第30話

 建物の内部は六年という月日を如実に示すような、古びた姿を見せていた。

 少なくとも石製の壁には無数のヒビが入っているし、実際に砕けている部分も散見される。ところどころ別種のひらひらしたものが見えるのは葉っぱだった。

 要するに、ここにも蔦が伸びているのだ。ヒビだらけにも関わらずまだ天井が残っているのは、そうした蔦と、二階から上が失われたおかげで身軽になったために他ならないだろう。

 見張りのいなくなった入り口から入り、最初に感じられたのはそうした印象である。内装に目を向けても、印象自体は変わらない。つまりボロボロだと思えた。

 署内は左右対称な造りになっており、入り口のすぐ正面には受け付けカウンターがある。めくれた板張りの床にいくつか落ちているプレートは、窓口の区分を示すものだったのだろう。

 そうした受付の左右に通路が伸びており、先には上階へ続く階段が……あったはずだが、今は崩れている。そこまでの間には、部屋が並んでいた。左右どちらにも、廊下を挟んで二つずつ、合計八つ――警察官の詰め所だ。

 部屋の扉も当然同じ数だけあるが、そのうち奥の四つは傾いて開きっ放しになっていた。さらにその手前の二つは床に落ちていて、一番手前のうち一つは閉じられているが、上半分が砕かれている。

 結局、まともに扉が機能しているのは残った一つだけということになる。そしてそこは、部屋としても機能しているようだった。

 そもそも周囲の状況を見回すことができたのも、その部屋のおかげである――外からでも見えた、唯一の明かりだった。

 静寂とした建物内では、そこにいる盗賊たちの声も聞き取ることができた。

「それにしても今回は上手くいきやしたね」

「まったくだ。それもこれもボスのおかげってわけだな」

 酒でも飲んでいるのか、酔っ払った声音で愉快そうに言い合っている。それを聞きながら、マナガンは不敵な笑みを浮かべて先へ進もうと示してきた。

 彼が指差したのは受付の奥である。そこは間仕切りのような壁があり、奥にある関係者用のスペースを見せないようにしていたのだが……薄暗い中で慎重に見やれば、壁の一部が崩れているのに気付くことができた。

 丁度、人がひとり通り抜けられるくらいだろう。どこか無理矢理にこじ開けられた感があり、盗賊の仕業なのかもしれない。わざわざそんなところに穴を空けるのは――その先に行く必要があったために他ならない。

 マナガンの先導でオデッサが続き、最後尾にリコネスがつく。壁の先は明かりも届かず、ほとんど完全な暗闇になっていて、リコネスは二度ほど顔に蜘蛛の巣を引っかけてしまった。

 ランプの存在を思い出したのはその頃である。

 明かりを点けると、石臭い通路が姿を現す。そこはまさしく、警察署の”裏”といった雰囲気があった。暗闇のせいかもしれないが、なんらかの暗部を感じさせる造りではある――真っ先に感じられるのは通路の狭さだ。ふたり並ぶので精一杯だった。いくつもの蜘蛛の巣が見つけられたのも、廃屋の雰囲気と同時に不気味さを担う一端だろう。

 いくつも並んだ部屋は取調室や留置場など、逮捕者に関連するものである。先頭を行くマナガンは、そうした部屋の一つ一つを開けて確認しながら呟いてきた――ここならば盗賊に聞こえる心配もないようだ。

「盗賊は恐らく、全部で十人だろう。三人は既に倒しているので、残りは七人ということになる」

 言いながら部屋の扉を開け、かぶりを振ったのは、目当てのものを見つけられなかったせいらしい。それがなんであるのか、リコネスにはわかりかねたが、オデッサは理解している様子だった。また青年は、自分よりも歳経た冒険者が続ける状況整理を既に自分の中で完結させていたように、全く聞く気のない顔をしていたが。

「人を誘拐しておいて、表門の見張りを蔑ろにするはずがない。つまりあれが見張りに出せる最大人数だったわけだ。裏門――正確に言えば建物の横にある門だが――にも同じ数がいるとして、明かりの点いた部屋には最低でもふたり。会話からして、ボスもいるはずだ。そして……地下牢にひとり」

 また扉を開けて、かぶりを振る。通路はぐるりと建物を半周するような造りになっているらしく、間もなくその端に着いてしまうだろうと思われた。この”裏”に直通する門もあるようだが、それは中からでも瓦礫に埋まっているのが見て取れた。

「地下には看守部屋があるはずだ。そこに見張り、というか看守の役目をする者がいるだろう。実質的に、あとはその者を倒してしまうだけだと言える。誘拐された娘を連れ出すのは造作もない」

 牢そのものへの見張りはいないのか――というのは、リコネスが抱きかけた疑問だった。

 しかしそれに先回りするように、マナガンは付け加えた。

「風もなく、星も月もなく、目の前にただ闇が広がるだけという牢の前に立ち尽くさせるのは、それ自体が投獄だ」

 そう言って皮肉に笑いながら、また一つの扉を開ける。もう通路は終わりが見えており、上階へ続く階段の残骸が、すぐ近くに積もっていた。それを避けるように、開けた部屋の中に入り――マナガンは満足げに、その奥まで進んでいった。どうやら目的のものを見つけたらしい。

 それは、扉だった。今までいくつも開けたはずの扉が、部屋の中にも設けられている。

 しかしデザインは少し違った。重量感のある鋼鉄で作られているのは変わらないが、大きく、頑丈そうな錠前が二つも付けられていた。ただし、どちらも外されている。

「潜入への警戒よりも、自分たちの利便性を優先したというところか」

 嘲笑するように呟きながら、マナガンが扉を引き開ける。ギギィ……と錆びた鉄扉がゆっくりと口を開けて――

 そこに現れたのは、地下へと通じる階段だった。

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