第5話


 ☆★☆★☆★☆★


「クソッ!」

 ヨウ・スメラギは毒づいた。

「着替えや小説の入ったバッグは蒸発。シグナルプレートもブックも、熱で破損……」

 ヨウは巨大な湖の畔に座り込むと、大きく溜息をついた。

 親代わりであり、師匠であるジンオウ・スメラギから渡されたのは、雀の涙程度の路銀だった。これでは、飛行機は疎か、列車にだって乗れない。徒歩で大陸の横断をするために、ヨウは用心棒などをしながらローゼンティーナを目指した。遙か西の果てにある大陸ダアトからここまで来るのに、約五ヶ月かかった。

 ヨウは焼け焦げた長方形のシグナルプレートを見た。熱で黒く焼け曲がってはいるが、本来は幅三センチ、長さ五センチほどのプレートだった。そのプレートには様々な情報が記されており、あらゆる個人情報はもちろん、、電子マネーも全てこのプレートに記録されている。シグナルブックは、直径一センチほど、長さは十五センチの小さなスティック状のアイテムで、表面はガラス状にコーティングされており、そこにはタッチセンサーで反応するボタンがいくつも存在している。シグナルブックは携帯端末の一つで、ボタン一つでホログラムのウインドウが立ち上がり、遠くにいる相手と会話もできるし、どこにいても様々な情報を調べることができた。

 現代において、プレートとブックは、生きていく上では欠かせないツールの一つだった。その二つを一度に失ってしまった。これでは、身分を証明する事もできない。

「師匠に連絡を取りたいけど、金もないしな」

 指先でプレートを弾いたヨウは、立ち上がると美しい湖面を見つめた。

 明らかに自分の失態だった。僅かな旅費をけちったばかりに、徒歩で砂漠を横断してしまった。セーフティールートは確立されていたが、それではかなり大回りになってしまうため、レッドストーンを横断することにしたのだ。途中、小さな町やオアシスの情報は仕入れていたため、それほど苦労はしないはずだった。だが、ローゼンティーナを目前にして、最大のミスを犯してしまう。アタラとの戦闘だ。

 最初、ネズミに似た小動物タイプのアタラと戦ったヨウは、難なくそれらを蹴散らした。だが、それがいけなかった。彼らは哨戒を主とするアタラだったのだ。そのアタラの叫びが、あの昆虫タイプの馬鹿でかいアタラを呼び寄せてしまった。

 頭上で、ソフィアリアクターが助けようとしていたが、結局、彼からはまともな援護が得られなかった。アタラの攻撃を避けるため、ヨウは魔法で砂漠に巨大な穴を作り、そこに身を隠した。だが、アタラの放つ熱量は砂漠をガラス状に変質させるほどだったため、砂の中までもかなりの高温に晒されてしまった。肉体だけは魔法でカバーできたが、服は熱に晒されてしまった。そのせいで、プレートとブックは破損してしまった。

「仕方ない。明日、ローゼンティーナに行けば何とかなるだろう」

 ヨウはボロボロになったマントを脱ぎ捨てる。汗と砂にまみれたジャケットとズボンを脱ぎ捨て、全裸になった。

 西の空に太陽が沈もうとしている。燃えるように輝く広大な湖面。静かな湖面は、ガーネットが敷き詰められたかのように美しい。

 優しい陽光を全身に受けながら、氷のように冷たい湖の中に入っていく。長い旅で蓄積した汗と埃の膜を洗い流していく。赤い光を受けて煌めくヨウの体は、よく鍛えられ引き締まっていた。

 大きく息を吸い込むと、鏡のように光を反射する水の中に潜った。透明度の高い水だ。かなり遠くまで見通せ、水草の中には沢山の魚が泳いでるのが見えた。ヨウは水をかいで湖の中央に向かって泳いでいく。十メートルも進むと、湖は急に深くなる。ヨウは一旦湖面で息を吸うと、肺いっぱいに空気を貯めて潜水をした。

 冷たい水が体の中に溜まった熱を下げてくれる。ヨウは水面の方を向いて、脱力した。しばしの重力との別れ。ヨウは目を閉じた。

 暗闇、そして無音。しばらくじっとしていると、ゆっくりと、だが確実に時を刻む心臓の鼓動が聞こえてくる。


 俺様達は、絶対に友達だ! 何があっても、どんなときでもだ!


 その通りよ。世界中の全てを敵に回しても、私たちは貴方の味方。絶対に、また会いましょう。


 懐かしい声が聞こえてくる。

 彼らは、いったい何をしているのだろうか。八年も前に分かれ、今もこうして同じ世界で同じ時間を刻んでいる。


 いつか、必ず会おう。


 ヨウは二人に向かってそう言った。それから、まだ一度も二人とは会っていない。元気だという話は、師匠から聞いていたが、会う機会に恵まれずにいる。

 ヨウは目を開けた。鼻と口から空気を吐き出し、再び泳ぎだした。一頻り水泳を楽しんだヨウは、浅瀬に戻った。

 日は陰り、薄闇が立ちこめていた。長い髪から水滴をまき散らしながら、湖岸に上がろうとしたとき、「きゃっ」と、細い声が聞こえた。

 驚いて横を見ると、一人の少女が固まってこちらを見ていた。

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