§05 灰色と銀色

 この世の終わりかと思うような爆音は、長い長い余韻を引いて消えた。

 だがサニーにとって、マッセナの炸裂はまだ続いている。それは執拗に〝次はお前の番だ〟と彼に囁くのだ。

 殉爆、あるいは誘爆。

 他の爆弾の炸裂に感応して爆弾が炸裂するこの現象は、人間爆弾にも当然起こりうる。そしてその感応しやすさ、すなわち感度を下げてくれるのが鈍化剤だ。

 サニーは今し方この場で荒れ狂った熱波と衝撃に、全身を打ちのめされていた。ミズルとインヴァットがどうなったのか分からない。幸いにも繋がっている意識を使って、サニーはピルケースを開こうとしていた。少なくともそのつもりだ。

 だが手足の感覚が無い。痛いと思ったが、それさえも実はおぼろだ。代わって、サニーは自分の中でぽろぽろと薄い皮を破りながら、何かが産声を上げるのを感じた。

 それは頭脳信管の呼び声、それに応じた細胞たちの産声。

 信管の命に従い体中で、生きた爆薬たちがその本性を露わそうとしていた。肌は肌の、血は血の、肉は肉の機能を捨てて、ただ炸裂を待つ爆発物の本領を発揮する。

 もはやサニーは皮膚が無く、感覚が無く、目は完全にレッドアウトした視界に塞がれていた。耳は辛うじて聞こえるが、ごうごうと唸る自分の心音ばかりがうるさい。


(いやだ――炸裂なんていやだ)


 信管が煽る炸裂欲求は、かつて駅へ向かう車中で感じたような、甘美なものではなくなっていた。歯痛は人間が感じる最高の痛みと言うが、この苦痛はそれに近い。


(ミズルさん、助けて。炸裂しない、僕は炸裂したくないんだ)


 何よりサニーは、頭脳信管が垣間見せる爆心地のヴィジョンが恐ろしかった。


(――だって、僕は)


 それは銃口の冥い穴にも似た奈落。ロシアンルーレットを見た時と同じだ。天地の感覚が失せて、孤独と恐怖に絡め取られたまま落ちる、暗いどこか。


(ぼくは、しにたくない)


 それを最後にサニーの意識は途絶えた。



 爆圧が壁も床も柱も天井も吹っ飛ばし、複雑に積み重なった中間街の階層をぶち抜いていた。瓦礫が周囲の様相を一変させ、動くものの姿は見えない。


「厄日か? 天罰か? 正義の女神よ! オレの休暇を怒っておられるのですか!?」


 爆発の前に伏せることで身を守ったインヴァットは、起き上がるなり喚いた。短い間に色々あったが、中でも愛車をぶっ壊されて彼はムシャクシャしているのだ。

 その上こんな爆発に巻き込まれ、全く〝やってられねー〟。


「くそ、サニーも炸裂したか……? ミズリィ! どこだ!」


 事態の把握に努めながら、辺りを見回す。目に入るのは、ぐったりとして動かないウェザーヘッドどもばかりだ。体のあちこちが血にまみれ、焼け焦げている。インヴァットとて、この重装コートがなければ無事では済まなかっただろう。

 ミズルもそれなりに武装したモバイル・スーツを着ていたはずだ。しかし、それはウェザーヘッドらも同じ。

 駄目かもしれない、そんな最悪の想像を二種類の自分が受け止めていた。

 すなわち、断固拒否して喚き散らすインヴァットと、冷静に事実を認めてこれからのことに対処しようとするインヴァットと。

 特に後者の自分は、サニーも既に炸裂したものと考えて、この件をどう書類の上で処理するか、そもそもどんな事務手続きが必要か算段を立てていた。


――ジランドラさんは、まだ銀の弾丸になれるんじゃないんですか。


 サニーの言葉が耳の奥でこだまして、我知らず奥歯が鳴る。何が銀の弾丸か。インヴァットは胸元からペンダントを取り出し、ぼろぼろの銀弾を咥えた。

 ごりごりと噛み締めると、ほどなくしてそれが折れる。真っ二つになった弾の先が、澄んだ音を立てて地面に落ちた。

 インヴァットは虚しい気分で、転がりゆくそれを見つめる。


――ほらな、サニー坊や。銀の弾丸なんてありゃしない。


 自分が甘ちゃんスウィートなのは分かっている、だが。それでもなお抗いたいと思っていた気持ちが、じわじわと萎えていくような気がした。そんな自分自身に苛々する。

 いつものことだ、インヴァットは自分が大嫌いだった。

 ミズルも嫌いだしサニーも嫌いだしウェザーヘッドもセンタープロヴィデンス市も何もかもが嫌いだ。見るもの全て腹立たしい。

 この世は地獄でもお花畑でもない。神は熱くも冷たくもなく生温い水は、吐き出しておしまいになる。つまりこの世がそうだ、灰色でぬるま湯で煮え切らなくて、だからどうしようもない。だから、オレたちみんなどうしようもない。

 正邪をはっきり分けて仕留めてくれる銀が入る余地などないのだ。それがインヴァットの密やかな持論であり、その持論自体がまた自分自身にも苛立たしいでっちあげで、かくして彼の冷たい怒りは無限にループする。

 とはいえ、どこかでガス抜きしておかないと危ない。

 差し当たりインヴァットは、目の前に転がる銀弾のかけらに八つ当たりをした。景気よくつま先でそれを蹴り飛ばす。

 銀片はそれこそ弾丸のようにすっ飛ぶと、崩れた壁が作る瓦礫の山に着弾した。よほど危ういバランスで立っていたのか、その一発で山は傾ぎ、ひっくり返る。

 壁の破片群、その下からミズルの姿が現れた。

 黒い髪もジャケットも埃まみれで、端々に焦げ付きが窺える。ぐったりとしているが、意識はあるのか身を起こそうともがていた。

 駆け寄ると、その腕にサニーを抱えているのが分かって仰天する。


「ミズリィ!? なんでそんなことを」


 サニーが炸裂しなかったことよりも、ミズルがまたもや人間爆弾から逃げ出さなかったことに腹が立って、思わずインヴァットは怒鳴りつけていた。


(こいつはいつもそうだ! オレの願っていることと違うことを必ずやらかす!)


 彼女も解体屋ならば、殉爆の危険性は重々承知のはずだ。

 マッセナが炸裂する寸前、ミズルとサニーの距離は接していた。手榴弾程度の威力ならば、逃げて逃げられないものではない。

 なのに彼女は、全く逆の方を選んでしまった。


「だって私は、解体屋だわさ」


 身を起こしたミズルは、臆面もなく微笑んだ。その手には鈍化剤の注射器、サニーの首筋に突き立てている。

 この場でたった一人、解体屋の彼女にしか出来ない仕事だった。


「この子を絶対、炸裂させないって約束したのよ」


 きらきらと金色に輝くミズルの瞳に、インヴァットは〝銀〟が見えた気がした。どうしようもなさの真っ只中で、それでもどうにかしようと足掻いて、やり遂げた者の眼差し。


「ちくしょう、ハレルヤ」


 ほころぶ顔を見られるのが何となく嫌で、インヴァットは天を仰いだ。この世は煮え切らないぬるま湯だが、たまにはこんなこともある。こんなことがあっていい。

 だから自分は刑事をやっているのだ。

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