み、なんとか三人分のパスを手にしていた。我ながら良く上手くいったものだと褒めてやりたくなったが、当の二人はこの調子だ。

 というより本来は二枚で良いはずだった。

「そういや、それこそ亜矢からパス貰わなかったのか?」

「なんで亜矢? 貰ってないけど」

その点を怜人に尋ねると、予想通りで肩の力が抜けた。

「いや、それならそれでいいんだけどよ……あいつ何やってんだ」

「そう言えばお前たちは幼馴染だったか」

「亜矢と怜は小学校から、オレは中学からな」

 ここまで続けば腐れ縁と認定してもいいのだろうが、実質的に怜人が中学時代は不在だったために、自分と怜人との直接的な付き合いに限って言えば高校プラスアルファ程度ではあった。それでもここまで関係性を保ってこられたのは、亜矢の存在が大きい。彼女が一人意識の戻らない怜人の見舞いを続けていなければ、きっとそこまで怜人と関わることも無かっただろうな、と思い返す。

(あー、なんかよくよく考えたらイラついてきた。なんで俺がここまでお膳立てしなきゃならねぇ……)

「ちょっと亜矢に通話入れてくる」

「よく分からんが、今は無理なんじゃないか?」

「あ? なんかあったっけ?」

「合同練習試合って、大会の前々週とか言ってたような。今週じゃないそれって。さすがに亜矢も忙しいだろうし、月曜辺りにすれば?」

「知ったことか! 適当にくつろいでろ!」

「遠慮なく」

研二は勝手知ったる風で壁面のスクリーンを起動すると、自身のコンソールと同期させて見慣れたMMORPGのICを立ち上げた。

「新枝、そのゲーム漬けの腕を見せてもらおうか」

「いいけど、勉強漬けで真面目な研二はだいぶ鈍ってるんじゃないの?」

「抜かせ」

楽しそうだなお前らと曖昧な悪態を付きながら、端末からプライベートチャンネルを選択して、音声通話のみの回線を開いた。

『ごめん陽馬、今から忙しいから後で掛けなおして』

数回calling nowの文字が躍ったあと、彼女の声は遠い雑音混じりに耳に届いた。ずいぶん人込みの密な場所にいるようだ。

『今からってなんだ。まぁすぐ済むから聞け。――このヘタレが』

『……切るよー』

『あとで俺の苦労分の補填してもらうからな、具体的には来週までの数学の課題とか諸々! 今回の件で藤樹にどれだけ貸しを作らされたかお前に分かるかっての』

『別に頼んでないよ……。はいはい、分かりました。じゃあまたね』

『あ、おい! まだ俺の愚痴は終わっちゃ』




「あやちゃん、通話ー?」

「はい。ちょっと、友達から愚痴が」

通路の片隅で端末の仮想表示を消し、先ヶ橋高校が陣取るスペースへ向かう。広いアリーナをぐるりと円周上に囲む観客席の最前列付近にあって、多種多様なユニフォームに身を包んだ生徒でごった返す中を戻るのは容易ではないように思われた。しかも、ただ混んでいるならいざ知らず、自分の面が悪目立ちすることを今さらのように思い出した。若干距離を詰めてガンを飛ばされたり、あからさまに警戒されたりと反応は様々だったが、進みにくいことこの上無かった。

「邪魔だなぁー」

その横で、同行していたいざながぼそりと呟いた。周囲の喧騒の中で、なぜかその言葉は明瞭に響いた。

「高校生にもなって会場ではしゃいでるとか、恥ずかしくないのかなー。なにしに来てるのかわかんないよねー。そういうマナーのない人たちは帰ったほうがいいんじゃないかなー」

句点が一つ落ちるたびに、二人の前を塞いでいた人垣が裂ける。にこにこと掴み所のない笑顔を浮かべたままのいざなは、他人事のように片手でこちら右手を握り、悠々と歩いていく。

「あ、国画高専の人たちだー」

それが決め手となり、人為的に作られていた障害が引き潮の如く消え去る。事実、階段状に並ぶ座席の最上段、連絡通路に巡回と思しき国立画術高等専門学校の指定制服を着た生徒が現れていた。

「ありがとうございます、いざな先輩」

「んーん、いいのいいのー。こういう画術反応が入り乱れたところじゃないと、オープン回線で画性対話垂れ流しなんてできないしー」

 帰還した二人を迎えたのは、試合開始前のミーティングを行うべく、既に集合を終えた部員たちだった。


「よし、これで全員揃ったな」

IC製のイスに座った面々を見渡し、一人立った真秋はコンソールを操作し、各員に一枚の仮想ディスプレイを飛ばす。

「今日はかねてから予告していた通り、全国大会に向けてのポジション選考戦を行う。基本は希望ポジション内での総当たりだが、一部変則があるからその辺りは今共有した表を確認しておけ。今年もありがたくお招きに預かった以上、存分に施設を使い潰さないと損だ。各々試合の順番をしっかり頭に入れて、ちゃきちゃき回していけよ」

思い思いの返答が上がるなか、一人だけ頭上に疑問符を浮遊させている生徒がいた。

「部長、これサポーターグループの表間違ってますよ。わたしの試合が一つも組まれてません!」

「いいや櫻、これでいいんだ。なぜならお前は今回、無条件でレギュラー入りだからだ。おめでとう。という訳で、今日は皆ログ解析とか他の雑用回りはしなくていいぞ、櫻がやってくれるからな」

「わーいやったー……え?」

「試合が終わって暇してる奴らを順次回してやるから案ずるな」

「ええ!?」

「伝達事項は以上。各自フィールド使用許可時間までウォーミングを怠るなー! では解散」

「ええええ!?」

それを合図に、部員は粛々と準備に取り掛かっていた。真秋は申請手続きを頼んでくると顧問の元へ足早に走り去り、場には状況に乗り遅れた櫻だけが一人混乱のさなかにあった。そんな彼女の後ろの席で此田藤樹は思わずため息をついた。

「羨ましいな潦は。僕なんて胃薬持参で臨んでるっていうのに」

「このっちは黙りたまえ! 一人雑用とかどんなパシリですかあの部長め!」

「でもなんとなく嬉しそうじゃない、最近はさ」

冷静な藤樹の指摘に、櫻はふと曖昧な感情の滲む横顔を晒した。



 潦櫻が入学してきたのは一年生の9月。旧アメリカ合衆国カリフォルニア州、泣く子も黙るUCIC五大企業の頂点であるシリコンバレー統合企業群の自治圏域からの転学だった。所属企業の上役を務める両親が、自社製品の最新鋭試作機のデータ採集にと自分達の故郷である日本の高校へ櫻を送り込んだのだ。時世柄珍しいことではなかったし、本人も生まれ故郷の地を離れることにさして躊躇いは無かった。肌に合わない、というのが15年間を過ごしての率直な感想だった。ここではない新天地へ自らの身を置けるなら、三年間の限定付きとはいえ悪くないと思って旅立った。


 が、着いた先での生活に馴染むのには思いの外時間がかかった。いかに自治圏域の環境が特殊なものであったかを思い知らされたのである。その最たるものが自身の脊髄に埋め込まれたI(インプラント)ISDだった。もちろん、ISDをインプラント化して体内に埋め込むという技術が世界的に浸透していないものだということは知っていた。それが原因で白眼視される風潮が少なからずあるということも知っていた。しかし、実際に自分がその立場に立たされてみるまで、本当の意味での『差別』というものを理解していなかったのだと思い知らされた。

 勢力抗争が続く地帯では、いわゆる『AI狩り』と称したIISD所持者の虐殺事件まで起きている。それに比べれば安いものではあった。周囲からの奇異の眼差しやどことなく拒絶感を含んだ応対、何とも取れぬ陰口と強要される孤立などといったものは。

 唯一の心の拠り所だったペイントリウム部の活動でも、その冷たい水に浸されたような感覚はぬぐえなかった。自分は上客だった。元々ハフフィックの運用のために転校してきた以上、部としても優先して待遇せざるを得ない。恐らく親の企業から圧力が掛かっているのだろう、そんな部内の雰囲気を早いうちに察してしまっていた。


 徐々に感性と心を閉ざすことを覚えた頃、部内のある一人の生徒に目を付けた。その少女は学業にも画術にも秀で、人格的にも恵まれた、およそ何一つ欠けの無い満ち足りた人間性の持ち主だった。学年でも人気があり、誰もが彼女に好意的なように思われた。ただ、そのシルエットにはどこか歪みがあった。その違和感には自分でも納得がいっていなかった。確かに彼女は完璧だと、そう思っていた。なのにどこか矛盾を感じるのは、勘違いだとしか言い得なかった。その正体が何なのか分からないまま、ある日少女に話しかけていた。辛くないの、と。少女は初め困惑したような表情を浮かべ、そしていつものように大人びた微笑みと共に告げた。

――自分のするべきこととしたいことは違う。でも私に出来ることがそのどちらかは、私が決めることだから。

――それって、自分を騙してるだけじゃないの?

――ううん。騙してるって思う自分は、きっと答えが分からなくて迷ってるだけ。私は騙すより騙される側の自分でいたいから。

 始めはその韜晦じみた言葉の意味が分からなかった。ただ、自分の望むものが、自分の出来ることの範囲内にあるのかもしれないと思うようになった。果たしてそれは正しかった。


 そこからの行動は単純だった。有体に言えば、少女の人気に乗っかったのだ。完璧な彼女に付き従う、完璧な従者を目指した。それは理想的なポジションだった。誰にでも手に入れられる地位ではない。自身の置かれた状況、使えるカードを駆使してこそ得られた関係。それこそが自分にとっての出来ることであり、したいことと思えることだった。そうなるともはや自由だった。いつの間にか本来の暴走しがちで天真爛漫な自分としてのレッテルが板につくようになった。完全ではないにしても、特別扱いできない理由を自然と作り上げられた。そうして初めて、すんなりと心の影と光を一面に仕立て上げたことを感じた。

 

 それを自覚したとき、くやしいなと思った。結局のところ、本心からその少女のことが好きだったのだ。己のために利用したつもりが、騙していた自分を正直にさせただけだった。ほんの短い期間、胸中を賑わせた喜劇を振り返るたびにこう思うのだ。

「いやー、あややんにはかなわないなーっ」

「は?」

 櫻の本心など露知らず、藤樹は面倒ごとを押し付けられて喜ぶ珍妙な同輩が一人、彼女が信奉するその人に飛び込んでは押しのけられているのを眺めていた。




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