第13話
私たちは即座に飛び退いていた。もっともそれは遠ざかるという意味ではなく、むしろ正反対だったと言える。
目指したのはそれが出現したのと同じ方向、つまりは炭化した円の中だった。
周囲は深い茂みであり、視界が利くのはそこしかないと判断したためだ。
……というのを私は、エクスに引きずられて炭の粉をかぶりながら聞かされた。
焼け焦げた湿地の中心。まだある程度の熱を持っており、湿原の冷気を跳ね返している。ただしそれは安らぐ温もりなどではなく、血を沸騰させられるような恐怖に他ならなかった。
「って、そうだ! シオンさん、大丈夫ですか!?」
慌てて声をかけると、すぐ横に立つシオンは油断なく茂みの中へ――先ほど自分たちのいた辺りを睨み据えながら、声音だけは楽に答える。
「ああ、なんとか。かすっただけだ」
見れば分厚い茶色のブーツの、足首の辺りが裂かれている。そこから覗く肌には薄っすらと血が滲んでいるようだった。
「怪我が……待ってください、すぐに手当てを!」
「そンな暇はねえゼ。お出ましダ」
エクスの言葉に呼応するように、ごそごそと茂みが揺れて、かき分けられた。
奇襲ができないと悟り、威圧する方向に切り替えたのか――それはまず、ずんぐりとした前脚を大仰に突き出してきた。無数の鱗を持つ、薄汚い暗緑色の身体。紅葉型に広がる五本指からは強靭な爪が伸びている。そのうちの一本が、シオンの皮膚を裂いたのだろう。
それが炭状の地面を踏みしめると、引っ張られるようにして、ようやく顔が現れる。
暴悪そうな目付きをした、害意あるモンスターの顔。それはまさしく爬虫類の中でも、トカゲに似ていた。威嚇のためか口の隙間から出された分厚い舌が、ヘビの印象も強くさせる。頭部には特異なトサカが乗っていた。
頭は人と同じほどの大きさがあるだろう。そして次いで出現した身体も――依頼主の証言通り、寝転ぶ人間と同程度の体長をしていた。
そう思わせるのは、蛇腹模様の腹部が完全に地面を這っているせいもあっただろう。ずりずりと不気味な音を立てながら全貌を現したそのモンスターは、ヘビめいた長い尻尾をゆっくりとうねらせ、私たちを威嚇してきた。
しかし――私はその姿を見て強烈な違和感というか、それを通り越した驚愕を抱いていた。
「これは……」
「おいッ、どうなってンダ、リコネス!? こいつハ――」
冒険者たちも気付き、声を上げる。気付かないはずがない。私たちの目の前に現れたのは明らかに――バジリスクではない、別種の生物だった。
確かに依頼主の証言通り、トカゲの顔に長い舌、特徴的なトサカがある。
しかし下半身は、そもそも足がなかった。腹部が地面を擦っているのはそのためで、筋肉のみで構成されたような二本の前脚で身体を引きずっているのだ。
さらに言うなら、トサカもバジリスクのものではい。特徴的ではあるが雄鶏のトサカではなく、羽か、あるいは耳のようなものが二枚、並んでいる。
中でもとりわけ異質なのが、その気配だった。私は中級に分類されるモンスターとの対峙自体が初めてだが、目の前にいるのはそれよりも遥かに凶悪であると理解できた。じろりと向けられる黄色の双眸が、それだけで私を石化させてくるようですらある。
「な、なんですか、これ!? こんなモンスター、見たことが……」
「同行員もわからないときたか。こりゃ……まずいな」
シオンが苦々しく呟くのが聞こえる。冒険者たちも、このようなモンスターは初めて見るようだった。
奇怪で、不気味な魔物である。初遭遇というだけでなく、それは異様な気配を発していた。冒険者たちもそれを感じていただろう。なんらかの特殊な、そして強大な力があることを察知し、武器を構えながらも迂闊な身動きが取れずにいた。
そのため、先に動いたのはモンスターの方だった。
ただし飛びかかってくるのではない。モンスターは分厚い舌を、剣のように地面に突き刺すと、頭に乗った二枚のトサカを激しく振動させて打ち鳴らし始めたのだ。
ビィィィィッ――と、けたたましい警告音のようなものが辺り一帯に響き、それと唱和するように奇怪な咆哮が上がる!
「ギュルァァアア!」
その瞬間。周囲の酸素が一斉に失われたように、私は眩暈がするほどの息苦しさを覚えた。吸い込もうとしたものが入ってこず――代わりに、強烈な熱波が襲ってきたのだ。
炎だ、と私は直感した。正確に言えば頭がそれを理解するよりも先に、身体が反応したのだろう。その圧倒的な危機に、私ですら冒険者に遅れず、その場から全力で飛び退いていた。
炭の地面を転がって、必死にモンスターから離れる。茂みとの境近くまで来たところで止まってしまったが、自分の身体が煤けていないことと、呼吸ができるようになったことで、難を逃れたのだと判断できた。
しかし、事態が好転したわけではない。
「なんだヨ、あれハ……!」
真っ先に立ち上がったエクスが驚愕の声を上げる。彼に倣ってモンスターの方へ目を向けると――その奥に見える景色は一変していた。
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