第51話

 生温かな風が頬を撫でた気がした。

 緩やかな目覚めだった。

 ヨウが目を開けると、目の前には青い天井があった。

「…………夜、か」

 青く見えたのは、窓から月光が差し込んでいるからだろう。恐らく、白い天井だ。周囲はカーテンで仕切られているが、この匂いからと雰囲気から医務室か何処かだろう。

「…………」

 溜息をつき、ヨウは霞が掛かったような頭を整理しようとする。しかし、頭は鉛を詰め込まれたように重く、動きが悪い。体もオイルの切れた機械のように軋んだ。完全に、セフィラーの使いすぎだ。

 魔法を後先考えずに使った結果だったが、ヨウは満足していた。光輪祭の一回戦は思うような結果が残せなかったが、二回戦はノーマル三人に、リアクター三名を倒すことが出来た。アリティア不在のチームにしては十分な戦績だろう。

「起きた?」

 声と共にカーテンが開いた。

 大きな月を背後に立つのは、初めて見る女性だった。緩くウェーブの掛かった黒髪に、黒い服。その上には白衣を羽織っている。

「体は大丈夫?」

「はい……」

 見覚えのある女性。だが、回転の悪い頭では思い出せない。問われるままに、答える事が精一杯だ。

「凄いじゃない、頑張ったわね」

「…………まあ」

 こちらを見てニコニコと微笑む女性。彼女は誰だろう。ヨウはマジマジと女性を見つめる。

 髪の毛と同じ、黒くて大きな瞳。色白の肌に、少し大きめの口。笑顔の時に僅かに除く犬歯が特徴的だ。

 彼女は椅子を持ってくると、ヨウのベッドサイドに腰を下ろした。

 体に鞭を入れ、上体をなんとか起こした。

「あなたは?」

「私? 私は、ここの職員よ。なにか、欲しいものある? 痛いところない?」

「痛い所はないけど、頭はスッキリしないし、もの凄く怠い」

「セフィラーの使い過ぎね。流石の君でも、生身であれだけの事をやれば、数日休んだだけじゃ回復しないか。ちょっと待って、良い注射があるから」

 用意していたのだろうか、彼女はウエストポーチから注射器を取り出した。彼女はアンプル内の溶液を注射器に入れていく。

「…………」

 ヨウは一瞬驚いた。しかし、すぐにホッと息をつくと、嬉しそうに破顔した。

「ちょっと待ってね、すぐに楽にしてあげるから」

「サンキュー、由羽。で、この事はアリエールは知っているのか?」

「知るわないじゃない。私が来ていることだって秘密なんだから。……ん?」

 女性、由羽は目を丸くする。

「え、バレた? どうして? 変装が解けたの?」

 由羽は自分の顔に手を当てる。慌てて手鏡を取り出し、顔を見るが、そこには由羽ではない別人の顔があった。

「どうして?」

 別人の顔をした由羽が不思議そうに、嬉しそうに尋ねた。

「変装したって、お前だって分かるよ。匂い、かな」

「匂い? 私、臭かった?」

 白衣の匂いを嗅ぐ由羽を見て、ヨウは笑う。

「冗談だよ。顔を変えたって、お前だって分かる。何でかは知らないけどね」

「ヨウ……」

 胸ポケットからスティックを取り出した由羽は、小さなスイッチを押した。すると、目の前の顔がフッと消え、由羽の素顔がその下から現れた。

「それ、声まで変わるのか」

「そう。明鏡特製の変装セット。ヨウが倒れているって聞いてね。様子を見に来たってワケ」

 由羽はヨウの手を取ると、慣れた手つきで針を静脈へ刺した。

「これですぐに良くなるわ。失われたセフィラーを補充しておいたから。これも明鏡特製よ」

「ありがとう……」

 確かに、すぐに効果は現れた。強い風が吹いたように、頭に掛かっていた靄は吹き飛び、体は軽くなった。

 一息つくと、ヨウは由羽を見た。由羽はシーツの皺を見つめ、口を真一文字に結んでいた。

 昔のままだった。美しく、凜としている。朗らかで落ち着く美しさを持つ乙姫とは違う、氷のような冷たい美しさを由羽は持っていた。いつもは勝ち気な彼女だが、今日は少し違った。口にしなくても、雰囲気、表情を見るだけでどれだけ事が深刻かが分かる。

「どうかしたか?」

 由羽の瞳が揺れていた。由羽はそろそろとヨウに視線を注ぐと、悔しそうに唇を噛んだ。

「ヨウ……!」

 椅子がけたたましい音を立て転がった。

 由羽はヨウに抱きついていた。

「ヨウ!」

 もう一度、由羽はヨウの名を呼んだ。

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