第35話
「それじゃ、お疲れ様でした~」
扉が賽の目状に崩れてメルメルが出てきた。メルメルは腰の銃に手を当てたヨウを見て驚いた表情で足を止めた。
「下がって!」
立ち尽くすメルメルの腕を引っ張り、ヨウは自分の後ろへ隠す。
「……どうしたの?」
誰もいない廊下を睨み付けるヨウに、メルメルは不審者を見るかのような視線を向ける。
「何かがいる……」
「何か? 何かって、ナニ?」
「分からない。人、だと思う」
ゆっくりと呼吸をして、ヨウはジリジリと後退する。気配はある。対象から僅かに漏れるセフィラーを、ヨウは掴み取った。それが、ゆっくりと移動している。
(対象は、二人か……? 左右に分かれている。走るべきか、でも、背中を見せるのは危険だ……)
狭い通路、ここで背を向けて逃げるのは危険すぎた。かといって、見えず、気配さえ消せる相手にどう戦えば良いのだ。
様々なパターンを考え、どうしてこの状況を切り抜けようかと考えている間にも、セフィラーは近づいてくる。かなりの距離だが、やはり気配は感じない。足音も、空気の流れさえ感じられない。目の前には、先ほどと同じく何もない廊下が広がっているだけだった。
「ヨウ……」
メルメルが不安そうに声を掛けてくる。彼女にしてみれば、ヨウは何に対して警戒しているか分からないのだろう。
その時、銃を持ったヨウの手がゆっくりと降りた。自発的に下ろしたのではない、勝手に手が下りたのだ。いや、下ろされたのだ。
(やるしかない……!)
瞬時に判断したヨウは、何もない空間に向かって発砲しようとした。しかし、ヨウの手は持ち上げる途中で止まった。
ヨウ 俺様だ
耳元で信じられない声が聞こえてきた。
全身から力が抜ける。体の中心から広がる寒気が、波のように手足に広がっていく。
「そんな、嘘だろう……」
ヨウの手から銃が滑り落ちた。銃は床に落ちたが、不思議な事に音が発生しなかった。
「やはり、セフィラーの強い加護を受けている君には、紅水晶の効果も薄いか」
「キャッ!」
声と共に一人の男性が右手に出現した。メルメルは突如出現した男に短い悲鳴を上げたが、その声はすぐに大気中に飲み込まれて消えた。
「コビーさん……それに……」
ヨウはコビーの左側を見た。すると、空間から突如として一人の青年が現れた。人懐こい笑みを浮かべた金髪の青年だ。
「レアル……!」
「ヨウ!」
両手を広げたヨウに、レアルは飛び上がるように抱きついてきた。
「ヨウ! 本当にヨウだ! 会いたかったぞ!」
「レアルこそ……! まさか、本当に会えるなんて!」
力強くヨウを抱きしめたレアルは、一歩引いてヨウをしげしげと見つめた。
「大きくなったな、ヨウ……! 俺様は嬉しいぞ!」
「レアル、それは君もだよ。本当に、昔と変わっていないな」
「コイツの馬鹿で無鉄砲な所は、相変わらずだ。それは、ヨウも変わっていないみたいだけどね」
コビーはレアルの頭を撫でると、ヨウの肩を掴んだ。
コーネリウス・ビリブス、通称コビー。『愚鈍なる紅水晶』のソフィアリアクターで、アリエールやシノと同じ、アラリムの一人だ。彼は、ジンオウと同じく五賢人と呼ばれる一人で、レアルの師匠でもある。
「あの…、あなたは……」
すっかり置いてけぼりになっていたメルメルが、コビーを見て目を見開く。
「ああ、ご苦労様」
コビーはメルメルの前に右手を挙げると、パチンと指を鳴らした。瞬間、メルメルの体がその場に崩れ落ちた。ヨウはメルメルが倒れる寸前で彼女を抱きかかえた。
「まさか……」
一瞬気を失ったメルメルは、目を開けるとヨウを見て、コビーを見た。その目には、先ほどは浮かんでいなかった大きな戸惑いの色が伺えた。
ヨウは理解した。最初から、メルメルはコビーによって操られていたのだ。
「先ほどはすまなかったね、お嬢さん。僕はコーネリウス・ビリブスだ」
コビーは腰を抜かした状態でヨウに支えられているメルメルの手を取った。
「コーネリウス……様……、私は、一体……?」
恐らく、メルメルに先ほどまでの記憶はある。だが、メルメルには何故ヨウを此処まで案内したか、それ以前に、どうしてヨウを単純に信じたか、そして、目の前に突如として出現した二人の男性について、疑問符ばかりが浮かんでいるのだろう。
「ここに入るため、君に強烈な暗示を掛けた。君なら知っているだろう? 僕の持つオリジナルソフィア、愚鈍なる紅水晶の力を」
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