§04 いかにして人間爆弾を解体するか?
サニーが必死で説得の言葉を絞りだそうとしていると、鐘楼前のエレベーターが稼働した。涼やかなベルの音がして扉が開く。ミズルとインヴァットがようやく来てくれたのだ。
「クラウディオ!!」
「CPPDを舐めるなよ、このクソ爆弾魔が!」
ほっとして振り向いたサニーと対照的に、二人は銃口を突きつけながら足音高く踏み入ってきた。ミズルもインヴァットも衣服の所々が破れ、生乾きの血を付着させている。インヴァットの右目には、医療用のアイパッチが貼り付けられていた。
「おいらこら爆発太郎! こっちが爆弾蜂に襲われている間に、兄貴と感動のハグとはいいご身分だな、ええ!? 豚箱まで連れションする気が無いならとっととそこを退け、邪魔だ!」
サニーも離れたいのは山々だった。人間爆弾の身体能力ならば、クラウドを無理やり振りほどくことも出来るだろう。だが先の右ストレートのように、巧く手加減出来るか自信がない。
「CPPDってことはあんた刑事? で、そっちの女は解体屋か。何でもいいけど、俺のCRY-MOREからよく逃げてきたもんだよ。いやホント、凄い凄い」
わー、と白々しい歓声を上げて、兄は一人拍手した。
「あんな物、手榴弾で焼き尽くしてやったわよ」
ミズルが啖呵切りのように、威勢の良い口調で答える。〝地獄に堕ちやがれ〟のジェスチャーを付け加えた。
「ヒューズ嬢の言っていた時計塔の仕掛けを考えたら、自殺行為だがな」
インヴァットは言いながら肩をすくめた。息が荒く、辛そうな様子だ。
「その上、俺はコントロールが利かなくなって……はは、お粗末様でした」
言いながらクラウドは、足で転がっていた眼鏡を引き寄せ、それをかけ直した。サニーは今になって、そのレンズにデータウィンドウが表示されているのに気がつく。
「ミズルさんもインヴァットさんも、何があったんですか」
「ふふん。俺のCRY-MOREはヒューマネックスから抽出した有爆性酵素で」
「クラウディオ・グレイス」
兄が何やら講釈を垂れようとするのを、ミズルが遮った。銃口をぴたりと向けたまま前へと歩み出す。じりじりと、慎重だが確実に距離を詰めていた。
「なんだよもう、俺がしゃべってんのに」
「あんたの話なら、この刑事さんに取調室でいくらでもどうぞ。私が訊きたいのは、あんたがやった一件の誘拐事件だけ。フィーネ・オルブライトを覚えている?」
クラウドは「ああ」と、同意ではなく納得したような声を上げた。
「あんた俺の被害者遺族って訳か。それでサニーを見つけて、解体するより自分の仇討ちを優先したって感じかな? いいね、俺そういうの好きだよ。誰だかが言ってたなあ、死刑制度は、国家が民衆から復讐権を奪っているって――」
「質問に答えなさいな」
クラウドはゆっくり、大きなあくびをした。ミズルは辛抱強くそれに耐える。
「覚えているよ」
クラウドは短く答え、それから長々と話を始めた。
「あの頃からだったしね、マッセナって奴がスナッフビデオに凝り出したのは。あいつ、大人はあらかた撮ったから、今度は子供のビデオがやりたいって言って、可哀想に。そのフィーネちゃんに目をつけた」
ミズルの銃口が動揺を示して揺れた。
「下衆め」とインヴァットが吐き捨てる。サニーは分かっていたが、兄は別に挑発しているのではない。元からそういう調子なのだ。
「俺が爆弾を埋め込む手術をするって言うんで、じゃあそれを麻酔ナシでやってくれってさ。どこからか骨董物の金属メスまで持ってきた。面倒だったよ、あれは。ぎゃーぎゃー泣き叫んでうるさいし、動くし、メスは切りにくいし。あいつ横でカメラ回しながら、手術と関係のない指示まで出しやがる。ホント、大変だったな~」
◆
ミズルの内側で、パズルが急速に組み上がっていった。
ピースは悲しさと哀訴、そして憎悪。従妹に降りかかった悲惨に慟哭し、嗚咽し、身を焦がしながら一つの絵を描く。
それは透徹した殺意。
脳神経の火花が、頭の中が真っ白になるほどの狂奔に彼女を駆り立てていた。それでいて視界はやけに冷え、クラウドが袖口から拳銃を弾き出すのをスローモーションで認識している。吸い寄せられるように、ミズルの指が引き金を絞っていた。
クラウドがサニーを突き飛ばし、真鍮の鐘に隠れようとする。それが間に合わないと知って、彼女はほくそ笑んだ。
殺せる、今なら私の銃弾は、確実にこの男を貫いてくれる。
水飴の中を伝わるように、長々と引き延ばされたインヴァットの制止が聞こえた。言葉の途中でうめき、彼の声が途切れる。傷が痛むのだろう。
ああ、可哀想なヴァッティお兄ちゃん。
お兄ちゃんの仇も今取るわ。
これで終わりにしてやる、お前はお仕舞いだクラウディオ!
ずっとそればかりを考えていた。この五年間、暗闇にいるような心地で、ずっと。だが今こそこの弾丸が、その闇を切り裂く光条になる。
ねえ、だからサニーくん。
囁くような微かさで、ミズルは思考を巡らせた。
前に出てこないで、あなたに当たってしまう。
――なのに。どうして君は、クラウディオの前で両手を広げてるのさ?
◆
ミズルの放った銃弾が、兄を庇うサニーの胸部を貫いた。
最初に轟音、立て続けにまばゆい閃光と、感電に似たショック。撃たれるというのは、爆心地に落ちるような気分なのだと、サニーはぼんやり考えた。力が抜ける。自分が無限に後退し、縮こまって、そのまま消えていくような気がした。
苦痛はないが、自分が傷ついていることははっきりと分かる。そして、それがもはや致命的な物であることも。
やがて自分は炸裂する、さもなくば不発弾のまま死ぬだろう。
(でも、まだだ。何か、まだ僕に出来ることは無いの?
このままじゃ終われないんだ、僕はもう少しだけ、引っかかっている物がある。ミズルさんに撃たれたのは大したことじゃない。あの人がこのことで自分を責めるのは心配だけど、大丈夫、僕はどっちみち死ぬんだから。でも、ああ、何だろう。まだ、何かがあるんだ。早く早く、思い出さなきゃ間に合わない!)
肉体はサニーのコントロールを離れ、炸裂するもしないも神のサイコロに等しかった。自分ではもうどうしようもない。
ただ、ミズルがサニーを炸裂させないために、全力を尽くしてくれることを信じるしかなかった。そこまで思いを巡らせた時、ふと大事な物が舞い降りる。
分かったのだ。
もう一つだけ、言い忘れている物があった。それを言わなくては、サニーは死ぬに死ねない。全身全霊から、最後の最期の息を振り絞り、声に纏め上げ、言葉を紡ぐ。
「兄さん、今までありが……」
そこで言葉が解け、ただの息になってすり抜けた。
もう充分だ、兄にも意味は伝わっただろう。
だが、それでサニーは満足しなかった。あとたった一音なのだ。これが終の一声なのだ。乱れる吐息を掴まえて、死に至るサニーは必死でそれを発した。
「……とう……」
ああ、もういいや。
これで思い残すことは何もない。
サニーはようやく意識を手放した。かつて恐れた闇は安寧に満ち、爆弾にされた少年はゆっくりとそこへ落ちていく。
サニーは目覚めが来ないことを予感しながら、眠りに就いた。
それが彼の最期だった。
◆
「ありがとう?」
いまわの際。サニーが言い残した物を理解出来なかったのか、クラウドは間の抜けた声をあげた。抱きかかえた骸を揺すり、ぼんやりとした顔で呼びかけ続ける。
「何だよ、サニー。俺はお前を爆弾にしたんだぞ。親父も、お前の母親もぶっ殺した。お前を閉じ込めて、ジムにも学校にも行けなくした。キャスリーンも殺した。他にも、数え切れないぐらい殺したんだぞ。こんな殺人狂に、何の礼を言うっていうんだい? なあ、サニー。俺が訊いてるんだぞ、答えろよ。なあ。なあ。だんまり決め込むんじゃない」
ぺちぺちと、クラウドは力なく弟の頬を打つ。
「俺を置いてくなよ。一人でどうすんだよ、ばか。畜生……まーたそうやって自分だけふらふらと……なあ、俺を置いて逝くなよ!
俺を一人にしないでくれよ!!」
絶叫と共に、クラウドの頬を涙がつたい落ちた。
ああ、この男も肉親を喪った時には、らしい反応をするものだ――目の痛みを堪えながら、インヴァットは苦々しく考えた。
ミズルの手から拳銃が滑り落ち、ごとりと音を立てて床に転がる。
「あはっ。あはは、あおはぉはおほあほあはははははぁあ!」
栓の壊れた蛇口のように、ミズルは全身から哄笑を噴き出した。
「あはははは! あはははは! 泣いているの? 嘘、やだ、あんたっクラウディオ。泣いている!? やった、やった、はほほほほほっやったよ、ポップ、フィーネ! ああ……ああ、いい気味っ!! いい気味っ!! いい気味いい気味うふ、いい気味よクラウディオ――――ッ!」
だが、その顔はといえば全く笑っていない。
泣くでなく、怒るでなく、ただ険しい顔つきで、口だけがいびつな笑いの形を取っていた。何かの罰のように嘲笑を吐き出し、吐き散らす。
インヴァットはそれが痛ましくて、見ていられなかった。だが目を逸らすことも出来ない。自分が傷に怯まず止めていれば、もっと違った結末になったのだろうか?
ミズルは唐突に笑いを断ち切った。自分の顔を片手でそっと覆い、撫でる。
「良かった。こんな酷い顔、サニーくんに見られなくてさ」
そう言う彼女の口調には、冷え冷えするような落ち着きがあった。
インヴァットはその背を押すように声をかける。祈りにも似た気持ちで、手のかかる妹のような女に訴えた。
「ミズリィ、これはキミの仕事だ」
――だから立って、戦ってくれ。
死にたくない。キャスリーンの前でそう叫んだサニーの声が、耳の奥で甦る。
「さあ、仕事を始めよう!」
「オーケイ、誠心誠意、
打てば響くように解体屋は応じてくれた。
つかつかとクラウドに歩み寄り、未だ炸裂せざる少年の肩に手をかける。クラウドは抵抗したが、インヴァットはすかさず距離を詰めると、兄弟を引き離した。
腕の関節を極め、うつぶせに押し倒す。クラウドはなおも泣き叫んで、抵抗の意志を示した。
「やめろ! サニーを解体するな!」
「私は解体屋だわさ。それに、約束したのよ。絶対に炸裂させないって。あの子は私のこと、身を挺して止めてくれた。今度は私が約束を果たす番」
限りなくきっぱりとした声音で、ミズルはサニーの瞼を閉じさせた。
医療キットを広げ、必要な物を並べていく。滅菌バーナー、携帯レーザーメス、診断針、緊急手術用シート。
サニーは今こそが、最も炸裂の危険性が高まっている時だった。
恐らく当人の意識は既にないだろうが、肉体や頭脳信管は生きている。そう、全身の爆薬はまだ活きているのだ。
信管が壊れるのが先か、サニーが炸裂してしまうのが先か。そのどちらをもミズルは許してはならなかった。インヴァットは、ただそれを見守るだけだ。
「弟から離れろ、解体屋! サニーは俺の物だ、誰にも渡すものか。どいつもこいつも俺から奪いやがって。サニーを殺すぐらいなら、俺も一緒に殺せ!」
「黙れ」
もがくクラウドの後頭部を、インヴァットは拳で殴りつけた。
「今さら貴様にそれを言う資格があるものか。……弟を愛しているんだろう? だったら、あいつ自身に最愛の兄貴を殺させるような真似をさせるな! あいつの前で死のうとするな! そのためだけに、この不発弾はここまでやって来たんだ。それが分からないのか!?」
「クラウディオ」
ミズルがややくぐもった声をあげた。手術用の簡易マスクを付け終えている。
「あんたは糞野郎だけど、サニーくんにとっては間違いなく、きっと、いいお兄さんだったんでしょうね。でなけりゃ、こんなに……いい子に育つ訳がないんだわ」
手袋をした手で、ミズルはそっとサニーの髪と頬に触れた。しみじみと慈しむような仕草。
「本当に、いい弟を持ったわねえ」
クラウドは僅かな沈黙の後、ふっと全身の力を抜いて答えた。
「ああ。自慢の、弟さ」
「本当に、どうして爆弾にしたのよ」
「ああ。本当に、どうしてだろうな……罵迦だったんだろうな。ま、お互い様か」
それっきりクラウドは抵抗をやめ、ミズルは無言で手術を始めた。
滅菌バナーの炎がごく狭い空間を、完全殺菌状態に置く。手術の開始と同時に、時計塔の機械鐘が鳴りだした。
重厚で荘厳で華やかな、鐘の音色だけが沈黙に織り込まれていく。
手術の時間は短くもあり、長くもあった。だが、サニージーン・グレイスが、完全に死亡するにはあまりに短すぎる時間だっただろう。
享年十七歳、望み通り、彼は炸裂することなく逝った。
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