第25話
悲鳴は休むことなく続いていた。もっともそうでなくとも、トンネルは一本道である。湾曲した道に従って出口へ向かえば、自然と声の主のもとには辿り着ける。
ただし声は時間を追うごとに、驚愕の悲鳴から、絶望の絶叫へと変化しているようだった。危機を抱いて焦る足をなんとか制御しながら、しばしの時間を要してトンネル内を駆ける。
ようやく声の主を見つけたのは……外界の光が差し込み始めた頃だった。もはやトンネル内の薄暗い照明に頼らずとも見て取ることができる。
「た、助け、誰か……!」
引きつった声を上げているのは、エルだった。
しかし先ほど突然現れた下着姿の方ではなく、トンネルまでの旅路を共にした女冒険者である。毒々しいローブを着込み、杖めいたハンマーを手にしている。
ただ、間もなくそうした特徴を失ってしまうのだろうと思えた。
彼女は出口の間近で倒れていたのだ――先ほど見たものと同じ半透明の、しかし人の背丈ほどある大きなマウントスライムに圧し掛かられながら。
「エ、エルさん!?」
「どういうことだ、双子ってやつか!?」
「話は後だ。とにかく今は、あちらのエルを助けるぞ!」
驚愕する私とオデッサに言い、マナガンはともかく斧を構えた。
しかしそれら全てより一歩前に出て、制してきたのはエルだった――先ほど現れた方の、エルだ。
彼女は視線をもうひとりの自分に向けたまま、淡々と告げる。
「少し、見ていて。それで理由がわかる」
「見ていて、って……」
私はそう困惑しながらも、彼女を押しのけて救出へ行くことができなかった。そもそも、自分ひとりが行ったところで何もできないと思っていたからかもしれないが……
いずれにせよ他の冒険者たちも、その奇妙なほどの威圧感を受けて動けずにいると、その目の前で女冒険者はスライムの身体に包まれていった。
すると消化が始まり、スライムの触れている箇所の布が溶かされていく。
やがて焼失するように毒々しい色のローブが消え……その下から現れたのはエルの印象とは全くそぐわない、濃緑の麻布の服と、黒い革ジャケットだった。バックルにはドクロがあしらわれ、どこか以前に見た盗賊を思わせる。
さらに頭を覆っていたフードも外れ、顔が露になる。それは、
「……誰だ、これは?」
見覚えのない顔だった。鋭い目に、緩くウェーブのかかった短い赤髪。黒の前髪はウィッグだったのだろう。暴れ回ったためにフードと共に外れ、地面に落ちたところをスライムが捕食していく。
私も冒険者たちも、そうして現れた見知らぬ顔にしばし、きょとんとしていたが――そうであることは限りなく大きな問題だと気が付いた。
今まで旅路を共にしてきたのが、請負人である冒険者ではなく、別人だったことを意味するのだから。
「まさか、エルさんに成りすましていたってことですか!?」
「なるほど……トンネルについて知らぬ振りをしたり、妙に先を急いだりしていたのは、そのためか」
「そう。これは魔獣盗賊団とかいう、犯罪者集団の一味」
『これ』というのは偽者だったらしい女のことだろう。エルは声の中になんの感情も含めなかったが、その言葉からは少なからぬ怒りを感じさせた。あるいはもっと、激昂と呼ぶべきかもしれないが。
ともかく彼女は答えながら、スライムの方へ近付いていった。そこでようやく、盗賊の方も私たちに気付いたらしい。なんとか逃れている顔をこちらに向けて、低い声音に涙の成分を含めて叫んでくる。
「ほ、本物!? 縄を解いたのか……いや、と、とにかく今は助けてくれ! このままじゃ、あたしは……!」
不定形生物に閉じ込められ、もがきながら必死に命乞いをしてくる盗賊の女。もうローブのみならず、自前なのだろう服も溶かされ始めていた。
ハンマーも外皮を失い、中から刃を見せていた。盗賊はその存在を知らなかったのだろう。もっとも振るわれなければただの餌であり、今となっては遅いことだが。
「冒険者は――」
エルは冷酷に盗賊を見下ろしながら、静かに呟いた。意図してゆっくりとしゃがみ込み、続ける。
「一歩間違えば、命を落とす。だからどれほどいがみ合っても、生き延びるために協力する。あなたはそれをしなかった」
「それは、わ、私は冒険者じゃないし、逃げないと……あいつらから逃げないといけなかったんだ!」
絶叫のように言ってくる盗賊。皮膚の消化が始まってしまったのか、ぎゃっ! と悲鳴を上げる。
しかしそれでもエルは、早口にすらならなかった。
「力を貸さず、見殺しにしようとしたのなら、ワタシも今、同じことをするだけ」
下から覗く盗賊には、前髪に隠れたエルの目が見えたかもしれない。彼女がどんな表情をしているのか、私には想像もできなかったが。
盗賊は狂ったように声を上げた。
「ち、違う、許してくれ! 頼む、助けて……助けてくれ、助け、っぎゃああああああ!」
じゅぅ――と音がしたわけではない。ただそのような音が聞こえてもおかしくはなかった。盗賊の皮膚が消化液を受け、焼けるように変色するのが見えた。
間近で上がる悲鳴の中……私は、何もできなかった。恐怖と混乱と、脳を打たれるような衝撃に苛まれ、眩暈を起こしていたのだと思う。倒れ込んでいるのかもしれないと思うほどだった。
そうでないと確信できたのは、直後、目の前に飛び込んでくる人影が見えたためだ。
人影は銀色の刃を翻すと、それを盗賊に――いや、スライムに突き刺した。盗賊の身体を避け、引き剥がすように不定形の魔物を切り上げる。
突然に身体を裂かれ、スライムも喫驚したのかもしれない。ぶよぶよした身体を弾けるように飛び上がらせ、盗賊の身体から離れる。
その直後。別の人影が、腕を振り回した。そこに握られた斧が、一撃でスライムを両断する。そのまま壁に叩き付けられた魔物は、四散するように張り付き、やがて地面に落ちて染みとなった。
「ひ、ぐ……あ、ぁあ……」
涙声の呻きを漏らしたのは、目を見開いたまま仰向けに倒れている、盗賊である。もうほとんど服は残っておらず、身体のあちこちに火傷のような痕が生まれている。そこに――斧を持ったマナガンが、ばさりとマントをかけた。
「……どうして、助けたの? あなたたちを見殺しにしようとした、愚劣を」
エルはどこか、非難めいた視線を向けながら立ち上がった。
「己を利用されそうになったことは同情しよう」
それを受けながら、マナガンが言う。
「場合によっては二度と依頼を受けられなくなっていたのだからな。あるいはお前には、それ以上の思いがあったのかもしれん。しかしいずれにせよ我々は、ここで人間の死を見ることは望んでいない。それに――」
「そもそもこいつが盗賊の一味だっていうなら、生け捕りにすれば賞金が出る。殺すわけにはいかねえな」
オデッサが剣を納めながら、不機嫌そうに言葉を継いだ。あくまでも冒険者として最善の行動をした、と主張する。
もっともそれは、マナガンの言いたかったものとは違うらしい。彼も不愉快そうに眉を寄せたが、咳払いをひとつしてから、改めて続ける。
「それに、ここには同行員がいる。賊とはいえ私怨のために見殺しにしたことが記録される。それはキミも望まないことだろう」
「…………」
エルは前髪で表情を隠したまま、しかしくるりと盗賊に背を向けた。女のもとから離れる際、思い切り身体を踏みつけそうな雰囲気ではあったが、幸いにも何もしなかった。
それを見送り、マナガンが安堵か疲労か、あるいは達成感かに息をついた。トンネルを出て陽光を浴び、見渡せば、そこには見知らぬ町が見えた。
「さて。これでどうにか、依頼は完遂というわけか」
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