§03 淵より暗きはその手前
「キャスリーン・ヒューズか」
インヴァットの呟きにサニーは頷きを返した。うわずった声で少女に話しかける。
「キャス、どうしてここに――兄さんはどうしてるの!?」
スタージョンはこれを予見していたのだろうか。サニーには分からないことだらけだったが、今は目の前にキャスリーンがいることが全てだった。
「クラウドなら、あっちよ」
キャスリーンは閉じた傘を振って、遠くにそびえる時計塔を指した。ちょうど塔の下部に、園内の噴水にしつらえられた天使の像が重なって見える。
「さっき電話したの。あそこの一番てっぺん。
――キャスが爆発するために用意した所よ」
サニーの背後、ミズルが鋭い目で時計塔を見据えた。彼女の肩をインヴァットが片手で抱くが、サニーは二人を見るどころではない。
「そのために、キャスはわざわざ上に?」
「そうよ」
キャスリーンは晴れ晴れとした笑顔を送った。時計塔に向けたままだった傘をつと動かし、東屋の向こうに広がるフェンスを指す。ミズルらも釣られてそちらを見た。
「ねえサニー、あなたあれ見てなんとも思わない?」
「何って……」
キャスリーンが何を言いたいのか、サニーは分かる気がした。
フェンスに囲まれた危険区域には、不発弾の林がある。乳白色の金属筒が、一抱えもある大樹のように何十何百と。不格好に傾ぎながら乱立しているのだ。
それを目にした時、サニーがまず思ったのは〝もったいないな〟だった。
あれが全て炸裂してしまえば、こんな公園も街も綺麗に吹き飛ばして、まるで磨きたての皿のように出来るのに。それも出来ないまま、ただああして骸を晒すだけなんて惨めすぎる。哀しすぎる。けれど、それは〝爆弾〟の思考なのだ。
サニーは自分の感慨を押し殺して鈍化剤をむさぼり、その気持ちを言葉にせず飲み込んでいた。だがキャスリーンは違うのだろう。
「みじめよね、不発弾って。あたし、あなたみたいにだけは、なりたくないわ」
サニーを見透かすような、冷めた灰色の目。
この世の何もかもに飽き飽きして、飽きていない諸々を諦めて、斜に構えることで何とかずり落ちずにいる、奈落を前にした瞳の色。
キャスリーンは最初からこんな眼差しをした女の子だっただろうか? サニーには思い出せなかった。
それとも爆弾とはこういうものなのか?
自分も実はこんな眼をしているのだろうか?
「でもいちお、あたしってばあなたに会いに来たのよね。テロ屋がね、昨日の朝に襲ってきてさ。そいつらがサニーは生きてるって言ってたんだけど、クラウドってばどうせすぐ死んじゃうからいいって言って、探そうともしないのよ。
だからあたしが代わりに、あなたを探しに出てきたってワケ。感謝しなさいよね、
「いいことって?」
どうせロクでもない話のような気がした。
「クラウドはテロ屋から足を洗って、あなたと二人で逃げる計画を立てていたのよ」
ミズルとインヴァットは二人の話に割り込まないことにしたのか、じっと黙っている。無言のまま警戒している彼らを余所に、キャスリーンは語り出した。
「でも、あなたがクラウドを殺そうとしてそれがおかしくなっちゃった。テロ屋のお金を持ち逃げしたのは予定通り、あたしは彼の弟代わり。サニー二号なの、あたし」
キャスリーンはおどけるように舌を出した。だが、当のサニーとしてはどう反応していいかも分からない。兄がテロ屋を抜けるつもりだった?
(しかも、キャスが僕の〝代わり〟だって!?)
どうして兄は話してくれなかったのだろう。
言ってくれたなら、何もかもが違っただろうに。だが自分が間違えたために、ここまで事態は取り返しがつかなくなってしまったのだ。
キャスリーンは傘を開くと、それをくるくる回しながら歌うように続けた。
「ううん、本当は二号さんにだってなれないんだけどね。クラウドは爆弾のあんたに、もっと別なことをさせたがっていたみたいだから。それが何かはしらないけど。
あたしね、このセンタープロヴィデンスを、まるごと吹っ飛ばすの」
背後でインヴァットが一歩動くのが分かった。
サニーはそちらを気にしながら、キャスリーンから目が離せない。どうしてこの子は、爽やかな笑顔でこんなことを話すのか。
「そのためにクラウドが用意してくれたのが、時計塔の仕掛けよ。中の歯車や配線を少しずつ、こっそりいじって、街中の不発弾が連鎖するようにって。
どういう仕組みか、あたしもよく分かんないんだけど。上と下、二つの時計塔はつながっているから、地下にも大きな穴が開くわ。丸ごと生き埋めにするにはちょっと足りないかもしんないけど。まあ上はメチャクチャになるわよね。下の鐘が鳴り出したのは、えっと、何て言ったかな。そうそう、副作用ってやつ」
サニーは時計塔の機械鐘が、最初に鳴り出した日を思い出した。
マッセナが人として死に、キャスがクラウドとの約束を告白し、自分が兄を殺そうとして、人間として死んだ、あの日。
全てはその時から転がりだした気がする。ただ歯車は何年も前から揃っていて、それが噛み合ったのがあの時だったのだ。
「もちろんそんなの、さすがのクラウドでも一人じゃできなかったから、あいつらに持ちかけたわ。新しいテロ計画だって。おかしいわよね、もうただのギャングのくせしてテロリストを気取っているから、ハデな爆発とか大好きなのよ」
「キャス!」
堪らず名を呼ぶと、キャスリーンは「何よ」と、不機嫌そうに小首を傾げた。
「君はそんなことのために爆弾になったの? センタープロヴィデンスを吹っ飛ばして何になるのさ。普通に人間として生きるんじゃ、何で駄目なの……」
キャスリーンは再び傘を閉じて、どこか侮蔑したようにサニーを見つめた。冷めているのではなく、刺すように瞳が険しい。何を言っているんだろうこのバカは、とでも言うように。
「あたしね、クラウドと同じなんだって」
ぽつりと、キャスリーンは雨粒のように言葉をこぼした。凍えるような冷気が詰まった一言。
「クラウドは言ってたわ――、もしかしたらあなたは弟じゃなくて、彼から生まれた息子なんじゃないかって。どういう意味か分かる?
あなたを産んだ女が、子供だった彼に何をしたのかってことよ」
「え」
どういう意味かなんて分からなかった。分かってはいけない気がしたが、分からなくてはいけないような気持ちのほうが強かった。
クラウドとサニーは異母兄弟だ。
クラウドが十一、二歳の時、父は再婚し、サニーが生まれた。オルキスの言葉が甦る――〝男にも女にも勃たないイ■ポ野郎〟。
「性的虐待か」
インヴァットがただの一語で断じ、サニーは背筋から震え上がった。休暇中の刑事は隣にまで進み出てきたが、サニーの様子を無視してキャスリーンに話しかける。
「キミもそうだったんだな? だから家から逃げ出し、そこでクラウディオに出会った。爆弾になって世の中に復讐したいほど、何もかもが憎いのか」
「カンタンに言うとそうね」
キャスリーンは淡々と答えた。
「あたし、生まれてきてからずぅっと、いいことなんて――なぁーんにも無かったわ。だいたい、産んでほしいなんて誰かにたのんだ覚えなんてないのよ。ん。でもね、あたし今、やっと幸せよ。生まれて初めて、しあわせ」
そう言ってキャスリーンはくすくすと笑った。自分の言葉を証明するように、確かに幸せそうに微笑んでいる。
素敵なドレスを着て、綺麗に整えた髪で、優雅ですらある笑い方は、良家の令嬢のようだ。たっぷり愛してくれる家族を持っていて、深刻な悩みなどなさそうな。
だが、その幸福の正体は、人間爆弾であることなのだ。
「分からないよ、キャス!」
信管の疼きを掻き消すように、サニーは声を張り上げた。
キャスリーンのそれは、炸裂欲求の陶酔にしか見えない。だがそもそも、なぜ彼女は自ら望んで爆弾になったのか。
「逃げたなら、それでいいじゃないか。わざわざ兄さんに爆弾にしてもらう必要なんてない。言ってくれれば良かったんだ、一言、助けてって。それなのに――」
「うっさい」
キャスリーンは笑みを消して、吐き捨てるように一蹴した。傘の先でインヴァットを指す。
「ね、お兄さん。あなたのお仕事なあに?」
「刑事だ。対人間爆弾係のな」
「そっちのお姉さんは?」
キャスリーンはミズルに傘先を変えた。
「解体屋だわさ」
「ああ」納得したように少女は頷く。「あなたね、サニーと一緒に行動している解体屋ってのは。そうとうイカれてる人だと思ったけど、うーん、普通ねえ」
「キャスリーンちゃん」
ずっと黙っていたミズルは、ここへきてキャスリーンに語りかけた。サニーは初めて少女から視線を外し、背後の解体屋を振り返る。
ミズルがフィーネとキャスリーンをダブらせているのではないかと、そんな予感があった。年格好が同じ女の子なのだ、無理もない。
「貴方はまだ起爆スイッチを押されてないのね。一応訊ねておくけど、今からでも考えを変えて、私に解体されてくれないかしら」
「やーよ」
キャスリーンはべろを突き出し、「あっかんべー」した。
「せっかくつかんだあたしの幸せなのよ、誰にも取りあげさせやしないわ。あんたたちが死のうが死ぬまいがどうでもいいわよ。ね、そこの刑事さんも解体屋さんも、偉そうに言うなら教えてちょうだい。
あたしどうしたらよかったの? 誰も助けてくれないから逃げた。逃げたらやっと助けてくれる人がいた。でも、もう幸せになる元気なんてないの」
そこで少女爆弾は言葉を切って、空を見上げた。雨上がりの青空は朗らかで、穏やかで、それを見つめるキャスリーンの眼差しは、帽子のつばに隠れて窺えない。
「大人はみんな言うわ、いい子になりなさいって。いい子になるって、おとなしくしなさいってことよ。おとなしくしなさいってのは、死ぬまで黙ってろってことなのよ。でも死んだら、どうして助けを求めなかったんだ、ってむちゃくちゃ言うの。
あたし思うんだけど、世の中かがこんななのって、あなたたち大人がもうちょっとがんばってくれないからよね? キャスのこと可哀想って思うなら、今すぐそこで自分の頭撃ち抜いてくんない? ばーんってさ」
インヴァットとミズルの方を見もせずに、キャスリーンはそう言う。
サニーはそっと隣に立つ刑事の横顔を見た。きっと歯軋りを堪えているのだろう。引き結ばれた唇が、噛む物を欲するように歪んでいた。
「よく言われたっけ、お前は悪い子だって。ならそれでいいわ。あたし、とびきりの悪い子になるの。だって爆弾よ、爆弾。悦びなさいよね、サニー。あなたもまだ爆発できるのよ!」
そこでキャスリーンは傘を投げ捨て、両の手を広げた。少女の顔を浸す満面の笑みが、マッセナの壊れた笑いに重なって見える。
「あたしと一緒にあの時計塔に行って、仕掛けの真ん中でどかん。誘爆間違いなしよ。あたしたちの火で、この都市を、世界を焼き尽くしてやりましょ?」
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