Chapter08 恐るべき偶然(アクシデント)のパズル
原稿用紙約49枚
§01 組み上がるは殺意のパズル
噴水があった場所は、見事なクレーターと化していた。路面のタイルが剥がれ飛び、土と岩盤が抉れ、露出した配管が捻切れて水をこぼしている。
「サニーくん、サニーくん!」
少年の意識を留めようとミズルは呼びかけ続ける。
サニーは取り出された注射を拒み、自分のピルケースから錠剤を貪った。直後に嘔吐し、吐いた胃液や昨日の夕食と一緒くたにして、更に薬を嚥下する。
小刻みに痙攣する手から、空になったピルケースが落ちた。両の目で禍々しい赤の光輪が明滅している。
それを見た時、ミズルはサニーの信管がもはや朽ちつつあることを察した。
「サニーくん……あなた」
頭脳信管を適切に破壊すれば、人間爆弾が炸裂することはない。それは爆弾としても生物としても死を意味する。不発弾であるサニーは、いつ炸裂するかもしれない不安定さを薬物で無理やりに安定させてきた。そのツケが今、回って来つつあるのだ。
このままではサニーは、炸裂するより先に自壊するだろう。
(後一日、保つかどうかさえ怪しい……!)
だがここまでクラウドに接近した今、数時間の猶予さえあれば充分なのかもしれない。いや、間に合わせるしかない。
「サニーくん。お兄さんの所までもう一息なのよ。頑張って」
腕に抱いた少年の体から痙攣が抜け、安らかな震えに変わっていく。ミズルのズボンを汚した吐瀉物には、喉の粘膜を傷つけたのか、微かにだが血が混じっていた。
爆発の際に飛散した水で三人ともびしょ濡れだ。それに混じって飛んできた噴水やタイルの破片といった危険物は、インヴァットが広げたコートの防壁を使い、全て叩き落としていた。
「坊やはもう大丈夫か?」
「……ごしんぱい、おか、けしました」
ミズルはそっとハンカチをあてがって、サニーの口を塞いだ。無理してしゃべらなくていいのよと、動作に意味を込めつつ。
少年の顔を拭いながら、ミズルは眼下の惨状を見遣る。
水浸しのクレーターには、かつてあった噴水も、天使の彫像も、キャスリーン・ヒューズも、全て粉々の塵と灰になっていた。あるのは、ただの穴と亀裂と焼野。
キャスリーンの青い傘だけが、東屋の傍に転がっている。
反吐のようにこみ上げ、喉を灼く衝動があった。辺りには硝煙に似たガス臭さに、タンパク質の焼けた臭いが混じっている。生体爆薬が炸裂した後の、独特の臭気。
距離や、段差や、水のお陰でか、ミズルたちはキャスリーンの炸裂では全くの無傷で切り抜けられた。
だが、目の前に広がるこの光景は、彼女を五年前の時間に引きずり落とす。
あの時と同じ、人間爆弾が弾けた臭い。
嗅覚に染みついて、もはや味となって吐き気をもよおす、腹の底まで腐るような最悪の気分。内臓をぬるぬると不快感が這って、生理的な嫌悪感と、認めたくない凄惨さに、手足の先が冷たくなるような怖気をふるう。
顔が歪む。
「
我知らず声音が、幼いものに変わっていた。社会で生きていくための理性や常識、良識ある態度といったものが剥ぎ取られ、ちっぽけなむき出しの自我になっている。
自分の中にあるパズル箱がひっくり返され、中身をぶち撒けられていた。
「いや。厭、こんなのは。また」
五年前と全く変わらない炎――何一つ変えられない自分。
ポップがくれた、パズルの詰まったおもちゃ箱。大きくなると子供用のパズルを捨てて、ルービックキューブだけ手元に残した。
目を閉じてもその感触が思い出せるほど使い込んだ。空想のキューブを弄れば、いつだって心が落ち着いた。なのに、今はそのパズルに触れることも出来ない。
長い髪を振り乱して惑乱するミズルの背に、インヴァットがそっと触れた。
「ミズリィ、落ち着け」
それが却って彼女を弾けさせる。
インヴァットの手を乱暴に振り払い、ミズルは喚いた。
「見たでしょ!? 炸裂まで十秒以上も間があったわ。私が鈍化剤を打ち込めば、解体出来ない時間じゃなかった。あの子が足を止めてくれれば、私が追いかけていれば……」
サニーが何か言いたげに、腕の中で身をよじった。ミズルは思わず少年を抱きすくめて囁く。
――「殺させて」
インヴァットが声を荒げて名前を呼び、ミズルの肩を掴んだ。
「あいつを殺させて。もう耐えられない。厭。二度もこんな……あんなもの」
五年前の事件でインヴァットと再会した時のことを思い出す。フィーネの爆弾に吹っ飛ばされ、傷つき打ちのめされている彼女に彼は言った。「立って戦え」と。
あの時から自分は復讐を決意したのだ。
今や彼も忘れている、その言葉があったから。
(――だってヴァッティお兄ちゃん……。ミズリィはやっぱり、ポップとフィーネのことをそのままにしては置けないのよ――)
悲しみが、誰かや何かに助けを訴える気持ちが、そのまま殺意に結実していた。
「殺してやる」
そう、パズルのピースがぴたりと嵌り込むように、これ以外にないという組み合わせになって。
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!」
殺してやるべきだった。クラウディオもウェザーヘッドたちもインヴァットさえも、フィーネとポップに関わった全てを殺し尽くしてやるべきだった。そして最後にサニーを解体して、自分自身を撃ち殺すのだ。衝動と言うよりも確信に近い観念が、ミズルの胸を貫いていた。
「それは駄目です。僕はそうさせないために、ずっと居たんですから」
ひんやりとした手が、そっと頬に当てられた。サニーだ、信管の疼きから解放されて、随分と落ち着いて見える。そう、おそらくは今の無様な自分よりもよほど。
それが分かっていながら、ミズルは悟ったような顔をした少年に言葉を吐き散らした。
「あなたは悔しくないの!? どうしてそう落ち着いているのさ、最初っから……クラウディオに爆弾にされて、もう死が間近に迫っているのに。とっくに自分の命なんかない、幽霊みたいに何もかも達観しちゃって。
あいつが憎くないの!? ねえ、サニーくん!!」
あいつを憎んでよ、サニーくん……。
言葉に出来ない叫びがミズルの胸中でこだまする。
「分かんないんですよ、そんなの」
対してサニーの応えは静かすぎるものだった。ゆっくりとミズルの腕を解き、ふらつきながらも真っ直ぐ立つ。そして、解体屋の両肩をひしと掴んだ。
「僕も一度は魔が差しました。ナイフを持って兄さんの部屋に行ったけれど、それが全部間違いの元だったんです。そして偶然にも、兄さんは父さんと母さんを殺していて、僕は兄さんを殺すところだった。爆弾になってしまったのは、むしろチャンスだったんじゃないかって今は思うんです。少なくともあそこで死にはしなかったし」
唖然とするべきなのか、ヒステリックに泣き喚くべきなのか、ミズルは判断がつかなかった。
「僕はただ、もう悲しいだけです。そろそろ、それもどんな気分だったか分かんなくなってきましたけれど……。多分、僕は兄さんに会って、もう一度謝ったり、怒ったり、謝らせたりするために、まだ頑張って生きているんじゃないかな。そんな気がするんです」
微笑んですらいるサニーの声が、言葉が、表情が、自分を落ち着けてくれるのが分かる。固まりかけていた殺意のパズルを、解きほぐしてくれる気がした。
「ねえミズルさん、ひと繋がりの偶然なんですよ。僕の家が兄弟で人殺しになったのも、あなたがその犠牲になったのも。復讐とか間違いとか、そういうのってきっと、全部〝順番待ち〟なんです。ミズルさんが兄さんを殺したら、いつか貴方も復讐される側に回る気がする。殺したり殺されたりする順番待ちの列になんて、並ばないでください」
それは「復讐は何も生まない」というありきたりの一般論に過ぎなかったが、今のミズルには染みるほど少年の労りが伝わってきていた。それで充分と思えた。
しかし偶然――
その単語は生まれて初めて耳にしたもののように、ミズルの鼓膜を震わせていた。
全てがひと繋がりの偶然だとしたら、この爆弾にされた少年は、どんな恐ろしい偶然のパズルに組み込まれているんだろう。
自分に繋がる偶然たちのピースは、どんなパズルを成しているんだろう。私たちはみんな、どれだけ複雑怪奇なパズルに使われているのか?
どんな不可能に見えるパズルでも、必ず解けるように出来ている。けれど、自分やこの少年や、全ての人に仕組まれたそれには、解答があるとは限らないのだ。
それでも。
「サニーくん、それが君の答えなのね」
ミズルは立ち上がって涙を拭った。
「意地の悪い偶然の連続から、君はきっと正解を見つけ出したんだわ」
殺意のパズルはまだ解けない。それが胸に突き刺さったまま存在を主張するのを感じながら、ミズルはその禍々しい場所にサニーの頭をかき抱いた。
「落ち着いたか、解体屋?」
インヴァットが大げさにため息をつく。
「久しぶりだよ、下着に氷を詰め込まれたようなこの気分。反省しろ、ミズリィ」
そう言って、ヴァッティお兄ちゃんは彼女の頭をこづいた。
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