第43話

 ――リコネスの報告書は、そうして締め括られていた。

 そしてそれは一見して、さほど問題のない報告書ではある。

 ただ、ローザはそれを受理するべきかどうか、しばし悩むことになった。報告書について、正確を期するならば、さらにいくらかの追記が必要となるだろう。そしてそれは、ひょっとすれば重要なことかもしれない。

 しかし、リコネスにそれを求めるのは困難であることも、ローザは同時に理解していた。

 仕方のないことなのだ。リコネスに追記することなどできるはずがない。ローザはその、本来ならば書き加えるべきなのだろう、現場での出来事を思い出していた。

 それは地下を爆破し、脱出した後のことだ――

 ローザはたちは爆発の衝撃を瓦礫の陰に隠れてやり過ごし、崩壊した警察署に近付いていった。

 そうしたのは単なる好奇心でもあったが、成功を確認するためでもあった。

 建物の直下にある空洞を崩落させたために、必然として建物自体も地面に沈むように崩れていた。また建物自体を爆破したわけではないため、瓦礫がさほど飛散することなく、その場にうずたかく積みあがることになった。

 濛々と立ち上る砂煙は、暗闇の中でさらにその惨状を隠そうとするようでもあったが、強い風に吹かれて消えていく。ローザがランプの光を当てる頃には、そのほとんどが廃墟の空に溶けていた。

「終わった……んですか?」

 誰にでもなく呟くのは、リコネスだった。

 それは聞かれるまでもなく、また答えるまでもないことではあった。リコネスもそれはわかっていただろう。だからこそ誰も明確には答えず、リコネス自身すらも、冒険者たちが大きく伸びをしたり、やれやれと息をつく中に混じって、安堵したようにその場に座り込んだ。

 しかし、唯一それに異を唱え、答えてくる声があった。

「ま……まだ、終わってはいない……」

 それは瓦礫の中から聞こえてきた。丁度、座り込んだリコネスの正面である。そして――

「終わっていないのだァ!」

 ヤケクソな叫びを上げて、”それ”は瓦礫の中から現れた。

 石の砕片を噴き上げ、マグマか何かのように顔を出す。まぶたのない赤黒い眼球にランプの光を反射させる蜘蛛型のモンスター、ネスト。

 彼は上半身の半分ほどを瓦礫から這い出させ、変形した人間の腕と、明確な蜘蛛の足を二本ずつ露出させた。

「まだだ……まだァ!」

 怨霊じみた執念深さを露にしながら、怨嗟の声を響かせる。それは暗闇の廃墟と相まって、恐るべき気配を生み出していたが――

 ごっ。と、その頭を蹴り倒したのはエルだった。喫驚して尻を擦らせながら後退するリコネスに入れ替わって、彼女が眼前に立っていた。

 さらに、「何を……」とネストが抗議する前にもう一度、蹴る。今度は踵が鼻頭に当たったらしく、ネストは悲鳴じみた呻き声を上げた。エルは何が気に食わなかったのか、「出来損ないの怨霊は許さない」などと呟き、さらに足を振り上げようとしていたが。

「……それで、なんなのよ? 性懲りもなくまた出てきて」

 哀れになったのでエルを止めて、代わりにローザが前に出る。驚異的な生命力で生き延び、這い出してきたらしいモンスターは、しばし涙をしゃくり上げてから多少調子を取り戻した。

「ふ、ふふ……まだだ、まだ終わっていないのだァ」

「それは聞いたわ。何が終わっていないのよ。なんなら、もう二、三発蹴ってもらってもいいけど」

 と、背後で蹴りの素振りなどしているエルを指差す。ネストは怯えたようだが、涙目になるのをなんとか堪えて声を張り上げた。

「確かに、我々は敗れたかもしれん! しかしまだ終わってはいない……言っただろう? 我々は”あの方”に仕えているのだと」

「それが誰なのかは聞いていないわよ」

「聞いたことはないか? このミッドウォーを崩壊させたのが、誰だったのか」

 含みを持たせて不敵に笑う、ネスト。

 それに最も早く反応し、理解したのは――その戦いに加わった過去を持つ、マナガンだった。

 彼は言う。信じがたいという顔で、また恐怖に怯えきった顔で。

「まさか……あの時のドラゴンか!」

「ドラゴ、ン……?」

 ぽつりと、震える声で聞き返したのはリコネス。彼女も当然、その名前は聞いたことがあるだろう――どこか意識を消失させたように表情を消しながら、呟く。

「ドラゴンって、あの、大きくて、火を吹いて……」

「そうだァ!」

 勝ち誇り、ネストはさらに声のトーンを上げた。

「さらにあのお方は、ドラゴン種族の中でも最も暴悪で、凶悪で、がめつく、強欲で、業突く張りで人使いが荒くて口も悪くて無茶な要求ばっかりで……」

 後半は愚痴っぽく早口になっていたが――ともかく、と気を取り直して叫んでくる。

「あのお方は財宝を求め、既に様々な町や村を壊滅させているのだァ! ここミッドウォーはもちろん、山の向こうも含めればニルミック、ファンフォーム、ドルチウム――」

 と、ネストがいくつかの町や村を並べ始めたところで、彼はふと気付いて言葉を止めた。

 リコネスが音もなく卒倒し、それに気付いたローザたちが介抱を始めていたのだ。

「…………」

 どこか取り残された心地になりながらも、ネストはまた勝ち誇る。

「ふんっ! どうやらその小娘は、恐ろしさが理解できたようだなァ。あのお方にかかれば、お前たちなぞ」

「その前に――」

 言葉を遮って。

 聞こえてきたのは、全く別の声だった。冒険者の誰でも、モンスターの誰でもない。

 ましてそれは、廃墟の中からでもなかった。空だ――とローザは直感し、見上げた。

 そこに。黒い星空の中に、さらに暗黒の影が浮かんでいた。

 一見すれば巨大なトカゲかもしれない。ただし全く違うものとして、それには大きな翼が生えていた。さらに健在だった頃の警察署にも引けを取らないだろう異常なほどの巨体であり――高度な知能を持ち、数々の魔法を扱うと伝えられる、最上級モンスター。

 それが今、目の前に降り立とうとしていた。ゆっくりと……ひょっとすればこの廃墟に吹き荒れていたのは、そのモンスターが起こしていたのかもしれないと思えるほどの、巨大な翼による羽ばたき音を響かせながら。囁くだけでも大音声の、暴虐な音波の声を響かせながら。

「無能な者には、消えてもらわねばなるまい」

「……ドラゴン……」

 ローザは我知らず呟いていた。体内を流れる血が凍り付いたように、動けなくなる。眼球だけが揺れ、しかし目を離すことができない。

 他の冒険者たちは声もなかった。喋ることができたのはローザと、ネストだけだった。そしてネストも、怯えきって泣き叫ぶ。

「な、なぜここに!? いえ、お待ちください! 確かに今回は惜しくも敗北を喫したかもしれませんが、これはある種、不慮の事故のようなもので……!」

 声を無視する形で、それはとうとう地面に足を着けた。ローザたちの眼前に、暗黒の竜がそびえ立つ。そこに発されるものは、もはや威風や威圧、脅威などという次元では測れない。暗闇の中でもわかる強靭な身体は、傷付けることすら叶わない。

 ドラゴンが口を開けようとしている――それを見て取り、ローザは咄嗟に声を張り上げていた。仮にドラゴンのそれが、ただ部下を叱咤するためのものだったとしても、叫ばなければならなかった。

「逃げなさい! 早く!」

 瞬間、踵を返して駆け出す。倒れているリコネスの腕を掴み取り、抱え上げるようにして、暴悪なドラゴンに背を向ける。

 その行為自体、危険ではあったかもしれない。しかしそれ以外の何をするよりもマシだっただろうと、ローザは確信していた。

「ドラゴン退治も、できるのではなかったのか!?」

「……相棒がいたらの話よ!」

 遅れずについてきたマナガンの軽口に答えながら。

 そしてドラゴンがとうとう息を吸い上げる絶望の音を聞きながら、そこから逃れるために全力で足を前に投げ出していく。

 追われることは考えていなかった。少なくとも――

(あれは強欲だけど、”無策のうちは”人間の里まど追ってくるほど愚かでもないはずよ)

 その確信にすがりながら、逃げる。逃げなければならない。

 背後から熱風が吹き荒れた。爆発のようだと思うほど、凶悪な熱波。その激風に押し出されるように、ローザたちは廃墟から脱出したのだ――

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