§02 過去からの導火線

 時計塔の最上階は、メンテナンスの技術者以外は立ち入り禁止の鐘楼だ。設置された機械鐘が、二十メートル四方ほどの部屋面積を三分の二ほども占めている。

 中心部に開いた床の穴が塔内部への吹き抜けになっており、そこから時計と鐘を動かす複雑な機構を露出させていた。穴の上に吊された真鍮の鐘は、単なる飾りでしかない。鐘の音色は、この塔全体が奏でている。地下の時計塔が故障した時、十五年も修理がきかなかったのは演奏の機構が複雑広範だったためだ。


――まさか、自分がその故障を直してしまうはめになるとは思わなかったが。


 今、クラウディオ・グレイスはロックを解除して鐘楼に侵入していた。腰を据えて双眼鏡で眺めるは、終戦記念公園。サニーはどうやら、キャスリーンの爆発から生き延びたらしい。

 死んでしまうなら、それでもいいかとクラウドは思っていた。どうせ一度は諦めた弟だ。実の兄を殺そうとした恩知らずだ。けれど、まだ生きているなら、多少なりとも未練が湧かないでもない。結局、自分はあいつをどうしたいのだろう。

 サニーがやって来るのを待ちながら、クラウドは考えた。双眼鏡を転じれば、新市街のそこかしこに不発弾を収めた危険区域が目に付く。あんな物を長年放っておくなんて、ここの住民は何を考えているのか。それが妙に可笑しくて、クラウドはどこか不思議な共感を覚えた。

 この街は自分と同じだ。己を破滅させるかもしれないものを、無根拠な楽観で放置する。あるいは、破滅したくてそうしているのかも。――だが、自分じゃ区別が付きやしない。

 朝の街は眠りから覚めて、ざわめきだしていた。あと一押しすれば、その全てが瓦解するだろう。滅ぶ時は自分もこの街も一緒だ。


――そうだ、俺はようやく俺の心が分かった。もう疲れたのだ、サニーが来たなら、最初にあいつを爆弾にした時の通り、考えた計画を実行しよう。


 クラウドがようやく心を決めて微笑んだ時、鐘楼前のエレベーターが稼働する音がした。まさか弟以外の誰かが、このタイミングでやってきはしまい。双眼鏡から確認した、サニーと解体屋と、もう一人知らない男。きっとその三人がやって来たのだ。

 足音が入り口の前で止まる。目隠しになるような扉はない。


「やあ、サニー。待っていたよ」


 クラウドが市街の風景から眼を離すと、そこには望んでいた弟の姿があった。



「兄さん……」


 赤く染めた髪と、眼鏡の奥で蛍火のように燃える緑の瞳。まるで変わらない兄の姿を前に、サニーは今さら怒りも憎しみも湧かなかった。

 ただ痺れるような懐かしさと、嬉しささえあって後ろめたい。抗いがたい喜悦と安寧に揉まれて、自分を見失いそうだ。

 ミズルとインヴァットに「十分だけ一対一で話をさせて欲しい」と頼み込み、サニーは一人で鐘楼に登っていた。

 二人には一階下のエレベーター前で待ってもらっている。サニーは一人で兄と向き合う心細さを感じるよりも、ここが正念場だと己を奮い立たせた。


「兄さん。センタープロヴィデンスを吹っ飛ばすって本当?」


「ああ、それね。もういいんだ」


 いけしゃあしゃとクラウドは笑い飛ばした。


「そいつは単なる、物のついでさ。時計塔の仕掛けを利用したら、かなりの広範囲を吹っ飛ばせるんじゃないかってのが、最初の思いつきだったかなあ。予備に作って置いた計画の一つだったんだけど、レイモンの奴が気に入っちゃってさ。いいって言ってんのにさっさと準備進めちゃって。あ、そうだ。マッセナとは会ったか? あいつ中間街でレイモンたちを吹っ飛ばすようセットしておいたんだけど。まあ会っていたらお前が誘爆していたかもしんないんだけどさ」


 クラウドの口調は陽気で、やれ友人が結婚式を挙げただの、お隣の誰それが引っ越しただのという軽い雑談でも行っているような調子だった。

 それは、今に始まったことではない、とサニーは自分自身をなだめる。感情を押し殺して、訊ねるべきことを考えた。


「マッセナには会ったよ。死んだと思ったから、びっくりした」違う、それじゃない。「ねえ、兄さんはそもそも、どうしてウェザーヘッドに入ったの。なんで僕たちを爆弾にしたの?」

「あー、それね」


 クラウドは頬を掻きつつ首を傾げた。どこか寂しげな苦笑い。


「ちょっと長い話になるかもな」


 そう言って、爆弾魔は語り始めた。遠くで、虫の羽音がしている。


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 サニー、お前も知っているだろうけど、両親が生きてた頃のうちはそれなりに金があったんだ。親父がどこぞの製薬会社で、真面目に重役まで勤め上げたお陰さ。

 世間的には成功した男で、俺はちょっといい家のぼっちゃんって訳だな。ま、房中事ぼうちゅうごとなんて言うように、家庭の事情は外から見てたって分かるもんじゃない。


 親父はボクシングのファンで、週末はいつもジムに通って汗を流していた。俺をひいきのボクサーの試合に連れて行ってくれたこともある。多分、ブロード街に家を買ったのも、近くにジムがあったからだろうな。サニー、お前を初めてあそこに連れて行ったのも、親父がボクシング好きなのを思い出したからだよ。俺は大嫌いだがね、あんな殴り合い。


 親父はボクシングが大好きだった。俺にも妻にもボクシングをやらせようとした。毎日のように会社から帰ってくると、妻を無理矢理リングにあげて滅多打ち。ダウンしたら今度は俺を使ってサンドバッグ、それが日課だった。世間的には紳士な男も、俺には酷い親父だった。


 七つか八つの時、親父は離婚した。俺は母親に捨てられた形であいつの手元に残された。近所にデボルデ・クリニックが開いたのはその頃だ。

 前の軌道戦争にも征って来た老医師が、負傷で後方に戻されたらしい。そいつがレイモンの親父で、俺はそこへ逃げ込むのが新しい日課になった。優しい、いい爺さんだったよ。


 十歳ぐらいの頃、親父の暴力が収まった。相対評価でだけどな、俺は相変わらず毎日殴られていたし。はは、しこたま頭をド突かれたはずなのに、俺の脳は立派に成長したみたいだ。ま、それはともかく。その頃女と付き合いだしたのが、親父が大人しくなった理由だ。


 そう、サニー、お前の母親だよ。

 まもなく二人が結婚して、お前が生まれて、俺は幸せの絶頂で親父を祝福した。家の中は今までになく輝いていた。幸せな家庭ってやつを、生まれてきた弟が俺にプレゼントしてくれたんだ。いや、十二にもなって生まれた弟だ、兄弟ってよりは、息子みたいな感じだったな。


 ああ、レディから聞いたんだ? 不思議だよな、何が何だか分からなかったあの頃はちゃんと出来たのに、今は何やっても駄目なんだよ。

 やれやれさ。あの女はうちの親父みたいな中年より、ミドルスクールにあがるかどうかって年頃の子供が大好物だったんだから。あの女ときたら……生まれてきた赤ん坊のことは放ったらかしで、俺は代わりにお前の世話をしなくちゃならなかった。


 で、その合間合間にあれの相手もしてやらなくちゃならないと来る。


 だから俺は長いこと、お前は親父じゃなく、俺のタネだったんじゃないかって気もしてた。ま、誕生日から逆算すれば、あの女が結婚前から妊娠していたのは明らかだったんだけどね。


 親父は最初、あの女と俺の関係には気づかなかった。俺はバレたらまた殴られると思って毎日びくびく過ごしていたが、事が発覚した時はもっと最悪だったな。俺が学校から帰ったら、サニー、お前はバスタブで浮いてたんだ。親父はお前を殺そうとした。カッとなってついってな。俺は慌ててクリニックに駆け込んだ。

 いつも俺たち兄弟を助けてくれたのは、レイモンの親父だ。あの人のいい、爆弾作りの名人だけが、俺たちの味方だったんだ。


 赤ん坊のお前を抱えて、親父とあの女、両方から逃げ回る日々が続いた。

 何度目かの通院で、爺さんに手当てされるお前を前に、俺はついこぼしたんだ。


『殺してやる』ってな。


 爺さんは言った、『殺し方を知らなけりゃ、教えてやろうか』。


 俺は最初、てっきり毒薬でも渡して注射の仕方を教えてくれるのかと思ったが、違った。爺さんは軍医だったが、軍学で工兵をやっていた時に爆薬の扱いを覚えたらしい。で、それ以来爆発にぞっこんなんだと。それで爺さんは、俺に爆弾の造り方をご教授しなさった。


 爺さんは弟子を探していたんだ。自分が独学で編み上げた、爆弾造りを続けてくれる弟子をな。そして、息子のレイモンがおっぱじめた、テロ屋の助けになれるような兵士を。爺さんはいい人だったが、最初から俺をハメる気だったのさ。


 俺はあいつらの車に爆弾を仕掛けて、見事二人とも吹っ飛ばしてやった。市営病院で息を引き取ったのを確認して、ほとぼりを冷ますためもう一日開けて、それから爺さんの所へ行くと、レイモンが待ち構えていたんだ。あいつとはそれが、初めてまともに話した時だったな。


 レイモンはニヤニヤ笑って、俺が爆弾を仕掛けて立ち去っていく場面の写真を出した。デボルデ父子の要求は簡単だ、このまま警察に突き出されるか、俺たちの元で爆弾造りの腕を更に磨くか。俺は喜んで後者を選んだ。まったく、素晴らしい気分だったね、あれは。


 ここまでの話、お前は何も覚えてないだろうなあ――まあ、俺が忘れさせたんだけどね。


 病院の記憶心療科で、色々と薬を処方してもらったよ。幼児期のトラウマを消すことに躍起になっている先生を紹介してもらってさ。お前の体も綺麗に治したんだよ。

 あの女は面白半分に、赤ん坊だったお前の片足を掴んでぶん回した。それでお前は六歳まで、足を片方引きずって歩いてたんだ。親父はお前の膝を踏みつけて皿を割った。俺は初めての銀行強盗で稼いだ金で、お前の膝を取っ替えた。

 痣でも火傷でも、傷痕は全部消したし、〝幸せな家族写真〟を合成して、俺は家族で仲良く旅行に行った話だとかを作って、何度もお前に吹き込んだ。


 なあ分かるだろ、サニー。あいつらを殺さなきゃ、俺たちは殺されていた。俺は自分とお前のために殺したんだ。その後だって、お前を置いて警察に捕まる訳にもいかないし、二人で生きていくには金を稼ぎ続けなきゃならなかったんだ。

 肉親を殺したんだから、もう後はどれだけ他人を殺そうが知ったこっちゃない。

 それももうそろそろ終わりにしなくちゃいけないなって思っていた矢先に、お前が俺を殺しに来たんだ。キャスリーンのためだなんて言ってさ。


 はは、俺がどんな気持ちだったと思う? 何もかもどうでもよくなって、気がついたら血まみれのお前が足下で死にかけていた。これのためにずっと生きてきたのに、今度は自分の手で殺そうとしていて。でもやらなきゃ俺がやられていて。


 多分、俺が発狂するには充分なインパクトだったろうな。そこで俺は閃いた。俺がお前に殺されるのも、俺がお前を殺すのもまっぴらだ。だから、二人で一緒に死のう。お前を爆弾にして、炸裂するお前に俺を跡形もなく吹っ飛ばしてもらおうって。


 昔の兵士は自決に手榴弾を使ったって言うし。威力もそれだけあれば充分だろうと思った。直前まで誰にも気付かれないよう、出来るだけいつも通りに振る舞って、俺はテロ屋に頼まれた仕事をこなしていたのさ。

 ところが知っての通り、オルキスがお前を駅へ連れ出した!


 奴に連絡を取ろうとしても繋がりやしない。もうお前が吹っ飛んじまったかと思うと、一人で死ぬのも嫌になって、俺は金を奪って逃げることにした。

 寂しいから代わりにレディを車に乗せた。そこでお前が帰ってきたんだから、またまた大混乱だ。もう俺はブチ切れて、お前を捨てて行った。うん、正直あれは後悔したな。結局お前をどうしたいのか、自分でも分からなくなってここまで来た。


 でもサニー、お前が追いかけてきてくれて嬉しいよ。俺を殺しに来たんだろう?


 だったら、今度こそ一緒に死のうじゃないか。

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