第11話
生徒会室から、少しだけ歩いた場所に学園長の執務室はあった。重厚な扉の向こうには、マリアの執務室があり、さらにその奥にアリエールの執務室がある。
長方形のマリアの執務室は、廊下よりもさらに重厚なワインレッドで毛足の長い絨毯が敷かれている。入り口の右手には長机があり、そこにいくつかのブックがホログラムを作り出していた。
「じゃあ、私は此処までだから」
マリアがノックをすると、「入れ」と、事務的な声が聞こえてきた。マリアは「頑張ってね」と、小さな声で言うと、両手でガッツポーズをしてくれた。何を頑張れば良いのか分からなかったが、ヨウは頭を下げた。
「マリアさん、ありがとうございます」
ヨウは扉を開いた。
開放的な空間だった。扇状に広がる室内。扉の正面には大きなデスクがあり、その向こうは壁一面がガラスになっていた。すでに東の空は夜の足が忍び寄り、闇色に染まっている。それに対し、西の空は太陽が最後の力を振り絞るかのように、赤い光を放っている。ちょうど、執務室の真ん中で夜と昼が凌ぎ合っていた。
「久しいな」
デスクに腰を下ろし、外を眺めていたアリエールは顔だけで振り返った。
「お久しぶりね、ヨウ君」
右手から声が聞こえた。体を埋めるようにソファーに座っていたのは、シノ・ルーインだった。
「二人とも、お久しぶりです」
ヨウは笑みを浮かべて部屋の中央まで歩いた。大きく息を吸って、ゆっくりとはき出す。やっと、緊張から解放された。
「見事な負けっぷりだったわね」
シノが優しい笑みを浮かべながら語りかける。
「やっぱり、生身でリアクターに勝つのは難しいですね」
「それはそうだ。そのためのソフィアだ。生身で放つ魔法など、リアクターの前ではただの飾りにしか過ぎないよ。その無謀ぶりは、ジンオウに似たな」
アリエールはデスクを回ってヨウの正面に立つ。ヨウの肩を掴み、まじまじと顔を覗き込んでくる。
バレッタで纏めた髪。少し冷たい雰囲気があるが、それが仮面であることをヨウは知っている。アリエールは、誰よりも優しくて、気弱で、可愛らしい女性だ。だが、彼女は立場上それを表に出すことはできない。ローゼンティーナの代表として、権謀術数が渦巻く政治の場へと赴くことがあるからだ。どんな時でも、弱みを見せることはできない。
「大きくなったな」
「二年ぶり、ですかね」
「そうだな。連絡をくれたら、シノを迎えに行かせたのに」
「それも修行だと、師匠がね」
「それは、ただジンオウ君が旅費をけちっただけよ」
シノがクスクスと笑うと、アリエールも口元を綻ばせた。
「ジンオウは元気か?」
「元気じゃ無いところを見たところがありません。ここ数ヶ月、連絡もないですが、今頃明鏡でしょう」
「明鏡か……」
アリエールは形の良い眉を困ったように曲げる。それを見て、ヨウも肩をすくめた。
「アリエールの思い人は、なかなか目の前に現れないですね」
「バ、馬鹿なことを言うな! 大人を、からかうんじゃ無い!」
アリエールは顔を真っ赤にして否定するが、そのオドオドした表情からは全く否定の色は見て取れない。
「相変わらずですね」
ヨウが笑うと、優しくアリエールが抱きしめてくれた。ヨウの成長を確かめるように、肩に頬を乗せ、ギュッときつく抱きしめる。
「ついに、ヨウが動くんだな」
「………はい」
消え入るような小さな言葉に、ヨウは同じように小さな言葉で応えた。ヨウも、アリエールの温もりを確かめるように、彼女の細い腰に手を回した。力を入れれば折れてしまいそうな、華奢な体だった。
「すまないな、我々大人がしっかりしていないせいで、また、お前を表舞台に出すことになってしまう……」
「大丈夫です。もう、前の弱いままの俺じゃないですから」
アリエールはヨウから離れると、もう一度ヨウの顔を正面から見つめた。そして、何度か頷くと、少し悲しそうな笑みを浮かべた。
「そう、だな。ヨウももう子供ではない。この選択は、ヨウの選択だ。我々は、それについて意見することはできないな」
「そうよ、アリエール。子供は成長して、巣立っていくもの。私たちは、ヨウ君の巣立ちを喜ぶべき事なのよ」
今度はシノが歩み寄り、同じ様にきつくヨウを抱きしめてくれた。甘い香水の香りだ。ボリュームのあるシノの髪。うなじの少し上にある耳にキラリと赤く輝く石が見える。その小さな宝石が、『激昂なる尖晶石』のソフィアだ。
「それが普通の巣立ちなら、私だって手放しで喜んださ」
「まあね。だけど、ジンオウ君が動いたって事は、明鏡も動いたって事でしょう? ヨウ君、乙姫からは何か連絡は?」
「乙姫からは、魔神機に注意してくれって言われてます。それに、できるだけ、俺には戦うなって」
太陽は砂漠に日が沈んだ。最後の残光が地上から消え去った瞬間、天井全体が輝きだし、部屋が明るくなる。
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