2.ヒーローにならない?

 変わろうと決心した次の日。

 浅野誠の前には難関が立ちはだかっていた。

 「うぅ…」

 誠は家の門の敷居から足一歩差し出し、すぐに戻すを繰り返していた。

 「ダ、ダメだ…まずここから出られない…」

 そもそも変わろうと思ってすぐに敷地内から出られるなら苦労しない。かれこれ十分はこうしているだろうか。

 「早くしないと…ピカリンさんが待ってるのに」

 厳密には待ち合わせ時間などは指定されていなかったのだが、いつまでもここでまごまごしていては待ちぼうけをくらわせてしまう。相手の好意を無に帰すようなことは絶対にしたくなかった。

 「変わるんだ…変わるんだろう、朝野誠。今ここで行かなきゃ絶対に進めなくなる……」

 意を決し、もう一度敷居を跨ぐ。片足は敷地の外の道の上へ……踏み出そうとしたが結局敷居の上に降り立つ。

 「駄目だぁ~…どうすればいいんだよぉ!」

 何度挑戦しても足が敷居を越えようとするたびあの日の記憶がフラッシュバックしてくる。赤の他人から受ける奇異の視線、嘲笑は彼の心に深く刻み込まれていた。

 いっそ諦めてしまおうか…。変わりたいと思ってもここから出ていけないのでは変われるわけもない。ならばいっそのこと全て放り投げ出してしまってもいいのではないか。

 

 『強くならなきゃ。体じゃなくて心の方を』

 昨日のチャットの文面が蘇る。

 「そうだ…変わりたいなら強くなるしかない…。すぐに諦めるてちゃ強くなんてなれない」

 くじけかけた心をもう一度奮い立たせる。『変わりたい』という想いはずっと彼の中に燻り続けていたもの。それでも変われなかったのはすぐに諦めてしまったから。立ち向かうことを恐れたから。変わりたいと思うならすべて振り払わなくてはならない。

 気持ちを新たに誠は思案する。

 そもそも自分が敷居の外に出ようとして躊躇うのはなぜか。それは以前のトラウマが横切るからである。外に出る瞬間、あの日のことを思い出し躊躇ってしまうのだ。

 ならば。

 「何も考えないで外に出るしかない」

 しかし、それが可能かというと難しい。直前になってまたトラウマが刺激されて二の足を踏むのは目に見えている。

 「…………よし」

 誠は敷居から離れ、玄関へと向かう。そしてくるりと向き直りまっすぐ敷居から外の世界を見つめる。

 スーハーと深呼吸。

 

 「わあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 声を上げながら全速力で駆け出した。

 全速力で走れば足を無理矢理にでも前に動かせる。声を上げればあのトラウマを敷居の外に出るまでの短い間だけでも消しされる。近所迷惑になるかもと考えはしたが、自分を変えるためにこの際目をつぶってもらうことにする。

 走り出してすぐに敷居が迫る。その先に飛び出すのに五秒とかからないだろう。声は上げ続ける。外の世界が迫るたびにトラウマが何度もぶり返してきそうになるのを必死に押し込める。目も閉じてしまう。ゴールが見えてしまえばそれだけ足が竦んでしまいそうになる。ならばいっそのこと視覚まで塞いでしまい全ての情報をカットする。

 後どれくらいだろうか。嫌にゆっくりに感じる。もう敷居の外に出たのだろうか、それともまだ敷地内なのか。目を開けて確認しようと思ったがもし敷地内だったら足を止める原因になってしまう。ならば突っ走り続ける。

 一秒、二秒と時間が過ぎていき、そして。

 「ズベェエエエエ!!!」

 何かに躓き派手に転んだ。

 全ての視覚情報をカットして全速力すれば何かに蹴躓けつまずくのは当然。

 どうやら敷居に引っかかってそのまま外に飛び出したようだ。

 「もっと考えるべきだった……さて、どうし…よう…」

 外?

 誠は周囲を見渡す。そこは見知った我が家の敷地ではなく、その敷居の先。何度も踏み出そうとして躊躇っていた外の世界だった。

 「あ……出てこれた……」

 幸か不幸かがむしゃらになって飛び出したのは間違っていなかったようだ。

 そして、不思議なことにあれほど怖がっていた外の世界にいざ出てみると何も感じられなかった。

 「は、はは…カッコ悪いけど……なんだ」

 外の世界は全然怖くないじゃないか。

 誠はすくっと立ち上がる。いざ出てみればなんということはないじゃないか。

 暗雲に包まれていた心の中が次第に晴れていく。

 これなら大丈夫。自分は変われる。カッコ悪かったとはいえ外に出ることができた。がむしゃらにでも挑戦することが大切だったのだ。

 誠は膝を払い、ピカリンとの待ち合わせ場所に向かって歩き出す。

 今の彼の心はこの空のように青く晴れ渡っていた。




 前言撤回。人間怖い、お外怖い。

 誠はできる限り下を向きながら早足で歩き続けていた。そのスピードは競歩選手もかくやというレベル。

 外に出た感動ですっかり忘れていた。彼が怖いのは外ではなく、外にいる他者であることを。人通りのない場所は別に平気だった。しかし、人がだんだん増えていくと急にさっきまでの強気は何処へやら。今ではできる限り早く脱出しようと早足で歩いている。

 チラリと横を見る。周囲の人はそれぞれに思い思いに過ごしている。しかし、周りが少しでも笑うとなんだか自分が笑われているような錯覚に陥る。いくらなんでもありえないのだが、彼に刻まれたトラウマは彼が思う以上に重症なようだ。

 こんな調子で大丈夫なのか、しかも今はまだ徒歩だが目的地には電車で行かねばならない。

 「耐えられるかな……」

 青空のように晴れた心も今はすっかりどんより曇り空に戻っていた。


 駅までもうすぐというところまで来た。ある意味で一番の難関と言える。

 突然なのだが朝野誠はまだ高校生である。年齢以上に大人びているわけでも若く見えるわけでもない。年相応の容姿だ。そして、今は平日。本当なら高校生は学校で勉学に励んでいる時間帯。

 「君、ちょっと待ちなさい」

 だから、この時間帯に出歩いていれば警察官に呼び止められるのも無理はなかった。

 「君、学生じゃないかい?今日は学校じゃないの?」

 警察官二人は足を止めた誠に近づいて来る。ここで捕まれば間違いなく補導される。そうすればせっかくここまで来た苦労が水の泡だ。

 そして、ただでさえ他人が怖い誠がそんな緊急事態に冷静な対処などできるはずもなく。

 ダダダダダダダダダッ!

 彼は脱兎のごとく逃げ出した。

 「あ!こら、待ちなさい!!」

 当然、突如走り出した彼を二人の警察官が見逃すわけがない。

 かくして誠と警察官たちの熾烈な鬼ごっこが始まった。

 一ヶ月も引き篭っていたというのに誠の足は早かった。これも火事場の馬鹿力と言えるのかもしれないが間違いなく自分より鍛えている警察官二人から逃げている。すると、いつの間にか別れたのか突如目の前に警察官の一人が現れ、まるで分厚い壁のように立ちはだかる。おそらくは路地裏などの近道を使って先回りしたのだろう。

 「さあ、止まりなさい!」

 前門の警察官と後門の警察官。逃げ場は絶たれた。もう諦めてしまおうか、ゴールにたどり着けないことは残念だが外に出られただけでも十分ではないか。誠の足がだんだんと勢いを失う。

 「いや、これがダメなんじゃないか!」

 挑戦しようとするたびに諦めてしまう心。これを変えたくて自分は外に出てきたのではないか!

 しかし、どうする。この状況がピンチなのは間違いない。頭をフル稼働させて考える。そして、決めた。

 「わあああああああああ!!!」

 誠は前に飛び出し、壁となって立ちはだかる警察官の股下をくぐり抜けた。これは完全に賭けだった。壁になる警察官は格闘技やラグビーでもやっていたのかとても大柄でがっちりしていた。足を肩幅に広げて、誠が飛びついても捕まえられるように構えていた。だからこそ、逃げるなならその足元しかなかった。

 以前、幼馴染が言っていた。大柄な相手と組み合うときは懐に飛び込めばいいと。だからこそ、誠は警察官の足の間という予想外の場所を選んだ。

 結果として股下を潜られた警察官はバランスを崩し、追いかけていた警察官も止まりきれずに衝突した。

 誠はその隙を逃さず走り出す。正直、足はもうパンパンだがここで足を止めては意味がない。だが、当然警察官たちも諦めない。むしろ、さっきよりムキになって追いかけてくる。その形相の恐ろしいことよ。

 「「待たんかーーーーー!!!!」」

 「はあ、はあ、はあ……!!!」

 誠はいつの間にか本物の鬼に追いかけられているような錯覚に陥る。それだけ警察官二人の形相がすごいことになっていた。あまりの恐怖に思わず叫んでしまう。



 「た、助けて!お巡りさーーーーーーん!!!」


 「「お巡りさん、こっちぃ!!?」」



 「き、奇跡だ……」

 そう、奇跡的に誠は警察官二人から逃げおおせた。目の前だった駅に着くまでかなり追い掛け回されたが。今にして思えばアレは公務執行妨害とかに問われるのではなかろうか、いやそもそも何もしてないのに追い掛け回されるのも理不尽だ。でも、よくよく考えてみれば本来学校に行ってるはずの時間帯に出歩いているのだから補導対象になるから反論はできない。

 「と、とにかく行こう」

 いつまでも駅にいたら捕まる可能性もある。誠はそそくさと券売機に向かい、切符を購入する。

 「三番線か…すぐに来そうだな」

 切符を買うとすぐに駅のホームへと向かう。平日の日中帯とはいえ意外と利用客は多く、スーツ姿の会社員や大学生のような人々もちらほら見受けられる。すると、その中で大荷物を抱えた老年の女性がよたよたと心許ない足取りで歩いている。周囲の人はそれが見えているのかどうかわからないが誰も気にも止めない。かくいう誠も正直素直に手助けにはいけない。ただでさえ人と接するのが恐ろしくなっており、こんなごった返した場所でさらに自分から声をかけるなんて到底無理だ。お年寄りには申し訳ないがここはスルーで。

 「フゥ…あいたたた…」

 誠が横を通り過ぎようとすると、大きな荷物を降ろし腰を叩く声が漏れ聞こえてきた。

 「…………」

 彼に祖父母はいない。父方も母方も彼が生まれる前に他界している。しかし、敢えて言おう。彼はお爺ちゃん、お婆ちゃんっ子だ。

 彼の言う祖父母とは上杉家の人たち。つまり幼馴染の祖父母のことである。両親が亡くなり、彼を引き取った茂美だが彼女の仕事の都合上どうしても家を空けねばならないことがあった。本来であればそのような不安定な状態の人間が預かることはできないのだが彼女が頑として譲らなかったためである。そんな時に代わりに面倒を見てくれたのが他ならぬ上杉家の人々だった。何故だか父親にだけは昔から警戒されているが。

 特に祖父母からは幼馴染と同じように可愛がられた。祖父は手先が器用で多趣味であり、敷地内に生えている竹から竹とんぼや竹馬などを作ってくれたり、木工などを教えてくれた。祖母はおおらかな人で畑栽培が趣味だ。季節によっていろいろな野菜を作り、近所にお裾わけをしていた。特に真夏のキュウリや枝豆は特に美味しかった。

 そんな二人に可愛がられた誠がお爺ちゃんっ子お婆ちゃんっ子になるのは必然といえよう。

 「お婆さん、大丈夫ですか? 荷物持ちますよ」

 だから、年寄りを無視していくことはやはりできなかった。たとえ見知らぬ他人だったとしても。

 「あ、いいよぉ。お兄ちゃんも急いでるんだろ?私みたいな年寄りのことは気にしなさるな」

 「僕なら大丈夫です、それよりこのままお婆さんを放っておくことはできないですよ」

 そう言って誠は手を差し出す。変に遠慮される前にこちらから踏み込んでいく方がいいと思ったからだ。

 「そうかい? 重いから気を付けてね」

 「大丈夫ですよ、だっ!!!?」

 荷物に手をかけ、持ち上げようとする。しかし、想像以上の重さに危うく腰に魔女の一撃を受けるところだった。

 何故だ、何故こんなに重い。

 あまりの出来事に困惑する誠。だが、ふと思い出す。

 老人と言えば身体中が思うように動かなくなり非力だと思われているが、こうやって行動的な老人に限ってやたらとポテンシャルが高い。それは上杉家の祖父母を見ていればわかる。若いころの鍛え方か未だに背筋の伸びた二人は竹を斧で斬り倒し、畑で収穫した野菜を素手で運び出す。

 そして、それは目の前のお年寄りも一緒。能ある鷹は爪を隠すとは言うが、まさにこういうことを言うのだろうか。

 「お兄ちゃん、大丈夫かい? 無理しちゃいかんよ」

 「へ、平気平気!」

 腰に力を入れて持ち上げる。少しでも油断したらすぐに倒れてしまいそうだ。しかし、自ら手助けを志願しておいてやっぱり無理でしたなどあまりにもカッコ悪すぎる。心配そうな目の相手に出来る限りニコヤカに尋ねる。

 「そ、それで何番線ホームですか?」

 この駅は一から七番線まで通っており、七番線が一番遠い。できれば近場でお願いしたところだが。

 

 「七番線までだよ」

 神は我を見捨てた。


 「ありがとうねぇ、重かったろう?」

 何度も挫けそうになったものの一度引き受けた手前諦める訳にもいかず、数少ない根性を武器になんとか七番線ホームまでたどり着いた。すでに手はプルプルと震え、足腰もガクガクと笑っている。しかし、このお年寄り。荷物が無くなった途端、すいすいと歩いていく。最近の高齢者は本当に逞しい。

 「い、いえ、全然、問題ない、です」

 本当は全然大丈夫ではないが、最後までカッコつけるべきだろうか。

 「それより大丈夫ですか? 流石に一緒に行って最後まで荷物持ってあげることはできないんですけど」

 「それは大丈夫だよ。向こうで迎え呼んであるから」

 そう言ってスマートフォンを見せてくる。最近のお年寄りはハイテクだ。

 「ほら、お兄ちゃん。こんなもんで悪いけど」

 「え?」

 手渡されたのは袋に入った飴だった。

 「別に気を遣ってもらわなくてもいいのに…」

 「ただの感謝の気持ちだよ。取って置きな」

 老婆はにっかりと笑う。快活な笑顔だ。どこか上杉家の祖父母を思い出す。

 「ありがとうね、助かったよ」

 そう告げられると同時に、電車のドアは閉まりホームを抜けて行った。

 誠は受け取った飴玉の感触を確かめるように握りしめる。なんだか不思議な気分だった。

 『三番線ホームに電車が参ります。白線の内側に下がってお待ちください』

 「あ」

 

 結局、彼は一つ後の電車に乗った。



 最寄りの駅から三十分。電車は目的地の駅に到着した。

 こちらの街は誠の地元よりは都会で人通りはさっきの駅より多い。

 「えっと、カフェ・サンセット……ここか」

 待ち合わせ場所は駅前のカフェとなっていた。そのカフェは駅を出てすぐの場所に店を構えていた。

 店構えはシックで派手目な看板が多い駅前には逆に少し浮いているようにも見える。それでも店内には客が入っており、雰囲気も良さそうな店だ。

 誠は扉に手をかけて、ゆっくりと開く。

 店内は店構えと同じように黒を基調としたシックな空間だ。店内に流れるクラシック音楽も店の穏やかな雰囲気を醸し出している。

 「いらっしゃいませ、お好きなところにどうぞ」

 「えっと……」

 そういえばだが目的地には付いたが、肝心のピカリンの顔を知らない。それは相手も同じで目印になるようなものも話し合っていない。

 どうしたものかとわたわたしていると……。


 「やあ、アサくん。よく来たね」

 

 二人掛けのテーブルに眼鏡をかけた少女が笑顔で手を振っていた。

 

 推定ピカリンと思われる少女に促され、席に着く。

 「やぁ~、ホントに来てくれるとは思わなかったよ」

 目の前の少女は随分と親しげに声をかけてくる。

 「あの、ピカリンさん…なんですよね?」

 「うん、私があのサイトの管理人ピカリンだよ」

 誠がおずおずと訊ねるとピカリンはニコニコと答える。

 「あれ、もしかして疑ってる?」

 「い、いや、別に疑ってるわけでは!」

 本当はだいぶ怪しんでいる。ネット上では本来とは逆の性別で利用するものが多い。特にチャットやネットゲームにはよくよく見られる光景だ。

 「まあ、気持ちはわかるけどね。でも私は正真正銘ピカリンだよ。君のチャットネーム知ってるのは本人だけだよ」

 そう言えばそうだ。あのチャットは不特定多数との会話ではなく、管理人たるピカリンと本人だけのクローズドチャットなのだ。それであれば『アサくん』というネット上の名前を知ってるのは彼女だけになる。

 「わかってくれた?」

 「あ、はい、すみません」

 「いいのいいの、それよりホントによく来てくれたね」

 疑ったことに対して気にも止めることなく話を続ける。

 「正直、あんな怪しい誘い方で来てくれるとは思ってなかったから」

 「え」

 「だって『変わる方法教えてあげる』って怪しくない? なんか宗教とか自己啓発セミナーの勧誘みたいで」

 言われて初めてその怪しさに気付く。変わる方法を教えるという言葉にすっかり惑わされて失念していた。

 「でも安心して私はそういうんじゃないから」

 ピカリンは注文していたコーヒーを一口含む。

 「……あのピカリンさん」

 「ひかり

 「はい?」

 「光でいいよ。流石に外でピカリンは恥かしいや」

 「あ、はい。僕は朝野誠といいます」

 「なるほど、だからアサくんか。改めてよろしくね」

 光は人懐っこい笑顔でそう答える。現実では初対面であるにも関わらず全く警戒心がない。なんとも不思議な感じだ。

 「あのそれで光さん、変わる方法って……」

 「それより前に一つ、君に教えておかないといけないことがあるんだ」

 スっとニコニコ笑顔を引き締める。

 「今から言うことを笑わずに聞いてくれるかな?」

 「は、はい!」

 そのシリアスな表情に誠は押し黙り、彼女の言葉を待つ。自分が外に出るきっかけをくれた心の師匠たる彼女の言葉だ。どんな台詞が来ようとも真摯に受け止めようと覚悟する。

 

 「実は私、未来から来たの」

 

 「ご馳走様でした」

 誠は席を立ち会計へ向かう。

 「待ってぇええ!!」

 それに追いすがるように光が付いてくる。

 「ちょっとどういうこと!? 笑わないで聞いてって言ったじゃん!」

 「笑ってはいないですよ。呆れてるんです」

 シリアスな表情で何を言い出すかと思えば言うに事欠いてとんでもない妄言が飛び出してくるとは。

 「聞いて! 落ち着いて聞いて!? 帰るのはそのあとでもいいから!」

 物凄い懇願を受けて、仕方なく席に座りなおす。

 光はコホンと咳払いをする。

 「えっとね、さっきも言ったとおり私は二五年後の未来から来た未来人なの」

 「はあ……」

 「今から百四十八時間後。つまり一週間後にこの世界は外敵が侵略しに来るの」

 「外敵?」

 「そう、名前は『異世界帝国ディメンゾーナ』。いくつもの世界に進出して尽くことご破滅させてきた侵略者よ」

 光はいたって真面目に語っている。

 「私は奴らに対抗するために二五年後からこの時代に来たの。奴らと戦うために」

 「それを僕に話してどうするの?」

 こういう話は警察とか自衛隊とか国の上層部に伝えるべきではないだろうか。

 いや、聞くまでもなくこんな話を真に受けている暇なんてないのだろうけど。

 「君だから、だよ」

 しかし、光は誠をまっすぐ見つめる。

 その視線は真剣そのものだ。

 

 「ねえ、アサくん。ヒーローにならない?」

 

 がたっ、ガシッ。

 誠が椅子を引こうとすると前に座る光が足で押さえ込んでくる。

 「ちょっと最後まで聞いてよ!」

 「だっていきなりヒーローにならないなんて聞かれても困るよ」

 「信じて!君がヒーローにならないと世界が滅んじゃうんだよ!?」

 「侵略者とかヒーローとか云々よりまず光さんが未来人だっていうことすら信じられないのにどうすればいいのさ」

 光から逃れようとするも、彼女の必死の抵抗に会いまた椅子に座りなおす。

 「よし、わかった! 私が未来から来たことを証明すればいいんだね!」

 そう言うと彼女はタブレットを取り出す。しばらく何やら操作していると。

 「今から十秒後、この店にカップルが入店するわ!」

 すごく自信満々にそう予言してくる。

 なんだかすごく胡散臭いがここまで自信があるのなら待ってみよう。

 そして、予言通り十秒後。カフェの扉が開かれる。

 入ってきたのは……。

 二人の女性。スーツを着てるところからOLだろうか。昼食を摂りに来たようだ。どう見てもカップルではないだろう。

 チラリと光の方へ視線を向けると、彼女は「あるぇ~?」といった表情で首を傾げている。何にせよ彼女の未来人発言はこれで嘘だということがわかった。一瞬もしかしたらと信じかけたのだが。

 「先輩、今日はどうしますか?」

 「うーん、そうねぇ……」

 「ひゃっ!」

 「私はあなたを食べちゃいたいわ」

 「せ、先輩、ここじゃあ……」

 「あら、ここじゃなければいいの?」

 「む~……先輩の意地悪」

 

 思わず耳を疑った。何だ、今の会話は。

 女性たちの方を見ると、二人は仲睦まじく手と手を絡み合わせる。所謂恋人つなぎでイチャイチャしている。余りにもな展開に呆然としていると、首をかしげていた光が今度は「ほ~らご覧」といった様子でドヤ顔を発揮してくる。カップルなんて言われたら普通は男女を浮かべる。それがまさかの女性同士の組み合わせ。結局のところ、結果的に言えば光の予言が当たったことになる。しかしなんだろうか、この微妙に納得のいかないモヤモヤは。

 「どうよ、これで信じてくれる?」

 「う~ん…当たってはいたけど女の人同士とは…」

 「愛は万国共通だけど愛の形は十人十色だよ」

 そうは言われてもやはり微妙に納得がいかない。

 「あ、まだ疑ってるね。よし、ならもう一つ」

 光はまたタブレットを操作し始める。一体そのタブレットで何が分かるのだろうか。

 「えっとね、二分後にこの喫茶店に鉄砲を持った男がやってくるわ」

 さっきとは打って変わって凄い物騒な予言だ。

 「え、それって強盗ってこと?」

 「大丈夫、その男は店員に鉄砲を向けるけどすぐお爺さんに止められるから」

 まさかのお爺ちゃんヒーロー。

 困惑する誠を他所に時間は彼女の予告時刻になる。それと同時に店の扉が開く。

 「いらっしゃいま、わっ!?」

 ウエイトレスの悲鳴にビクッと体が跳ねる。しかし、銃声のようなものは全然聞こえてこない。

 「ねーねー、見て見て! お爺ちゃんに買ってもらったの」

 「こりゃ! こんなところで人に向けるんじゃない!」

 銃声の代わりに聞こえてきたのは子供の声と怒る老人の声。

 振り向くと、ウエイトレスに黒い銃を向けていた男の子が祖父と思わしき老人に叱られている。

 「すいません、あまりに欲しいというので買ってあげたらよっぽど嬉しかったようで」

 「いえ、大丈夫ですよ。お好きな席にどうぞ」

 平謝りしている老人。よくよく見てみると子供の持っているのは鉄砲は鉄砲でも『水』鉄砲だった。最近の水鉄砲はやけにごついものもあるが、あそこまで忠実に再現しなくてもいいのではないだろうか。

 老人はひとしきり謝罪すると孫の少年を連れて席に着いた。

 銃を持った男が入ってきて老人に諫められる。

 当たっている、当たってはいるのだが。

 前の席に座る少女を見るとやはりドヤ顔。

 「さ、これで信じてくれる気になった?」

 これまで光が予言したことは全て当たっている。内容と結果が微妙に納得はいかないが、時間も正確だ。どんな形ではあれ、彼女が未来の出来事を知っているという証拠になるだろう。

 でも……。

 「ごめんなさい、やっぱり侵略者とかヒーローとかは……」

 「え、ここまでしてまだ信じてもらえてない感じ!?」

 「光さんの言ってることは当たってると思います。でも、僕にはやっぱりヒーロー番組みたいな予言は信じられなくて……何より僕がヒーローになるなんて」

 人の悪意で簡単に引き籠もりになってしまった自分が強大な侵略者相手に立ち回れるなんて思えない。

 「で、でも、アサくんがヒーローにならないと世界が滅んじゃうんだよ?」

 未来のことはわからない。どんな歴史を辿るかなんて現代の人間に見通すことはできない。彼女の言うとおり一週間後に侵略者が攻めてくることもあるかもしれない。でも、確実に言えることは……。

 「僕がヒーローになっても世界を守るなんてできないよ……」

 誠はガタリと椅子から立ち上がり、店の出口へと向かう。今度は光も無理やり止めてこない。誠は会計を済ませ、そのまま店の外へと出た。心無しか来る時より空が曇っているように感じる。憂鬱な心を抱えたまま駅に向かおうとすると。

 ガチャン!

 背後の喫茶店の扉が勢いよく開く。

 

 「お願い! 私を信じて!」


 そう叫ぶ彼女の顔は切実な表情だった。

 

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