§02 来客は雨上がりとともに
地上、新市街――その郊外に建つOWⅡ終戦記念公園は、二重の意味でセンタープロヴィデンスを象徴する場所だ。
一つは、都市のシンボルである新時計塔を眺められる絶好のスポットとして。
一つは、第二次軌道戦争(OWⅡ)の傷痕を保存する施設として。
ここでは、地面に埋まりきらずに乱立する不発弾の柱が見られる。園内の一角、『立ち入り禁止区』と看板を掲げ、フェンスと有刺鉄線を張り巡らせたエリアがそれだ。看板前は、スリルを求める若者や観光客の撮影場所として人気だった。
新市街にはこうした危険区域があちらこちらにある。
年に何度か不発弾が炸裂するが、市民のほとんどは感覚が麻痺しているので、台風や地震と同列にそれを扱っていた。
さて、この都市に似た古い古い玩具がある。黒髭の海賊が樽に入れられ、アタリを引くまでナイフを刺していくと、海賊がぽんと樽から飛び出すのだ。そしてセンタープロヴィデンスという海賊の樽には、もう不発弾のナイフがいっぱいで、刺せる穴はほとんど残っていない。
三人がどうにか徒歩で地上に辿り着いた時には、もう夜が明けようとしていた。
サニーはといえば、その間中インヴァットの背に負われ、目が覚めた時はミズルの膝枕という気楽さだ。お陰で自分は既に死んだものかと思ってしまった。
ミズルがサニーに膝を貸し、腰掛けていたベンチは終戦記念公園のものだった。どうやらサニーが気絶している間に、うまく中間街の公園出口へたどり着けたらしい。
ベンチから右手先には段差があり、下の方に大きな噴水がある。翼を持つ美女の彫像がしつらえられ、誰に見られるともなく水の束を踊らせていた。
(ミズルさんのお陰で、やっとここまで来れたんだ)
スタージョンが示した目的地。その半ばで自分が炸裂しなかったのはミズルが約束を守ってくれたからだ。彼女から注射について説明を受け、サニーは改めて感謝する。首筋に手をやると、注射痕は薄すぎて確認出来なかった。
デボルデ・クリニックでも、中間街の路地でも、自分は危ない状態だった。ミズルが助けてくれなかったら、サニーはとっくに炸裂して、彼女もろとも死んでいたかもしれない。
「ね、サニーくん。初めて見る地上の空はどう?」
当のミズルは、そんなことはもう覚えていないような態度でそう言う。
ここまで歩いてくる間に、電子繊維は乾いた血や埃を落として、衣服の汚れを目立たなくしていた。
「本物の空?」
サニーはミズルやインヴァットがそうしているように、空を仰いだ。旧市街のそれはジオフロントの天井に投影されたホログラムだが、ここにそんな物はない。
白々とした一面が徐々に晴れ、青みが増していく。その先に、遥かな雲の世界や星の世界が広がっているのだ。
ほどなくして夜が完全に明けた。
生まれて初めて見る本物の青空に、しかしサニーが予想していたような感動はない。地下のホログラムは、失った物を埋め合わせるためによく出来ていたから。
それがあまり出来過ぎていたので、サニーには慣れ親しんだ映像よりも、本物の空の方がよほど嘘臭く思えるのだ。
恐らく、上で生まれた人間は自分とは逆の感想を持つだろうが……。
ミズルとインヴァットはどうなのだろう。
二人とも黙っている所を見ると、案外、なにがしかの感慨を持っているのかもしれなかった。そう思うと、何となく訊きづらい。
いや、そもそもサニーには空のことよりも、もっと考えることがあった。中間街で聞かされた様々なこと、兄が両親を殺しただとか、オルキスとどうしただとか。
自分には、そのことについて落ち込むほどの時間は――寿命は残されていない。
くよくよしている暇はないし、それについてどんな態度を取るかなんてことは、レイモンらに言い放ってある。彼らがどうなったかは分からないが、マッセナの炸裂から生き残ればまた追いかけてくるのかもしれない。だとしたら尚のこと、早く兄を見つけなくてはならなかった。
不意に頬が濡れて驚く。自分はいつの間に泣いたのだろう。かと思えば、それはどこからともなく降り注ぐ水滴の、最初の一粒に過ぎなかった。
「うわ、こんな時間から散水?」
サニーは散水エリアから逃れようと、慌てて体をずらした。どこから降っているのかと設備を探すが、それらしき物が見つからない。
そうやって間抜けにうろうろすること三秒、ここが地上だったと思い出して、自分を見舞う現象にやっと見当を付けた。
「これ、えーっと……そう、
「正解だな。ほらこっち来い、爆発太郎」
インヴァットは頭からコートを被りながら、公園の東屋に向かっていた。ミズルも一緒にコートに入れてもらっており、早く早くと手招きしている。サニーは慌てて二人に合流した。
東屋のすぐ後ろに、フェンスに囲まれた
「まいったな、この
インヴァットの舌打ちにサニーは無言で頷く。スタージョンは公園に行けと告げただけで、園内は広大だった。
まさかここで、クラウドに会えるまでじっと待つのは間抜けに過ぎる。だから公園をくまなく探索するつもりだったのだが、その矢先にこの雨だ。
旧市街は降雨現象を再現するということはしなかった。せいぜいが、公園などの散水に限定雨を降らせるくらい。
そのため、地下のモバイル・スーツには雨に対する備えがない。つまり、服の一部を変形させて傘を開いたり、レインコートに変形させたりするような。
「湿気や気温の関係で、雨の日は爆弾も安定しやすいらしいわよ。心持ちだけどさ」
気象情報を見ているのか、端末をいじりながらミズルはサニーに声をかけた。
「通り雨だから、もう五分もすればやむみたい」
「じゃあ、もう少し雨宿りしますか?」
サニーは応えながら屋根の外に手を伸ばし、雨粒を受け止めた。
凍えるような冷気が詰まった水滴に、びっくりして手を引っ込めてしまう。モバイル・スーツの体温調節機能に守られて分からないが、地上はもう冬なのだ。
東屋の中から見上げれば、空が幾千幾万の水滴を降り注ぐ。サニーは少し躊躇ってから、雨天の下へ一歩を踏み出した。雨風にその身を晒しながら、兄を想う。
クラウドは言った、時計塔を見上げて。この穴ぐらをいつか出て行こうと夢を語りながら。地上では雨が降るから、その時は二人で傘を買おうと。
今、兄も傘も無いまま、サニーは地上に立っている。
濡れた髪がじっとりと重みを増して、頭や頬に貼りついた。緑のブレザーから出ている顔や手先が、ゆっくりと体温を奪われていく。
「爆発太郎、風邪引くぞ」
ひょい、と首根っこを掴んで、インヴァットが東屋にサニーを戻した。
「……爆弾が風邪を引くなんて変な話ですよね」
「別におかしかないわ。人間爆弾だもの」
ミズルはタオルを取り出すと、問答無用でサニーの顔を拭く。その間にも電子繊維が水気を弾いていった。雨が上がる頃には、サニーの服も髪も綺麗に乾いてしまう。
初めて味わった天然雨の感触は、もうどこにも残っていなかった。あるのはただ、濡れた地面の匂いだけ。それも、再び雲間から射す陽光に失せていく。
光の中を、鳩たちが飛んでいた。どこで雨宿りをしていたのだろうと思いながら、サニーはミズルたちに付いて東屋を出る。
この朝早くに、傘を差して散歩している人がいた。
「こんな時間に、あんなちっちゃい子が一人で大丈夫かしらねえ」
ミズルに言われて注視すると、なるほど体格が子供のそれだ。真っ白なドレス姿で、サニーの目には年格好の割に大人びた雰囲気に見えた。
水色の傘を閉じた少女は、つば広の帽子を目深に被って顔が見えない。ただ、帽子の端からは二つ結びにしたプラチナブロンドがこぼれていた。
少女の進路上にいた鳩たちが、彼女の歩みに驚いて一斉に飛び立つ。
白い羽群れが過ぎ去った後には、帽子のつばを持ち上げた少女の素顔があった。
「はあい、サニー。おはよう。一週間ぶりだったかしら」
「……キャス!?」
妙に冷めた灰色の瞳が、サニーの姿を見て細められた。少女の名はキャスリーン・ヒューズ、サニーと同じくクラウドに造られた人間爆弾。
キャスリーンは、静脈の青がくっきり浮いた
「ねえサニー、こっちに来て。一緒に爆発しましょ?」
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