第7話
ちょっと! やめてください!
エントランスに響く女性の声。見ると、エントランスの中央階段の踊り場で青いローブを纏った女子生徒が、赤いローブを纏った男子生徒に手を捕まれていた。
「良いじゃねーかよ! 放課後、少し付き合えって言ってるんだ」
「イヤです!」
赤いローブの男は、見るからに柄の悪そうな男だった。短い金髪を剣山のように立て、鼻と耳、唇にピアスをしている。狐を連想させる細く青い瞳は、嫌がる女子生徒を見て嫌らしく目尻を下げている。
「本当に、やめてください!」
女子生徒が勢いよく手を払った。その最、女子生徒の手が顔に当たったのだろう、男の頬に赤い血の筋が出来ていた。
「……テメェ」
低いドスのきいた声が男の口から発せられた。男の周りの空気が、一瞬にして冷たい物に変化する。女子生徒も雰囲気の変化を感じたのだろう、後ずさりしながら「ごめんなさい」と、消え入るような声で言った。
「クソ女! 俺に傷をつけておいてゴメンで済むと思っているのか!」
男が手を上げ、躊躇うことなく振り下ろす。乾いた音と短い悲鳴が朝のエントランスに響く。時間が止まったかのように、エントランスに居合わせた人たちの動きが止まった。
「俺はエストリエの一員だぞ! おまえ達とは違うんだ! エリートなんだ! 俺からの誘いは、断ってはいけないんだよ!」
男子生徒の声が静まりかえったエントランスに響き渡った。
ここにいる生徒達は、足を止めているがその様子を遠巻きに見ているだけだ。倒れ、どうして良いか分からない女子生徒は、今にも泣きそうな眼差しで周囲に助けを求めるが、誰も彼女と目を合わせようとしない。
「エストリエ、か……」
噂に聞くローゼンティーナのソフィアリアクター。その中でもごく一部のエリートが選ばれる集団。
ゆっくりとヨウは立ち上がった。目深に被ったフードをそのままに、エントランスを突っ切り階段に足を掛ける。
「ンだ? テメェは!」
男子生徒がヨウを怒鳴りつけるが、ヨウは気にすることなく階段を上がり、倒れた女子生徒に手を差し伸べて起き上がらせる。
「それが、エストリエか?」
ローゼンティーナのエリートと言っても、所詮は戦闘集団。全員に品性を求めるというのは不可能だろう。
「何だと? テメェ! 何が言いたい!」
「俺は、エストリエというのは、もっと皆の尊敬を集める人たちだと思っていたよ。女子生徒に袖にされたからと言って、手を上げるゲス野郎とだとは思わなかった」
ヨウはフードから僅かに覗く口元を綻ばせる。その笑顔を見て、男子生徒の顔は真っ赤になった。
「死にたいのか?」
男子生徒はヨウの胸ぐらを掴み上げてくるが、ヨウはその手を取ると捻り上げる。腕を決められた男子生徒の顔が歪む。ヨウは男子生徒と体を入れ替えるように背後に回ると、膝の裏を蹴り飛ばし膝を着かせた。
「離せ! 離しやがれ! ぶっ殺すぞ! テメェ!」
口角から泡を飛ばす男子生徒を、ヨウは冷たい眼差しで見下ろす。エストリエは、ソフィアライズしていなければ、この程度の実力しかないのだろうか。少し残念に思ったヨウは、突き飛ばすよう腕を放した。男子生徒は冷たい床に叩きつけられる格好になった。
「残念だよ、エストリエがその程度なんてな」
溜息交じりにヨウは吐き捨てた。これが、師匠が行けと言っていたローゼンティーナの、エストリエの実力だというのだろうか。
「なんだと……!」
男子生徒の目が怒りに燃えていた。殺伐とした気。隠すことのない殺意がビシビシとあてられる。
「逃げて!」
先ほどの女子生徒がヨウの手を取ってくる。が、すでに逃げ場はなかった。いつの間にか、ヨウの周りには人だかりができていた。強行突破もできるが、それではここに来た意味がなくなってしまう。
「貴様! もう一度言って見ろ! 俺は、エストリエだぞ! この学園でも、特別な存在なんだ! 貴様なぞ、今すぐにでもここから叩き出すことだってできる。いや、この場で貴様を殺すことだって可能だ」
凄む男子生徒。だが、彼の力は底が知れている。ソフィアライズしなければ戦えないリアクター。それがヨウの印象だった。
待ちなさい
声が振ってきた。男子生徒の背後に見える階段から、女性が降りてきた。
アリエール・ゼオン。ローゼンティーナの最高責任者であり、彼女こそ、ヨウがアポイントを取った人物だった。
不思議な感じのする空間だった。
この世であってこの世ではない。
空気は軽く、乾燥している。深呼吸してみても、胸の奥に少し息苦しさを覚える。空は快晴だったが、どことなく平坦な感じがする。砂地の地面、百メートルを遙かに超す円形の闘技場だ。周囲から聞こえる地鳴りのような歓声。だが、その歓声の出所は分からない。
ここは仮想区間。システムの中なのだ。
「転送された先は仮想空間だから。殺されても何をされても、とりあえずは平気だから」
ベッドに横になる直前、シジマは説明してくれた。そして、アタラの攻撃でよく生き残っていたと、笑顔を見せてくれた。
「プレートもブックも、お釈迦になっちゃったけどな。あの程度で死にはしないさ」
「気をつけて。ああ見えても彼は強いよ。エストリエに選ばれただけのことはある」
「だろうね。でも、強くなければ困る。リアクターなら、なおさらね」
ヨウの言葉にシジマは不思議そうな表情を浮かべながら、ヘッドセットを被せてくれた。
「仮想空間だけど、受ける痛みは現実そのものだから。無理だけはしないで」
「分かった」
ヨウは横たわって、目を閉じた。アナウンスが流れ、ヨウの意識は激しい濁流のように流されたかと思うと、仮想空間の世界に瞬時にして送り込まれた。
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