§04 代わりなどいらない
「死にたくない」
キャスリーンの申し出に、サニーは他の返答を持たなかった。
「そう、そうよね!」
だがそれは少女爆弾に正しく伝わっていないらしい。我が意を得たりとキャスリーンははしゃいだ。
「爆発できないまま、解体されて埋葬なんてされたくないわよね」
「違うんだ、キャス」
サニーは瞼を閉じ、沈痛に首を振る。
「僕は炸裂なんてしたくないんだ」
「……何を言ってるの?」
キャスリーンは信じられないと言う風に、灰色の目をぱちくりさせた。
「ねえ、あなた変よ。炸裂して真っ白な光になったり、破裂して真っ赤な火になったり、爆ぜて弾けて何もかも吹っ飛ばせないなんて、考えただけでぞっとするわ。だってそんなの、あたしたちの生きている意味がぜんぶ無くなっちゃうじゃない!」
「キャス、僕らは生まれついての爆弾じゃないんだよ」
サニーはあくまで静かだったが、キャスリーンはあくまで頑なだった。きっ、と爆弾少年を睨みつけ、今にも地団駄を踏みそうに真っ赤な顔になる。
「生まれ変わったのよ。あなたも、あたしも、もう人間だった自分にピリオドしちゃったの。あたしが人間だった証拠なんてもうどこにもないわ。パパとママも、殺してやったんだから!」
どこか予測していたその事実に、サニーは小さく肩を震わせるだけだった。驚くよりも、ただ痛切なまでに静かな悲しみがある。
ミズルが「何てことを」と言うのが聞こえた。
「僕も同じだよ。兄さんを殺そうとした。殺せなかったけれど、別の人たちを殺してしまった。多分、僕はもう手遅れだ。人殺しは人として終わっている」
その言葉に少女の顔が輝いた。ぎらぎらと、食い入るような瞳で笑う。
「そうよ、サニー。あなたがクラウドを殺そうとした日に、二人とも死んだんだから!」
「でも、炸裂したら、人間の僕が本当に死んでしまうんだ!」
サニーは喉を裂かんばかりに叫んだ。ミズルも、インヴァットも、キャスリーンも、皆その痩せて小さい体が発した声量に痺れ、言葉を失って少年を見つめた。
「僕だって、死にたくなんかない!」
喉は痛みながらも、堰を切ったサニーの言葉をその声に乗せていく。
「――学校に行きたかった」雨粒のように涙がこぼれた。
「ジムに通ってみたかった……」声は血が滲むような悲嘆に暮れていた。
「兄さんと仲直りしたかった……」どしゃ降りのように涙が止まらなくなった。
「昔みたいに、二人で暮らしたかった……っ」
血も涙も声も枯れるように、言葉が割れた。
サニーは肩を落とし、ぜいぜいと息が整うのを待つ。
そう、本当は死にたくなんかない。覚悟を決めても、命なんて捨てたつもりでも、解体されると約束しても。けれど。
「けど、その〝昔〟には、僕が知らなかっただけで――兄さんはとっくに悪党だったんだ。許されるはずがない。それが分かっていて、兄さんと幸せになったり、ましてや炸裂したりなんて出来ないよ。だから僕は人として死ぬ。兄さんを捕まえて、もう爆弾なんか造らせない!」
サニーの頬が甲高い音を立てて鳴った。
じん、と打たれた箇所が熱く痺れる。視界を埋め尽くすほど近寄ったキャスリーンは、燃えるような瞳でサニーを射すくめていた。
少女爆弾が振りかぶる平手を、サニーは避けようともせず受ける。
インヴァットは一歩離れて、止めようともせずそれを見た。薄情だとは思わない。サニーには、彼が自分の気持ちを汲んでくれているのだと察することができた。
最初が右、次は左。
右。左。
右。左。
規則正しい往復ビンタの中で、サニーはミズルがインヴァットの傍に立つのを感じた。いつしか口の中に血の味が広がる。
赤くなった手を止めて、キャスリーンは嗚咽に似た声をあげた。
「……あたしにどうしろって言うのよ」
ぜいぜいと肩で息をしながら、キャスリーンの瞳は力が無くなりかけている。濡れた瞳が爛々とした怒りを涙に乗せて、そのままどこかへ運び去ろうとしていた。
「……これ以上あ、ぁたしたちに……何が出来るって言うのよお」
「生きるんだ」
きっぱりと断言する、自分でも驚くほど迷いのない声音。爆弾に対してそれを言うのは、炸裂しろと命じるに等しい。キャスリーンは混乱したようにかぶりを振った。
「なに……なによ、爆発しろとかするなとか、何が言いたいの!」
「キャス、僕はそんなことは最初から言ってない。ただ、人間として生きようって言っているだけなんだ。君も僕も、炸裂をやめることが出来る」
サニーは優しく言い含めるように、穏やかな口調になっていた。だが、それがますますキャスリーンの頑なさを増長させる。少女は冷たく吐き捨てて言った。
「そんなのバカバカしいわ」と鼻で笑って。
「じゃあ君は、自分が大嫌いだと思っている世界に、今までそうされ続けた総仕上げをでっちあげるんだね」
するりと出た言葉が直接、少女の心臓に触れるのをサニーは感じた。
「確かに、君の炸裂で大勢の人は道連れにされる。でも、つまり、君は最後まで世の中の犠牲になり続けて、そこから抜け出せないまま終わってしまうんだ」
キャスリーンが雷に打たれたように背筋を震わせ、硬直するのを見る。もう一押しだという確信に裏付けられ、サニーはいっそう声に力を込めた。
「キャス、それでいいのか!?
爆弾なんかじゃない、人間として生きたくなかったのか!?」
お願いだから、こんなバカなことはもうやめてよ。
言外に含んだ願いは、兄への
「わかんない」と、キャスリーン・ヒューズは漏らした。
ひたひたと、雨が亀裂から滴り落ちるように。その一語が徐々に彼女を浸して、冷たい雨水に体温を奪われるように、激情の熱を取り去っていく。
「わかんない……もう、わかんないわよ」
サニーの眼に、少女はずぶ濡れの、しけった爆弾のように映った。もしかしたら自分のように、起爆スイッチを押されても不発してしまうのではないかと思うほど。
「このまま炸裂したら、永久に分からない。だから」
サニーは女の子みたいに細い腕を差し伸べた。
「ねえキャス、こっちに来て。一緒に考えよう?」
キャスリーンは頬をとめどなく濡らす涙を拭って、しばらくその手を見ようともしない。鼻をすすりあげ、しゃくりあげ、決壊してしまうのを堪えながら、じっとサニーの顔を見つめた。
ミズルとインヴァットが、自分たちを見守ってくれているのが分かる。キャスリーンに打たれた顔はまだ痛い。けれど、妙にすがすがしい気持ちだった。
少女が先ほどまでと違って、どこかしら憑き物が剥がれ去ろうとしているように思えたから。もうマッセナの壊れた笑いは重ならない。ただの九歳の女の子だ。
電子音のアラームが、静止したような時間を割った。
キャスリーンはポシェットから楕円形の端末を取り出し、通話に出る。一瞬で少女は泣き声を引っ込めて平静を装った。
「クラウド。サニーを見つけたわ。一緒にそっちに行こうと思うの」
キャスリーンはちらりと「行くでしょ?」という意味の一瞥を送った。スピーカーフォン設定で、話し手の声がこちらにも届く。
『サニーが? そこにいるのかい?』
間違えようのないクラウドの声。ミズルとインヴァットにも緊張が走る。だが、二人から感じるそれ以上に、サニーは自身が気を張り詰めているが分かった。
ようやくここまで届いたのだ。もうすぐ、兄に会える。
「そうよ。今、時計塔にいるのよね」
『さっきもそう言ったじゃないか、レディ。後は君が来るだけなんだ。うん、でも。そうだね、サニーもこっちに来るといい。
レディ、俺の声はサニーに聞こえているかい?』
「もちろんよ、クラウド」
『そうか。サニー! 新市街の時計台は分かるだろ。あそこの最上階、鐘楼の所で待っているよ。ロックは解除してあるから大丈夫さ。エレベーターを使うといい』
「兄さん……」
再会が待ち遠しく、胸が高鳴るのが分かった。嬉しいのは、当然だ。サニーにとって、今は生きる目的そのものなのだから。
だが、心臓がその身を震わせるのは、単に目的だとか理由だとか、小賢しい物とはまったく別の想いによるものだという気がした。
(少なくとも僕は、死ぬ前にもう一度兄さんに会えるんだな)
ごく純粋なその真実、この気持ち。両親の殺害も、虐待の事実も、数々の悪事も。何を聞いても、兄への思慕は変わっていなかった。自分は、やはり
『愛してるよ、サニー。待っている。ああ、楽しみだな。久しぶりにわくわくする』
電話口ではしゃぐ兄の声が本当に楽しそうで、サニーの胸も痛いほど焦がれた。
『じゃあね、レディ。
君はもういらない』
打って変わって冷め切った口調で、少女に死刑宣告を突きつけて。
その一言を最後に通話は途切れる。
キャスリーンはもう応えない端末に必死の形相で呼びかけた。
「ねえ、ねえってば、クラウド。待って!」
その両目が赤い光を灯す。
少女爆弾の、命の輝き――朝の空気に不吉に煌めいた。
「スイッチが入ったんだわ」
黒々とした絶望が滴るようなミズルの声。
インヴァットが毒づくのを聞き流し、サニーは呆然と頭を掻きむしるキャスリーンを見た。ミズルが少女を呼び寄せようとする。
「キャスリーンちゃん、あなたを解体させて!」
――こんなはずじゃなかった。
キャスリーンはそう思いながら、きっ、とサニーを睨み据えた。せめてもの意地で、本当は助けて欲しくて。でもどうにもならないと分かっているから。
「こないで!」それが最良の選択だと信じた。
もう何もかも分からない自分が、ただ一つ見つけた答え。
爆発まで数秒の間があるから、だから早くここを離れなくてはならない。すぐそこには、不発弾の林が広がっているのだ。
悲鳴のように叫びながら走り出す。
解体屋と刑事が制止の声をあげたが、キャスリーンはそれに耳を貸そうとも思わなかった。ただサニーに向かって叫び続けた。
「あんたはクラウドのとこに行きなさいよ!
キャスは一人でじゅうぶん! もういい、もういいの!
だから、だからだからだから。――ああ。――あぁ、サニー……クラウド……」
自分にクラウドみたいなお兄さんがいたら良かった。
強くて優しくて、いつも自分を助けてくれるような家族が。パパとママがキャスをいじめたら、いつだって飛んできてくれるような。
でも自分にお兄ちゃんはいないのだ。
そう理解していたから、キャスリーンは他の大人たちに助けを求めた。彼らの力が得られなくなると、今度は自分の力で外へ逃げ出した。
そこまでして、やっと理想のお兄ちゃんを見つけたのだ。
彼は、クラウドはキャスのお兄ちゃんじゃない。彼女はそう理解していてなお、最後の望みを捨てきれなかった。
思わず助けてと言っていた。世の中に復讐してやりたくて、爆弾になりたいと言った。それが自分に残された最後の幸せなのだと信じて。
(たすけて、たすけて、だれかキャスをたすけて!)
サニーが羨ましかった。
痛いことも辛いことも悔しいことも哀しいことも恥ずかしいことからも全部全部、優しいお兄ちゃんに守られて知らなそうで、バカみたいなあの子が。
(バカはあんたよ、キャス。どうしてあんたは爆弾なんかになっちゃったの。そうよ、どうして爆弾なんかになっちゃったの! あたし、あたしもっとがんばればよかったの? ちゃんと一人前に生きていくこともできたの? サニーなら教えてくれたかな、ボクシングも、お料理も、爆発しない方法も。ぜんぶ。こんな世の中に、もっと効果てきめんに復讐できるような、すてきななにかを。
だから待ってよ。キャスのスイッチを押さないでよ)
だが、もうそれは押されてしまったのだ。
クラウディオ謹製人間爆弾四十七号キャスリーン・ヒューズが炸裂するまで、およそ十二秒の猶予があった。爆弾の身体能力でも、二百メートル離れられたかどうか。
幸いなことに、東屋から数メートルの所に階段があり、キャスリーンは即座にそこを飛び降りていた。
その先にはまたも幸いなことに噴水があり、少女は躊躇なく水中に跳び込んだ。
まもなく噴水もそこにあった天使の彫像も粉々に吹っ飛んで、キャスリーンは代わりに天使になった。
そうとでも思わなければ、残された側はやっていけない。
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