第12話

 進めば進むほど林は色濃くなっていく。というより、自分たちが林の奥へと入っていくせいだが。

 そうしなければ依頼は達成できない。水辺の林に侵入するのが目的ではないが、その先に目的があるのは間違いない。

 リコネスは木々の隙間から差し込んでくる光を頼りに依頼書を読み直し、そうした目的地の場所を改めて把握しようとしていた。東都ヴィレアゾットからは幾分か離れた位置、かといって別の町からもそれほど近くない――目指すのはそんな位置である。

 林を横切るように侵入し、川を越え、南西へと進んでいく。川の水で湿った草葉が、一度乾きを覚えてから……次第にまた湿り始める。

 林はそうやって少しずつ姿を変えていった。踝ほどまでだった雑草はだんだんと背丈を伸ばし、腰まで届こうかというほどになる。ガサガサとうるさかった音は、ゴソゴソと鈍いものに変化していた。木々の緑と光の白を混ぜていた色合いは、そこに不気味な茶色か、あるいは溶けるような黒の印象を付け加えてくる。川辺の臭いはそれに似た、けれど全く異質の、さらに悪化させたむせ返るような濃緑の悪臭と化して鼻腔から脳までを襲ってきた。

 やがて……リコネスたちの足はとうとう、ぐちゃりと音を立てた。

 何か特定のものを踏みつけたわけではないが、全員が足を止める。

「ここか」

 シオンが旅の終着点を見るように呟く。

 目の前に広がるのは、今までよりもいっそう緑を色濃くした風景だった。今まで以上に、差し込む光が強く、そして暗く見える――それは紛れもなく、地面の各所に生まれた水溜りのせいに他ならなかった。

「タンガ湿原と呼ばれる場所、ですね。昔はお城があったそうですけど、戦争に負けて取り壊されて以来、水捌けが悪くなって、湿原になってしまったそうです」

「王家の呪いってやつカ?」

 リコネスの解説に、エクスがわくわくしたように言ってくる。が、それを抑止したのはエルだった。聞く者に因縁を予感させるような、黒魔術の儀式か、あるいは忌まわしい呪詛めいた声音で。

「取り壊し方と整備の仕方が下手だっただけ。死後の呪いがあるのなら……もっと有意義に使うはずだから」

「あ、はは……まあ、とにかくそういう場所です」

 苦笑すると、シオンがこちらを向いてくる。視線はきょろきょろと落ち着きなく、周囲に走らせながらだったが、

「ここにいるんだよな? 目的の、モンスターが」

 背の高い草と、まばらな木が視界を狭くし、水溜りが足を封じる湿原。依頼は、そんな場所に潜むモンスターを倒してくれというものだった。

 リコネスは頷き、説明する。

「種族名は、バジリスク。本来は砂漠に生息するモンスターですが……まあ蛇の王と呼ばれるくらいですから、ここにいても不思議じゃありません。湿原にやって来る鳥を獲ろうとした狩猟者が、不自然に焼け焦げた一角を発見し、近付いてみたところ、バジリスクと思われるモンスターと遭遇したそうです」

 ほとんど依頼書をそのまま読み、冒険者を見回す。何か質問はあるかという意味だったが、応じたのはエルだった。

「バジリスクと、思われる?」

「依頼主が常にモンスターに精通しているわけではないので、種族の判断はギルドが行っています。今回の場合は……人が寝転んだくらいの大きさをしたトカゲ、頭に妙なトサカがある、長い舌を持っている、周囲を燃やす、という依頼主の証言から、バジリスクと断定されました」

 冒険者たちには、この断定結果が伝えられるため、リコネスの言葉に違和感を抱いたのだろう。もっともこうしたギルドのシステムは周知であり、エルも説明を聞くと納得して了解した。

 他に質問がないことを見て取ってから、口を開いたのはエクスである。

「それじャ、さっさとそのでかいトカゲを潰しに行こうゼ。その辺が焼かれてるってンなラ、すぐに見つかるだロ?」

「あ、あの。バジリスクは炎を吐くと言われてますから、慎重に行った方が」

 リコネスが心配して言うと、少年冒険者はニカッと歯を見せた。

「火吹きトカゲなんテ、中級モンスター扱いなのがおかしいってもンダ」

「エクスの方がよっぽど危険だからな。何事も爆破してから考えるような奴だし」

「危険なふたり……ふたりで爆発……!」

 エクスの気楽な言葉に軽口を返すシオンと、なぜか嬉しそうなエル。どちらも余裕であることは同じようだった。シオンは腰に帯びた剣を確かめながら、エルはローブの下から杖のようなハンマーを見せながら、敵を探しに歩き出す。

 リコネスはその背中に頼もしさと、堪らない高揚を感じていた。

(これくらい、簡単に倒せちゃうんだ……やっぱり冒険者さんって格好良い!)

 そうやって胸中でグッと拳を握りながら、急ぎ足で後をついていく。泥化した地面にぐちゃぐちゃと足を取られるのが面倒だったが、それよりも早くモンスターを圧倒する姿が見たくて堪らなかった。

 それはすぐに叶うだろうと、リコネスは確信した――草をかき分け、林めいた湿原をしばらく進んでいくと、やがて全く異質なものを発見する。

 地面にぽっかりと穴が空いたように、真っ黒に染まった一角である。そこには草葉の姿がなく、足を踏み入れてみるとその理由がわかった――

 正確に言えば、草の姿は消えていなかった。しかし正しく生えてもいなかった。

 そこにある草は全て、真っ黒に染まっていた。そして軽く触れると、ボロボロと崩れ散ったのだ。

「なるほど、不自然に焼け焦げた一角か」

 納得したようにシオンが頷く。

 見下ろす足元には、元は草だったはずの黒い粉が見える。いやそれ以前に、地面も真っ黒な粉にまみれていた。それがなんであるのかは、すぐわかる――炭だ。湿原の一部が突然に、円形に炭化している。

 全力で跳躍すれば三歩ほどという直径だろう。流石に熱は持っていないが、水は完全に干上がり、木も根元から中腹までが立ったまま炭と化している。

 ギリギリの均衡を保っていたのか、軽く触れると幹が砕け、先端部分が炭の地面に落下した。ぶわっと巻き上がる黒い粉に、リコネスが咳き込む。それは本来のバジリスクの生息地である砂漠を連想させた。

 ざっと地を蹴って、エクスはぐるりと見回した。

「これがバジリスクの仕業ってわけカ。火を吹いたにしちャ、真ン丸いけどナ」

「跡地があるということは……この近くに、いる」

 エルの言葉に、怯えるように身体を緊張させたのはリコネスだった――というより、リコネスだけだった。

 他の冒険者たちはそんなこと承知の上だという様子で、油断なく周囲に視線を走らせている。するとそこで冒険者は、さらに湿原の奥地で同様の区画を発見した。

 行ってみれば、そこやはり同じように炭の砂漠と化している。そしてまた冒険者たちは周囲を探り――黒く染まる湿地を見つけ、向かう。

 二度、三度とそれを繰り返すうち、彼らの足は自然と小刻みで、慎重なものに変わっていった。草にまみれる湿原で音を消すことは不可能なため、せめてそれが単なる小動物や虫、鳥のものに聞こえるよう、最小限にしながら進んでいく。

 リコネスも精一杯にそれを真似ながら、冒険者たちの顔が今までと全く異なっていることに気付いていた。近くにいるという言葉が紛れもない真実であることが、彼らの鋭い眼光によって理解できる。放たれる気配は殺気にも近く、リコネスはそれを間近に感じて総毛立つ思いがしたほどである。

 そして、いくつ目か。ほとんど雑草に隠れるようにしながら進み……炭の地面にシオンがつま先を差し込んだ時だった。

「キシュルァアア!」

 鋭い息を吐き出すような咆哮と共に、それは突如として現れた。

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