第13話
シノは寮に向かう途中、いくつかの店に入ってヨウの服や生活雑貨を手際よく買い揃えてくれた。
「お金の心配はしなくて良いわよ。後で、体で払ってもらえば」
艶然と微笑むシノ。どのように返答して良いか分からないヨウは、引きつった笑みを浮かべるだけだった。
ブラックウッド・ロッジを象徴する、漆黒のローブ。その下には、ローゼンティーナ全校生徒共通の白い制服。全ての衣料品を炭化させてしまったため、下着や三日分の私服も用意してくれた。
「本当に助かりました。路銀もつきていたし」
「ジンオウ君は、お金を持たせてくれなかったの?」
「体で稼げと。それも修行のうちだとか何とか。そんなこと言っていたけど」
「フフ、社会勉強も必要よ。これからいくブラックウッド・ロッジに住んでいる生徒は、約五〇〇人。ローゼンティーナへ勤務している職員の数はおよそ一〇〇〇人。合計一五〇〇人あまりの人が、ロッジに住んでいるわ。私も、その中の一人よ」
「学生寮に職員も住んでいるんですか?」
「厳密には、学生寮と言うよりも、ローゼンティーナの関係者の宿泊施設ね。入学から五年間、そこでソフィアを手にできなければ、その人物は国へ帰る事になるわ。もし、成績が優秀で本人にその気があれば、研究機関などに就職できる。そういうシステムなのよ」
「五年で、ですか……。御剱とまでは言わなくても、ソフィアは相性の問題が大きいのでしょう? 入学してすぐに、適正があるかどうか分かるんじゃないですか?」
「御剱は個人の深層心理、根幹に当たる部分まで読み取り、精霊との契約を果たすけど、量産されたソフィアは、御剱やオリジナルソフィアほど高位の精霊を宿していないのよ。だから、読み取るのは表面の性格や性質だけ。五年も経てば、人間は色々と変わるでしょう? だから、最初は拒否されていた人も、次にやったらソフィアに選ばれる。そういうパターンが此処ではほとんどなのよ」
「俺もソフィアを持てますかね」
「………私の立場としては、ヨウ君にはソフィアは持たせたくないわね。乙姫さんがヨウ君に戦うなって言うのは、体が傷つくのを心配しているほかに……」
「分かっていますよ、シノ」
ヨウはシノの言葉を遮った。
「……でも、俺だってもう大人です。昔とは違うんですよ」
「分かっているわ。だから、こうして私は誘っているんでしょう?」
不機嫌になったヨウ。それを知ってか知らずか、シノはまたヨウの腕に自分の腕を絡めてくる。肘に胸が当たるように、シノはワザと体を密着させてくるようだ。
「………」
ヨウは胸中で舌打ちをした。こうなってしまうと、ヨウは何も言えなくなる。それを知ってシノは色仕掛けでヨウを困惑させる。結局、ヨウはシノやアリエールにしてみれば、まだまだ子供なのだ。いくら背伸びをしたところで、二人には遠く及ばない。
「見えてきたわよ、ヨウ君」
甘く囁くように、シノはヨウの名を呼ぶ。ヨウが目を上げると、闇夜の中に立つブラックウッド・ロッジがあった。ブラックウッドと呼ばれているだけあって、黒い外観の塔はオベリスクのように天を貫くように建っている。
ロッジの一階はホテルのようにロビーになっており、そこでセキュリティチェックを受けることになる。ローゼンティーナの生徒といえど、ブラックウッド・ロッジの寮生でなければより厳重なチェックを受ける。
セキュリティを越えるとロビーがあり、さらにその向こうには様々な売店や飲食店が軒を連ねている。
「はぁ……、すごいな」
高い天井にはシャンデリアが下がっており、蜂蜜のような明るい色で空間を彩っている。ロビーの中心部には池があり、遙か彼方にある天井から滝のような水が流れ落ちている。ローゼンティーナも巨大だったが、ここも同じ位に巨大だった。一五〇〇からの人が此処で寝泊まりをしているのだ、スタッフなどの関係者も含めれば、もっと多いだろう。
「売店やレストランは、基本二四時間開いているから、好きなときに使うと良いわ」
「はい」
シノはフロントに言って一言二言話をすると、シグナルプレートとシグナルブックを持ってきた。
「流石、マリアは仕事が早いわね。はい、これがヨウ君の新しいプレートとブックね。もう、登録は済ませてあるから、ロッジにも学園にも普通に出入りできるわよ」
「助かりましたよ。ありがとうございます」
ヨウは新しいプレートを受け取ると大事そうに握りしめ、ポケットに押し込んだ。
「とりあえず、部屋に案内するわ」
シノはフロントの反対側にあるエレベーターホールへ向かう。
「他の寮も、こんな感じなんですか?」
「おおむね作りは同じね。そこの飲食店のラインナップは、各寮の特色が出てるわね。ブラックウッド・ロッジは、どちらかというと東洋系の食事が多いかしら。アリエールとマリアのブルーレイク・ロッジは、イタリアンが有名よ」
「ブルーレイクはイタリアンか。リンドウに生まれた俺にはブラックウッドがちょうど良いかも」
「そうね」
エレベーターが開くと、ちょうど女子生徒が降りてきたところだった。彼女らはシノを見ると「あっ」と驚いた表情をし、すぐに横に退いて頭を下げた。
「こんばんわ、シノ先生!」
「こんばんわ」
シノは朗らかに言うと、ヨウを伴ってエレベーターに乗った。女子生徒はエレベーターの扉が閉まるまで、頭を下げ続けていた。
「……先生をしているんですか?」
「いいえ、私が生徒を直接教えることはないわ。ただ、学生は私のことを先生と呼ぶわね。アリエールは、学園長。職員は、私のことを副代表。アリエールを代表と呼んでいるわね」
「アリエールが学園長か。ここに来るまで、いまいち実感できなかったけど、今日の姿を見て納得したよ。シノも大変な地位だね」
「まあね。私はアリエールのサポートだからそれほど大変じゃ無いけど、アリエールは大変ね。あの子、色々と心配しすぎるでしょう?」
シノは少し寂しそうに笑う。ヨウには、シノの言いたいことがよく分かった。
「俺の事もずっと気に掛けているから。優しい人ですよね」
「優しすぎるくらいよ。もう少し、色々と割り切れたら楽になれるんでしょうけど」
小さなベルの音と共に、扉が開いた。シノは小さく咳払いをすると、いつものにこやかな笑顔に戻り先を歩き出す。ヨウはシノの残り香を辿るように、その後に続いた。
黒いカーペットが敷かれた廊下がまっすぐに伸びている。白い壁に染みのように点在する黒いドア。先ほどのロビーが驚くほど明るかったため、廊下が暗く感じてしまう。
「一八歳だけど、ヨウ君は一期生としてカウントされるから、相部屋になるわ」
「はい」
「それと、後輩は先輩の身の回りの世話をすることもあるから、忘れないでね」
「身の回りの世話?」
「そう。お気に入りの後輩がいたら、その後輩を専属の付き人にできるのよ」
「付き人?」
ヨウは眉根を寄せた。せっかくジンオウの元から離れたというのに、また誰かの身の回りの世話をしなければいけないのだろうか。
「付き人と言っても、ギブアンドテイクの関係ね。先輩は、後輩の後見人的な立場として、勉学の面倒を見るし、何かしらのトラブルに巻き込まれれば、先輩が出てくれる。ジンオウ君から聞いているか分からないけど、ローゼンティーナは寮単位での行動が比較的多いの。その分、仲間意識は強いわね。だから、他の寮生とのトラブルは、結構多いのよ」
「断る権利は?」
「もちろんあるわよ。だけどヨウ君。もし、君が本当にここで魔神機やソフィアの事を調べたいのなら、力ある先輩の付き人になった方が良いわ。いろいろな方面に顔が利くようになるし、自由に動けることは間違いないわ」
シノの言葉に、ヨウは溜息をついた。まあ、ヨウを手元に置きたいという物好きもいないと思うが、もしそんな人がいたら、話を聞くくらい良いかもしれない。
「ここよ。四八階の四八五〇室。ここがヨウ君の部屋よ」
扉の横には小さなディスプレイがあり、シノが手をかざすと『サイクロフォン・ラドグリフ』という名前が表示され、次に顔写真が映し出される。
「二期生まで、相部屋よ」
「はい」
ヨウは頷く。
シノはもう一度ディスプレイに手をかざすと、呼び鈴が鳴らされた。「はい」と、中から声が聞こえ、すぐに扉が開いた。
「こんばんわ、サイクロフォン。突然だけど、話はマリアから聞いているわね。今日から、彼と相部屋になってちょうだい」
「………はい」
サイはシノの顔を見て頷くと、伏し目がちな瞳をこちらに向けた。
「俺はヨウ・スメラギ。よろしく、サイクロフォン」
ヨウが手を差し出すと、サイは弱々しくその手を握り替えしてくれた。
「じゃあ、ヨウ君。細かいことは、サイクロフォンから聞いてちょうだい。何かあったら、私かアリエールに連絡頂戴」
「はい」
「頑張ってね」
シノはヨウにハグをすると、自室へと引き上げていった。ヨウとサイはシノの姿が見えなくなるまで見送っていた。
「改めてよろしく、ヨウ君。僕のことは、サイって呼んで。みんな、サイって呼んでいるんだ」
「よろしく、サイ。俺のことは、ヨウで良い」
ヨウはサイに招かれて部屋に入った。
思ったより、部屋の中は広々としていた。入り口の正面、西側には大きな掃き出し窓、その前にはテーブルがあり、左右の壁にベッドが置かれ、足下にはウオークインクローゼット、頭部には小さいながらも机があった。入り口のすぐ横には小さな流し台があり、その脇のドアの向こうはトイレのようだ。何も無い殺風景な部屋だが、その分室内が広く見えた。
「シャワールームは、各階に一つあるから、好きな時につかえるようになっているよ。食事は食堂が三階にあるし、一階と地下にはレストランがあるから、そっちで食べても大丈夫。僕が、北側を使っているから、ヨウ君は南側を使って」
「分かった」
ヨウは少ない荷物をベッドの上に放ると、その上に腰を下ろして溜息をついた。
色々あった一日だった。だが、悪くない一日だった。明日から、慣れない集団生活が始まると思うと、少しだけ緊張してしまう。
サイは中央のテーブルに着き、もじもじとしながらこちらの様子を伺っている。
「どうかしたか?」
ヨウは壁にもたれ掛かり、サイに尋ねる。
「ん? ああ……いや、あの……」
サイは言い淀む。
ヨウはシノから渡されたプレートとブックを確認してみる。パーソナルデータや電子マネーは、世界中にあるデータバンクで全て記録されているため、最新のデータで全て引き継いでいる。これで、外部との連絡も取れるが、アリエールから用意されたこの端末は間違いなく盗聴されているだろう。信用はされているのだろうが、アリエールとシノは、ヨウに戦ってほしくないのが本音だろう。
「あのさ……、ヨウは副代表と仲が良いみたいだけど……」
「ん? 俺とアリエール達の関係?」
サイは頷く。
「そうだな、別に隠すような関係じゃ無いけど、俺の師匠とアリエール達は仲が良くて、昔から俺とも付き合いがあったんだよ。その伝手で、此処に入学したって訳」
「そうなんだ。でも、凄いね。学園長の伝手だなんて、普通はみんな厳しい試験をパスして、やっと入れるのに」
「………悪いな。変なこと言って、そういうつもりで言ったんじゃ無いんだ」
ヨウはブックを閉じると、足を伸ばしてサイを見た。サイはヨウの眼差しを受けると、恥ずかしそうに目を伏せた。
「いや、そうじゃないんだよ。それだけ、ヨウは才能があるんだなって……。今日の戦いを見れば、誰だって納得するよ。魔法をあれだけ使いこなせる人、僕は初めて見たよ」
「アッサリと負けちゃったけどな」
「仕方ないよ」
ヨウが笑うと、サイもぎこちなく笑った。
その後、ヨウはサイに簡単な寮の説明を受け、就寝した。
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