第18話



「ヨウ……あなたは、ローゼンティーナで何をしているのですか……?」

 小さな手を太陽に翳す。

 明鏡のトップに君臨する少女、乙姫は物憂げな溜息をついて目を閉じる。

 白袴を着た乙姫は、長い髪を扇状に広げて草むらに横たわっていた。爽やかな風が夏草の香りを運んでくる。

 世界は動こうとしている。

 今は小さな波紋のような現象だが、それはやがて大きなうねりとなって世界を飲み込むだろう。

 御剱の中でも、最上位に位置する『外伝(げでん)』。三振り存在するうちの、一振り、『外伝・三千世界』の所持者である乙姫は、三千世界の力を使って未来を見通す力を持っていた。

 過去数千年の長い間、明鏡が世界各国を導いてこられたのには、圧倒的な技術力の他に、三千世界が見せる未来視の力が大きく起因していた。物心ついた頃から、乙姫は三千世界の所持者として、この狭い世界に閉じ込められてきた。

 乙姫の生活は、島の外へ出る以外の自由を与えられていた。望む物は全て与えられ、何を言っても許される。当然、乙姫は傲慢に育つことになる。誰も乙姫を咎める人物はいなかった。ただ一人を除いては。

 今でも思い出される八年前の御剱見聞。あそこで、乙姫はヨウと出会った。ヨウが明鏡で生活したのは、ほんの数週間。毎年行われる、いつもの御剱見聞。育ちの良い者達が集められ、皆規則だたしく生活している。だが彼は、彼らは違った。あの時から彼らは異端だった。乙姫の意識を一八〇度変えた運命の出会いだった。


 ヨウ・スメラギ、篠崎由羽、レアル・ザン・オスキュート。この三人は、あろう事か宿舎から抜け出し、一般人では進入不可とされている禁足地に足を踏み入れた。いつもの様に未来視を済ませた乙姫は、そこで三人と出会った。

 衝撃的だった。ここは、限られた人しか出入りできない場所だった。周囲には護衛もおらず、命の危機を感じた乙姫は硬直してしまった

「あれ? 間違えたかな? ねえ君、御剱って何処にあるの?」

「御剱?」

 パッとしないあどけない少年。第一印象は、あまり良くなかったと思う。

「御剱を探して、どうするの……?」

 必要とあれば、乙姫が彼らを撃退するしかない。同年代の少年少女だが、世界各国は明鏡の御剱や技術を喉から手が出るほどほしがっていることを、乙姫はよく知っていた。見た目で騙されるほど、乙姫は単純ではなかった。

「教えられない……」

 身構える乙姫を、少年は不思議そうに見つめた。

「教えられない、か。そうか……貴重なものだものな……当然と言えば当然か」

 黒髪の少年、ヨウはがっくりと肩を落とした。

「だから言ったじゃない。私たちじゃ探せないって」

 由羽だった。昔から、彼女は冷静に状況を分析していた。

「でも、面白かったから良かったじゃねーか。オレ様は、こうして遊びに出られただけで満足だぜ? 締め付けがきつすぎるんだよな、この島は」

 レアルだ。彼は、いつどんなときも物事をポジティブに考えている。

「だね。明日は、海岸の方に行ってみようか」

 三人を纏めているのは、意外にもヨウだった。どう見ても、三人の中で一番ヨウがオーラがない。言ってしまえば、平凡なのだ。

「じゃあ、帰ろうか。君も帰ろうよ。途中まで僕たちが送っていくよ」

「私は……」

「下まで、結構な距離だよ。一人じゃつまらないだろう?」

 手を差し伸べてくる少年。悪意も邪気も、下心もない笑顔だ。

 乙姫は固まってしまった。同年代の子と話したことなどない。彼らの仲の良い雰囲気は、自分の中に足りなかった何かを満たしてくれるだろう。そして、感覚で分かる。この三人には、自分の我が儘は通用しない。いつものように我が儘を言ったら、三人はさっさとここから立ち去ってしまうだろう。

「ヨウ、行きましょうよ。見つかるとまた五月蠅くどやされるわよ」

「だな。行こうぜ」

 由羽とレアルは先に行こうとするが、ヨウだけは手を差し伸べたままだ。

「さ。一緒に行こうよ」

 返事はできなかった。ただ、乙姫は頷くと、ヨウの傍まで歩いて行った。何故、明鏡で一番偉い自分がこの少年に従うのか、乙姫には不思議だった。普段は、付き人の言うこともまともに聞かないというのに。だが、彼と一緒に歩くのは不思議と安心できた。

 島外から来た三人は洋服だった。自分だけ白袴だと、凄く浮いてる。乙姫は三人の会話には入れず、後ろをついて歩いていた。

「君、名前は?」

 ヨウが聞いてきた。乙姫は躊躇ったが「乙姫」と、小さな声で呟くように言った。

「乙姫か。あそこにいたって事は、君はこの島の子?」

 乙姫は頷く。

「馬鹿。この島の子は当然として、かなり偉い子じゃない? あそこ、禁足地っていって、普通は入れない場所なのよ?」

「そうなんだ。普通の道から来たら、やばかったかもね」

「下手すりゃ強制送還じゃない? ま、私はこの退屈な島から出られるなら、それでも構わないけど」

「そうか? オレ様は楽しいぞ」

「あんたは特別よ」

 乙姫は住宅街まで来ると、ヨウ達と別れた。別れ際、ヨウは「また明日此処で」と、誘ってくれた。乙姫は答えられなかったが、ヨウは気にしないで宿舎へ戻っていった。

 翌日、乙姫は約束の場所に足を運んでいた。乙姫の姿を見て、ヨウ達三人は嬉しそうに笑ってくれた。そして、それから御剱見聞の日まで、乙姫は三人と秘密の冒険を楽しんだ。

 御剱見聞前日、乙姫達はこの場所に来ていた。徒歩で行ける場所を行き尽くした乙姫達は、ここ数日は決まって海が見渡せるこの山の上に来ていた。

「明日、頑張ってね、三人とも」

 二週間近く一緒に遊んだせいか、乙姫も三人に打ち解けていた。聞けば、三人と知り合って一月も経っていないようだ。御剱見聞の為に、三人とも別の国から来たらしい。

「乙姫はどうするの?」

「私は立ち会えないわ。仕事があるから」

「そっか、未来視の仕事、大変そうだものね」

 三人には自分の事を明かしていた。明鏡のトップに君臨する、未来視の巫女。乙姫の一言で、一つの国を消すことさえ容易い。それだけの力を持った巫女。なのに、三人は乙姫を一切特別視しなかった。彼らが幼いからではない。三人は、未来視の巫女である乙姫ではなく、一人の少女、ここにいる乙姫をそのままに捉えているからだ。

 乙姫には、それが新鮮であると同時に嬉しかった。今まで自分に傅く大人に囲まれて育った乙姫に、初めてできた友だった。

「俺も御剱に選ばれれば良いな。そうすれば、みんなとずっと一緒にいられるだろう?」

「大丈夫さ、俺様達三人は、絶対に選ばれる。なあ?」

「そうだね」

 ヨウとレアルは兄弟のように仲が良かった。ヨウが落ち着いた兄、レアルがやんちゃな弟といった感じだ。そして、由羽は年の離れた長女で二人の弟を冷静にたしなめる、そんな感じの図式ができていた。乙姫は三人の従姉妹、そんな立ち位置だろうか。

 四人は草むらに寝転がり、遠くから聞こえる潮騒に耳を傾けていた。

 由羽、レアル、ヨウ、乙姫の順番で寝ている。乙姫が動かした手が、ヨウの手と触れた。瞬間、乙姫の体は火が付いたように熱くなった。呼吸が止まり、触れた指先が痺れる。

 顔を僅かに動かすと、ヨウは星空を見ている。黒曜石のように澄み切った瞳に、星の煌めきが映り込んでいた。

 恐る恐る、乙姫はヨウの手に自分の手を重ね合わせた。暖かい。ヨウの温もりが手のひらという僅かな面積を通して伝わってくる。恥ずかしくてヨウを見られなかった。乙姫はヨウから顔を背けていた。だから、彼がどんな表情をしていたのか、乙姫は知らない。だけど、ヨウは答えてくれた。ヨウは、乙姫の手を握ってくれた。力強く、握りしめてくれた。乙姫はヨウに答えるように左手に力を入れた。その状況が、一生続けば良いと、乙姫は思っていた。

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