Chapter06 煮え切らぬ穴ぐらの者ども
原稿用紙約44枚
§01 成りたいものに生(な)れ
サニーが戻ってくると、アンセルドアがミズルの膝でごろごろしていた。テーブルには果物の盛り合わせ。綺麗に切り分けられたりんごにオレンジ、ぶどう。
それを摘んでいたインヴァットが「何か分かったか?」と声をかけてくる。
「新市街の終戦記念公園へ行け、と」
「他にも何か言われたんじゃない?」
ミズルに訊かれてサニーは迷った。あれをどう言ったらいいものか。
「えっと……僕のことを凄くよく知ってましたよ。それでまあ、幸運を祈る、と」
「そりゃサービス満点だな、珍しい」
「そうなんですか?」
インヴァットの言葉にサニーは意外な気がした。ソファから立って、コートを羽織りながら休暇中の刑事は「奴は偏屈だからな」と答える。
「父だって人助けに熱心になる日ぐらいあります」
アンセルドアが頬を膨らませた。怒っているサインだとしても、ミズルの膝と胸の間に挟まれっぱなしなので、迫力は全く無かったが。
「怒らない怒らない」
ミズルは笑ってアンセルドアの頭を撫で、軽く乱れた髪を直した。膝から彼女をどかして立ち上がる。
サニーはその側に寄って、アンセルドアに短くパイの礼を述べた。
「いえいえ、どういたしましてですよ。これからとっても大変だけど、頑張ってくださいね。貴方ならきっと大丈夫です。自分が何者なのか忘れなければ」
「うん。ありがとう」
自分が爆弾であることを忘れるな、とアンセルドアは言った訳ではない。サニーはそう解釈した。炸裂なんて、してたまるものか。
自分は何者なのか、自分は何者になりたかったのか。
サニーは爆弾で、しかし爆弾にはなりたくなかった。だから、もしもなれるとしたら、まず〝人間〟になるところから始めたい。
それから、インヴァットがアンセルドアに代金を支払い、三人は場を辞した。
「……あの人たちって、いったい何者なんですか?」
サニーはしばらく行ってから振り返ってみた。そう離れていないのに、もうどこがスタージョンの家だったか分からない。巨大な獣が横たわり、まどろんでいるような廃墟の群れに埋もれてしまっていた。もう二度と、それは見つけられない気がする。
「さあな」と気のなさそうなインヴァット。
代わってミズルが、茶請けの雑談のように応えた。
「面白おかしく無責任な噂なら山ほどあるわよお。やれ宇宙人だ神の使いだ、予知能力者だのタイムトラベラーだのってね。あと秘密機関の工作員とか」
「あまり独創的じゃないですね」
「テンプレートや陳腐な物は、みんな大好きってことね。ところでサニーくん、大丈夫?」
「何がですか」
「薬。また飲んでるじゃないのさ」
言われてはっとした。気がつけば手が勝手にピルケースを開けて、中身を自分の口に放り込んでいる。無意識に鈍化剤を摂る癖がついているらしかった。
「いえ……何もないんですけれど、つい」
ミズルの眉根がきゅっ、ときつく寄せ合わされた。
「うーん、あまり飲み過ぎると肝心な時に効かなくなるんだわ。もう一段強いのがあるから、そっちに替えるけど。少し控えてね」
「はい。すみません」
ミズルが出したピルケースは、またもウサギがデザインされていた。他の動物がなくて、ウサギばかり数パターンあるのだろうか。インヴァットが励ますように、サニーの背を叩いた。
時刻はそろそろ夕を通り越して宵という所。
三人はまたもテイクアウトで夕食を取りながら、駐車場の所まで戻った。五年前だって、自分はこんなに長い距離を歩かなかったと思う。
滑るようにインヴァットの車が走り出し、三人は中間街第一層を目指した。周囲には同じように上へ行く車両やバイク。それらも複雑に枝分かれする路地によって、増えたり減ったり入れ替わりが激しい。
そのはずなのに、一貫してぴたりと付いてくる物が数台あった。
「ジランドラさん。僕の自意識過剰だといいんですけれど」
「安心しろ、ドンピシャで付けられている」
「ウェザーヘッドかそれ以外か。どっちにしろ大胆なお誘いよねえ」
がちゃりと、何かとても単純で無骨でそれだけに恐ろしい機構が作動するような音がした。ミズルが拳銃を取り、安全装置の解除から撃鉄を起こすことまで一動作で済ませたのだ。
躊躇なし。おそらく容赦もなし。解体屋でも小児科医でもなく、復讐者の眼で車窓を見遣る。邪魔をする奴は全員ぶっ殺すという宣言そのものの姿だ。
「おい撃つなよ、ミズリィ。せめて運転を代わってからだ」
「そんな暇あるの?」
サニーが銃を出すか出さないか迷っていると、リアガラスが粉々に吹っ飛んだ。
「ちくしょう! オレのエヴォーラ!!」
インヴァットの悲鳴に続くように、黒い筒が穴から投げ込まれる。見覚えある形。
「……冷却弾!?」
サニーの叫びを証明するように白煙が噴き出す。催眠・冷凍混合のガスだ。
ミズルが助手席から身を乗り出して筒を掴み、車外へと投げ捨てる。すると三倍になって返ってきた。後部座席の床に溢れる黒い筒。
自宅で氷漬けにされたことを思い出しながら、サニーはミズルに倣ってそれを片端から放り投げた。更に車外から倍返しされて泣きそうになる。
「飛び降りろ!」
インヴァットが怒鳴ってドアを開けた。既に視界内はガスが充満して、見通しが悪くなっている。怖がってる場合ではない、サニーは腹を決めて身を投げ出した。
きつく手足を畳み、衝撃に備える。右半身をしたたかに打ち付け、尖った地面をバウンドし、止まるなりサニーは跳び起きた。
体中が痛んでうめきが出るし、頭がくらくらするが、炸裂しないだけで万々歳だ。辺りを見回して、サニーは自分がどこにいるのか確認した。
立体駐車場にも似た、暗く陰気な路地。大通りから離れ、人通りはまったくない。
近くにミズルやインヴァットらの姿は認められなかった。飛び降りた時に甲高いブレーキ音が遠ざかるのを聞いたので、二人とは大分離れてしまったのかもしれない。
独りになった心細さよりも先に、危機感がサニーを襲った。このままではやられる。まずホルスターに手を伸ばし、銃の重さと感触を確認した。
それを抜くよりも先に、どこかで聞いたような嘲笑が飛んでくる。
「尻が丸見えだぜ、焼き出されの豚がよう!」
薄暗がりの向こうから響いたのは、レイモンの声だった。
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