第3話

 ――街道は川に近付くにつれ、次第に道としての役目を果たさなくなっていく。

 林に侵食される道なき道を進んでいき……我々はようやく、目的地に辿り着くことができた。

 地面を切り裂いたように現れる川は、幅にすれば今まで歩いてきた街道の二倍はあるだろう。頭上からは林の中と違って陽光が降り注ぎ、水面の緩やかな流れを露にしている。ただし水自体は綺麗なものではなく、土煙のように濁っていた。

「魔物はこの辺りで、川に住む魚を食い尽くしているようです。そのせいで、下流の町から討伐依頼が出されたとか」

「フッ……こんなところでも好んで泳ぐ魚がいるとはね」

 私の言葉を受け、格好良いヒュアキンが、格好良く前髪を弾く。

 彼は川岸のぎりぎりまで歩いていくと、腰に帯びた剣をゆっくりと抜いてみせた。その針のように細い刃を突き出し、日の光に反射させる。

「もっとも、それでこそ僕の格好良さが際立つというものだね」

「あまり近付かない方がいいですよ。魔物は水の中に潜んでいます。突然飛び出して、襲ってくる可能性が低くありません」

 冷静な私の分析に、しかしヒュアキンは全く意に介した様子もなかった。

「心配無用だよ、お嬢さん。それに――」

 彼は指差すように、剣先を僅かに下げた。それを目で追うと、当然だが濁った水面が見える。常に水中の土を巻き上げているような、それでいて緩やかに流れる川。

 その時、流れとは対照的な強い風が吹いた。川の上流から、まるでなんらかの恐るべき、暗澹たる邪悪を運び来るような、腐った深緑の悪臭を放つ強風だった。私は一瞬、それこそが魔物であるとさえ思えたほどである。

 林の木々が、地面の草葉が、一斉にざわめき声を上げ、私は思わず口元を押さえ、片目を閉じていた。一方で華麗なる冒険者であるヒュアキンは、そうした悪辣な暗示を孕む強風の中でも、細剣を揺らすこともなく立っていた。

 切っ先を変わらぬ一点に集中させたまま――やがてどこかから、ぼちゃっと小さく水の跳ねる音が響く。

 次の瞬間だった。

「やっぱり、そこにいたようだね!」

 ばしゃああんっ! と、剣先を向けていた水面が弾けた。そして濁った水を纏うように噴出してきたのは、他ならぬ魔物だった。

 私の知識が、その正体をすぐに理解させた――ウォーターリーパー。

 一抱えほどある巨大なカエルの身体に、足ではなく魚のヒレをつけた奇怪な生物。絶唱で獲物を気絶させ、丸呑みにするという魔物だ。依頼書に書かれていた通りの……気味の悪い姿である。

 こうした魔物、またはモンスターと呼ばれる生物はたいてい、不気味だ。根拠のあることではないが、彼らは特殊な発生――つまりはそれまでの生物の中から全く外れ、突然に特定の個体として出現しているため、変異のように不気味な姿が多いのだろうと、冒険者に勝るとも劣らない私の頭脳が告げていた。

 彼らがおぞましいのは、魔法によって強引に生成されたからだと唱える学者もいる。

 いずれにせよこうしたモンスターの類は外見が特殊なだけでなく、行動も特殊な場合が多いので注意が必要だった。

 今、目の前で宙に舞い、眼前の冒険者を不気味な双眸で見下ろしている歪なカエルも含めて、だ。

「フッ――!」

 ヒュアキンはそれを睨みやりながら、格好良く髪を弾く時とは違う鋭い息を吐いた。同時に身体をひねり、その勢いで細剣を突き上げる。相手に攻撃する隙を与えず、先制攻撃によって仕留めるつもりだったらしい。

 しかし惜しくもその刃は狙いを外れ、魔物の身体を掠めるのみに留まった。皮膚を裂かれ、一筋の血を流す魔物が再び茶色い川にぼちゃりと沈む。

「……もしかして、逃げられてしまったんでしょうか?」

「まさか。あれは僕を見た。そして敵だと認識した。それなら次は仕留めにくる。いや――」

 ヒュアキンは軽く指で耳を押さえると、川の方へ注意を向けたまま、格好良い声だけを私に向かって投げかけてきた。

「僕に仕留められにくる、と言った方が正しいかな」

 その言葉を待っていたように。

 ウォーターリーパーは再び、しかし卑怯にも今度は少し離れた斜めの位置から飛び出してきた。

 ヒュアキンの左手側、そのまま真っ直ぐ剣を突き出しても届かない距離である。魔物はそこで口を開けていた。そこから何が発されるかは、考えずともわかる。

「キュビィィィイッ」

 おぞましいほどの甲高い声が、林の中に響き渡る。それこそまさに、ウォーターリーパーの絶唱だった。

 それを聞き、生きて帰った勇敢な者はそう多くないだろう。ただヒュアキンは、そうした生物を卒倒させる声を全く意に介さず、川岸を駆けていた。

「フッ……僕にそんな汚いものが通じるはずがないよ!」

 冒険者はその格好良い言葉と共に剣を突き出した。それが今度こそ、魔物の胴体を下から貫く。

 私は持ち前の胆力によって、その光景を見届けるまで堪えてから――とうとう意識を途絶えさせた。

 そして目覚めた時、息絶えた魔物の姿を見て、依頼の達成を確認した。

 ……ちなみに重要な事柄として、私が耳栓をしなかったのは忘れたわけではなく、冒険者を信頼し、ウォーターリーパーの貴重な声を記録しようとしたために他ならないことを、ここに記しておかなければならないだろう。

 これはまさに、ある種の功績と言っていいはずである。

 報告者:ランク一同行員、リコネス・フォークロア

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