.PERIOD.

罰点荒巛

1:Life's what you make it

『其は永久に横たわる死者にあらねど、測り知れざる永劫のもとに死を超ゆるもの』-H.P.ラヴクラフト




刻まれた足跡が砂に埋もれていく。

どれだけ歩いてきたのだろう。

ぼくの数時間前までの過去を記録した生痕は乾いた風に吹き飛ばされて、この砂漠から姿を消した。

誰も追っては来れないのだから、この流離いもなかったことになるに違いない。

スイミーたちが大きな魚のシルエットを象ったみたいに、小さな砂粒たちが大海の砂絵を描いている。

その砂の海に散らる骨たちは、かつて恐竜バシロサウルスだった彼らの略歴を判然と示唆するものだ。

ワディ・アル・ヒタン。

地獄の山ガバル・ゴハンナムの麓にあるクジラの谷。

ぼくは、そこで溺れていた。

体の自由を奪われているわけではないのに息を喘がせていた。酸素を奪われた肺は、懸命に萎んでは膨らんでを繰り返している。

脳裏に釘止めされた景色が無意識に浮かぶ。

腕があって、足があって、頭があった。人の体のパーツが落ちていた。

銃弾に下顎から上を吹き飛ばされ、ぽっかりとした穴を開けられた人が膝立ちしていた。

あそこに2000年代の奇抜なアーティストがいたら、その空洞に花を生けるのかもしれない。

生き長らえた同胞たちが彼らをナイル川へと流した。

「肉体さえ残っていれば、またこの世に戻ってこれる」

ぼくの隣で彼らを看取っていた老人は死を優遇すべきでないと教えてくれた。

この人たちは幸せになれるのだろうか。

あの世。

あの世を消滅させたら、この戦場みたいになりそうだ、とぼくは思った。

青空を見上げると、太陽の日差しが眩しかった。

ぼくは、日光の槍を遮ろうと手をかざそうとした。が、大きな黒いものが太陽を覆い隠してしまった。

この空には似合わない真っ黒いヘリコプターだ。

そこから頭を出した、ヘリコプター同様に真っ黒な3人組はぼくを呼んで、砂漠の海から引き上げてくれた。

「エジプト旅行の気分はどうでした」

旅行代理店員よろしく、引き揚げざまに男が尋ねた。

「最悪だった」

上司からはサポーターをつけるとは聞いていたが、よりにもよってPMCだとはちっとも思わなかった。雇われ兵が国家の所有する軍隊よりも柔軟に活動できると評判になったのは随分前のことだ。

そもそも、国家という枠組み自体が形骸化の一途をたどっているとのことだ。各国政府は中枢を統合する意味合いで機能はしているものの、そのほとんどの諸活動が民営化され、下請けされている。

このPMCのお三方の人種が、バラバラなのもそのためか。

医療の進歩は留まるところを知らず、今や先進国では肉体を不死にするテクノロジーが普及している。

MinuteMEN。このエジプトの地で開発され、死から世界中を救った薬とその永続投与システム。

ぼくもそうだし、この3人だってその恩恵を施されているだろう。

芥子粒より砂粒より小さなナノマシンたちが、身体中を駆け回りせっせと働いている。

血管補修。

骨格補強。

臓器機能の調整。

自律神経のバランス維持。

肉体の時は止まる。ぼくらは、あの時のままに不変であり続けることができる。

人類はついに死を克服した。

数年前まで、エジプトを塒に膨れ上がっていた、とある宗教過激派組織の歴史的暴挙によって。

聖戦ジハードの名の下にばら撒かれたウイルスの蔓延したカイロの建物から焼き出され、みんなこの茫洋と広がる砂漠まで一目散に走った。

突如、命を危機に晒された世界中の人々は是非も問わず、不可視なものに対する躊躇を忘れ去った。

医療だけでは成し遂げられなかった革新を暴力が推進させた。

遠ざかっていく砂漠はその名残だ。

未だ死を制御することへ慄く者たちの足掻きの跡を、血塗れの粘土板が遺している。

いつの時代も少数派に慈悲はない。不死技術イモータライゼーションの受け入れを始めた世界は宗教や無駄な信仰を絞め殺そうと躍起になっているのだ。

静かにゆっくりとフェードアウトさせていく腹づもりだろう。

ぼくはというと、葬儀省の監査役としてここへ派遣された。

終末主義社会の傀儡。立会人。

大抵の場合、葬儀を見守ること以外に仕事が増えることはないが、このような大量殺戮の現場では訳が違う。

何と言っても、ぼくらの社会での最期は計画されているのだ。

みんな宣言する。

わたしはこれから死にます。

みなさんしっかりと見ていてください。

わたしの最期を見届けてください。

まるで、怒りのデス・ロードだ。

命に際限がなくなっても、死者は生まれる。

自由意志の選択による自殺で。

人知を超えた神の意志によって宣告されることも、人の裡に潜む道徳や倫理に諭されることもなくなった。

死に対するタブー視は消えた。

死を自由に選択できる未来が来ると、やがて葬儀社は以前より多忙になった。

今や金を回しているのはこの業界だ。

どれだけの顧客をより良く葬れるか。

国内外、大小含めて多くの企業が競い合っている。

まるで物語るような調子のまま、彼はぼくの予想を裏切った。

「彼女が式をするそうだ」

「彼女って」

フィンは一呼吸して、

「サラだよ。覚えてないのかい」

この言葉の意味に驚くようなことは全くない。ぼくが呆気にとられたのは、彼の口から彼女の名前が出てきたこと。

まず、この砂漠に別れを告げなければいけない。

砂時計何億個分の砂が敷き詰められたところから。

ぼくは、一握の砂を握りしめていた。

ここで足跡が道になることはない。

クジラのように、人々が化石になるようことはない。

ぼくは掌を宙に開いた。

その粒子は重力の尾を引きながら、音も無くあるべき場所へと積もっていった。




「おめでとう」

彼女と別れるのは少し寂しい。大学では同じ学科で学んだ学友でもあり夜遊びした唯一のガールフレンドだ。

そう呼ぶには頼りないかもしれないが、そんな彼女の決めたことを受け入れるべきだ。

「あの時も楽しかったわよね」

「ああ、いっしょにクラブにいった」

彼女はフューネラルコーディネーターとしての道を歩み始めた。

人を葬るための仕事に就くために、ぼくとの関係を切った。

再び彼女は、ぼくとのつながりを急に解こうとしている。

今度ばかりはもう会うことはない。

「なぜ、また急に」

サラは目をつむった。

「わたし、この仕事をして思ったのよ。この仕事って、毎日人の最期を見ることになるでしょう。そのときね、わたしの人生の最高点がわからなくなったの。イーサンと踊った時。今の仕事についた時。わたしが生まれた時。でも、本当に幸福な時間って今だって思ったの」

だからね、こうすることに決めたの。自ら命を絶つことで、最高の時間を切り取ることに決めた。

老いることに価値はない。ましてや年を重ねることに意味はない。人生の価値は生きた時間の量ではなく、生きた時間の質が決める。

昔の人々が限りある時間を生きるために示した心得は、今も変わらずここにある。timelifeも無限に広がることは出来ても、guideは有限を忘れない。

時間を大切に。生命を大切に。人生は一度きりなのだから。

式場に入ってきたサラは薄い化粧とドレスと、たっぷりの防腐剤を含んだクリームとで覆われていた。

生きたままかたちを残しておくためのエンバーミング。彼女は両親と、自分自身と話し合った結果、身体を遺すことにしたらしい。彼女の肉体がそのまま墓石になるのだ。

レーニンやスターリンは死後も化学的・外科的にミイラと化し、肉体を保っているという。今もなおその原型を保つために定期的にメンテナンスされている。死してなお国を指導せんとする社会的肉体。

ぼくらも同じように社会システムを繋ぎとめておくための生贄イコンだ。

この会場の仕立てを行ったのは国内でも名高い葬儀社だ。彼女がオーダーメイドした死に場所は、まるで一昔前のクラブみたいだった。幻想的な照明に照らされた暗がりにシンセサイザーのサウンドが木霊している。彼女のおかしな趣味(センス)を、ここまでにしたコーディネーターはなかなかの腕だ。

映画『マスク』みたいに、顔を緑色にライトアップされたフィンがやってきた。

「彼女と話した?」

「ああ、思い出話しは少なめだったけれど」

多分、フィンとサラはぼくより先に関係を持っていたのだろう。掘り返す言葉はない。

「しきりに会いたがっていたよ。君に」

「そうかい」

今のサラとは、今日で会えなくなる。今度会うときは、皆のサラとして相見えるだろう。サラは幸せだから終わるのだ。フィンと別れ、ぼくとよりを戻したいという苦痛でした選択ではないはずだ。

何しろ、彼女は誰のものでもないし、死は彼女のものだ。

この世界は、人生の中身を満たすために必要なすべてが揃っている。誰が終わりを迎えてもいいように準備されている。もちろん、彼女の最期に欲したものだってそうだ。日記、パステルカラーの棺、EDMのグルーブ、家族、友達、いのち、幸せ。ぼくはその中に含まれているのだろうか。

映像化した伝記バイオグラフィがスクリーンに映る。これから、この世からいなくなる彼女のことを語り継ぐための物語。

ぼくはサラと写真を撮ったことがなかったらか、ぼくはそこには登場しなかった。AIが過去のアーカイブから過ぎてしまったあの日を再現する。

彼女の頭の中にある記憶と情報が共有される。死者となるための思い出話し。彼女という物語は幸せの連続だったと、この映画は主張している。ぼくもそう見えた。映画は見えたものがすべてなのだから、見えないものを見えるなどというのはお客様オーディエンス失格だ。

否、きっとあったはずだ。

辛苦。懊悩。失敗。絶望。

たとえば、ぼくとの出会い。

この映画では視覚化されていない裏口を開けることができる者は、その記憶を共有している者だけに違いない。

しかしながら、彼女は、思い出したくないだけだろう。結構、大いに結構。

隣でスクリーンを見つめるフィンだって、そんなことは知らないだろうし、彼の頭蓋の中の時間を見る気はさらさらない。

ぼくの知っているサラ。フィンの知っているサラ。サラしか知らないサラ。

「ひょっとして、俺は彼女のことは何も知らないのかもしれない」

同感だ、と言ってやるせなくなった。

いつの間にか、映像は終わり、文字が空中に書かれ始めた。

エンドロールは、まるでジェイコブス・ラダーのように突き立ち、名前を次々と天井へ召していった。

サラへの祝福の言葉が表示されて、会場の暗闇が仄かな光に包まれた。

壁一面には彼女の遺品となるものがレイアウトされていた。

それらの遺物にヴァニタス的な美しさはない。

今まで彼女が使っていたもので、どれもこれも生活感が滲み出ている。記憶に新しいものでは、昆虫採集家の老人が集めたコレクションを展示していたこともあった。彼女の「もの」はありきたりだった。

彼女はそこに立っていた。まだ、生きているサラが笑顔で最期の言葉を紡ぐ。思い出は全て映画で語られている。彼女が残すのはその解説であり、人生の意義を表す言葉だ。この生涯28年を振り返ってた心を吐露する。

幸せです。とても。

「わたしは感謝しています。ここにいる全ての人たちに。そして、わたしは愛されています。ここにいる全ての人たちに。わたしも皆さんのことを心から愛しています。これはわたしの名の下に選択した、最高の終わり方です。今、わたしの命は愛で満たされています。今まで、どうもありがとう」

人が生まれ続ける限り、命を粗末にしてはいけないという道徳的理念は風化することはない。

しかし環境と時代と共に、命の使い方は変わることを、この社会は彼女のような事例を提示して実証している。

親から貰った大切な命だからこそ、大事に大事にあつかうのだ。


わたしの命はわたしのもの。

わたしの死はわたしのもの。

あなたの命はあなたのもの。

あなたの死はあなたのもの。


人生を総括した後の言葉は、いささか味気がない。記憶が捨象され過ぎていて、死を前にした本人にしか言葉の語るところを聞きおおせることはできない。

かつて日本では恥に耐え切れず己の腹を割く人々が多かった。その中でも文学の素養のある少数は、辞世の句で最後の情緒を表していたという。

手向けられた音と光と言葉が、死者を満遍なく飾りはじめる。

彼女の望んだ最期を天国に書き換えていく。

もし思考警察がいてくれれば、あの砂漠で見た景色とここで披露された景色とを類推したぼくを拘束してくれただろうが、生憎、この時代にそんな大胆な組織はない。

彼女の頸の少し下に備え付けられた鍵穴アンクに、生成されたナノマシン-MinuteMen-の奔流が注がれる。その機械の粒の役割はある快楽物質エンドルフィンを脳内血管中に構築すること。

また、彼女を満たしていたMinuteMenを抽出していく。

徐々に肉体を安静に死へと案内していく。

水でスープを薄めるように、ナノマシンが生命を程度の問題へと然らしめる。

どこからが生で、どこからが死なのかという問いを解消してくれる分割線を設えるのは、常々人間の役割だとされている。

今まさに、サラの命と共に、サラの意識と呼べるものまで希釈されているのだろう。

彼女が生きていたのか、それとも命として無味だったのかというという問いは遺された者に問われる。

「ありがとう」

耳は、その個体が死を迎えて他の諸器官が機能を停止してもなお音を感受しているという。

とはいえ、その音は既にシャットダウンした脳に認識されることはない。だから、今の彼女に囁いたところで、ぼくの言葉は届くことはずはないのだ。

さようなら、サラ。そして、永遠に。

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