§03 お前は罪で出来ている

 どこから迷い込んだのか、虫の羽音がしている。

 サニーひとりを先に鐘楼へ行かせて、ミズルは苛々しながら待ちぼうけた。インヴァットはのんびりとタバコを咥えているが、吸い口を噛む顎の力からして、その苛立ちは明らかだ。

 二人とも無言だった。ミズルは考えるともなしに、爆弾にされた少年を想う。

 いまや信管が壊れかけているサニーは、炸裂する可能性は限りなく低い。とはいえ、サニーが生存している限りは決してゼロではなかった。

 信管が完全に壊れればサニーは死ぬ。そうなれば生体爆薬は爆発を起こすことなく、静かに燃えてゆくだけだ。

 出来れば、そうなる前に解体してやらなくてはならなかった。


(サニーくんが炸裂するのが先か、信管が壊れるのが先か……)


 どっちにしろ、あの子の命は秒読みだ。

 そしてもう、あと数分で全ての決着がつく。クラウドを捕まえ、ポップとフィーネ、あの男が殺し続けてきた人々に償わせてやる。

 自分の内側に沈めば沈むほど、ミズルは再び、殺意のパズルが存在を主張するのを感じた。

 どうすればクラウディオに、ポップとフィーネが与えられたのと同じだけ、惨く屈辱的な死を与えられるだろう。そんな妄想が、脳裏にぞろぞろとあしを這わせるのだ。


(でも、それは駄目。サニーくんとの約束がある)


 戒めるように自分の肩をきつく抱くと、インヴァットがあっと叫びを上げた。


「ヴァッティ?」


 隣りの彼を見遣ると、右目の上に虻か蜂のような虫が留まっている。

 不意に〝ぷくっ〟と眼球が膨れ上がった。血管を浮かせた白い風船、先端が少し青い。破裂して血と白い水、そして悲鳴を噴き上げた。

 インヴァットが叫びながら倒れ込む。

 ミズルは医療キットの中身から必要な物を頭に思い浮かべ、インヴァットの傍らに座り込もうとした。その肩に、ジャケットの隙間から虫が留まる。

 払う間もなく鋭い痛みが襲った。


「あぐっ」


 思わず声が漏れるが、本当に痛いのはその後だ。やはり風船のように肩の肉が膨れ上がり、繋がる腕が言うことを聞かなくなる。

 戦慄に硬直すると、膨れた箇所がぱん、とあっけない音を立てて弾けた。裂けた肉が千切れて血と共に散り、または肩口にぶら下がる。


――落ち着け、腕が落ちた訳じゃない。


 自らに叱咤され、ミズルはモバイル・スーツを戦闘モードに切り替えた。ジャケットの袖口を絞らせ、無理やり止血してインヴァットの様子を見る。

 さすが刑事という所か、インヴァットも既にコートを装甲化させ、ヘルメットで顔を覆っていた。ミズルも頭部の防御は欠かしていない。

 だが、それでも備えは充分とは言えなかった。

 辺り一帯で虫の羽音がしている。

 果たして銃がどれほど通用する物か――白い蜂の大群が、まるで吹雪のようにミズルとインヴァットに殺到した。



 兄の言葉を聞くなり、サニーは地を蹴って走り出した。全力ではない、有爆性の筋肉から最小限の力を、最適なだけ絞り出す。

 クールダウン。インヴァットの教えを守って冷たく怒る。

 サニーはクラウドの横っ面を右ストレートで殴り飛ばした。眼鏡があらぬ方向へ飛び、クラウドの長身がもんどり打って倒れる。鼻面から血が垂れていた。

 歯は折れていないと思う。意識もまだしっかりしているだろう。打ち倒した相手の様子を観察しながら、サニーは兄にのしかかった。

 マウント・ポジション。だが攻撃の意志はない。


「ふざけるなクソ兄貴」


 自分でも思ってもみなかった言葉が口をついた。


「僕はあんたを殺しにきたんじゃない。しょっぴいて塀の中へ放り込んで、あんたが殺してきた人たち全員に、一生償わせ続けるために来たんだ! 死のうなんて楽なことは許さない。あんたたちはいつもそうだ、自分の命も他人の命も粗末にする! 簡単に殺し合う! 僕はもう死ぬしかない爆弾なのに、あんたたちは寿命のありがたみも分からないのか!?」


 それが限界だった。サニーの視界が歪み、言葉も嗚咽に歪んでいく。


「……僕も分かってなかった。たった一人の兄さんを殺そうとした。キャスのためだなんて言ったけれど、それは半分は本当で、半分は嘘なんだ。

 僕は僕が知ってる、自慢の兄さんに戻ってきて欲しかっただけなんだ。だから僕は、自分が幻滅したものを消そうとして、ナイフを握った。でも、本当に握らなくちゃいけなかったのは、ナイフよりも拳だったんだよ」


 兄がしたことは、分かっている。両親を殺し、ミズルから家族を奪い、キャスリーンを無惨に殺し、他にも多くの人たちを殺し続けてきた。

 それでも、クラウドはサニーの兄なのだ。


「兄さんを殴っておけば良かった。僕たち、一度も兄弟喧嘩したことない。ちゃんと兄さんを殴って、テロ屋から足を洗おうって、本気で喧嘩しておけば良かったんだ。それをすっ飛ばして、ナイフなんて使うことなかったのに」


 スタージョンは全て知っていたに違いない。

 クラウドの悪行が今のサニーを作った。その事実がある限り、この運命は必然だ。ならば兄の罪咎つみとがを、自分も背負うべきだった。


「だから、兄さん。ごめんなさい。ずっと兄さんに謝りたかった。死んじゃう前に一目会って、ごめんって言いたかった」


 サニーの視界は赤い色と涙に埋め尽くされて、もう目の前にいるはずのクラウドの顔も見えなかった。ミズルから、自分がもう半日と保たないことは聞かされている。

 けれど、間に合った。やっと兄に追いついて、本懐を果たせた。いつ死んでもいいような、爽やかな気分が胸を吹き抜けている。それが少し、ミズルには申し訳ない。

 そこでサニーはふと気がついた。

 とうに十分経っているはずなのに、ミズルとインヴァットはどうしたのだろう? 何事もなければいいが、どこか胸が騒いだ。


「ボクシングかあ」


 鼻血を拭おうともせず、呆けた顔でクラウドが呟いた。


「そうだ、俺はボクシングなんて大嫌いだったけれど。親父に試合を観に連れて行ってもらうのは大好きだったんだ。その時だけは、親父は父親らしく優しかった。菓子や飲み物を買って、手を繋いで歩いた。俺を肩車して笑ってた。ああ、だから俺、お前を散歩に連れて行ったり、ジムの見学をさせたりしたんだな。あれだけが、普通の親子みたいだったから。はは」

「兄さん……」


 サニーは何を言えばいいのか分からなかった。これ以上何も語らずに、兄弟でいつまでも身を寄せ合っていたいような気分だ。だがそうしている場合でもない。


「立って。一緒に行こう。自分のやったこと、やろうとしたこと、全部話して」

「警察か。裁判になったら、第一級献体刑が妥当な所かね」


 頷きながら兄の上から降りる。


「俺は警察に行って一生檻の中でモルモット。そしてサニー、お前は解体されて墓の中。そうだね?」


 それにも無言で頷くしかない。献体刑になると分かっている相手に、生きろとは残酷な言葉だろう。それでも、クラウドを死なせる訳にはいかなかった。しかし……。


「嫌だなあ、それは」


 はっと顔を上げると、兄に肩を掴まれ引き寄せられた。ネクタイが踊り、生き物のようにサニーの細首に巻き付く。いつぞやと同じ光景、違法改造のモバイル・タイ。


「俺は今、凄く満足しているんだ。一言謝る? そんなことのために、俺を追いかけて来てくれて嬉しいよ、本当に。だからサニー、俺を愛しているなら、このままここで炸裂して、俺を死なせてくれ。モルモットなんて冗談じゃない。献体囚になるぐらいなら、死なせてくれ!」


 兄の口調には微かに恐怖の色が覗いていた。生き地獄と名高い刑務研究所に送られることを考えれば、当然の反応と言える。

 サニーとて、兄をそんな場所に放り込むことは心苦しい。それは、少年に残された最後の迷いと言うべきものだった。クラウドは見事にそれを突いたのだ。

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