§04 偶然(アクシデント)の子羊たち
「J・J・スタージョン、年齢はセンタープロヴィデンス及び永遠なり、だ。
姓はチョウザメ(Sturgeon)ではなく、星の丘(Stargion)だよ。娘が妙な挨拶をしていたと思うが、気にしないでくれたまえ」
あなたも充分奇妙ですがとは思ったが、サニーは黙って握手をした。その手もアンセルドアと同じく、ぴりぴりと心地よい静電気を発している。
スタージョンは応接用のソファに腰掛けると、サニーにも向かいのソファを勧めた。間に挟まれたテーブルには、二人分のアップルパイと紅茶が載っている。
「まあ自己紹介はどうでもよかろう。君にとっての関心事は
なぜ知っているのですか、と口に出すことは、サニーには愚問に思えた。
「質問は無しかね、良い傾向だ」
スタージョンはにこにこと両掌を合わせた。
「ホーラ・フギト、時間は逃げ去る。あまり愚図愚図していると、風見鶏も嗅ぎ付けかねない。黒い傘もだ」
どうもスタージョン父子は、自分たちにしか分からない理屈に則って話を進めているらしい。軽く妄想症のある人間を相手にしているような、虚しい気分にさせられそうだった。
「ところで、冷めない内に食べたまえよ。娘が焼いたんだ」
言ってスタージョンは紅茶に口をつけた。その口調に何となく、我が子を自慢したがっているような雰囲気が感じられる。
聞き慣れないことを言われて、サニーは訊ね返した。
「冷める?」
「私は完全保温食器が嫌いでね。そのカップも皿も陶器製だ」
サニーはフォークを手に取って食器を眺めた。さっきの部屋にあったのと同じ品だ。紅茶もパイもスタージョンが来訪の直前に用意したのだろうか。にしては、タイミングが良すぎた。
「では、いただきます」
そういえば昼食を取ったのは大昔のことに思える。一口食べると飢餓感を覚え、サニーはつい食事に没頭した。空きっ腹にリンゴの甘さ、パイ生地の香ばしさと熱さが染み渡る。紅茶は渋みにジャムのアクセントも絶妙なロシアンティーだった。
「美味しい……」
正直に感想を述べると、スタージョンは満足げに頷いた。歩き詰めで疲れていた体に元気が戻ってくるようだ。少しだけ、サニーはアンセルドアの印象を見直した。
「ジャムも娘の手製なんだよ。さて、では本題だがね。もしも時間旅行が出来るとして、過去へ戻ってやり直せるとしたら。サニージーンくん、君はどの時点からやり直してみたいかね?」
「失礼ですが、あまり意味がない話ですね」
むっとしてサニーは紅茶のカップを置いた。いつになったら兄の行方について話が聞けるのだろう。時間は逃げ去ると言ったのは当のスタージョンだ。
「そういう前提条件だ。君の人生における分岐点は幾つかある。ご両親の死の直前、兄君に学校へ行かなくていいと言われた日、フィーネ・オルブライトが誘拐されてきた日、あるいはキャスリーン・ヒューズを助けようとして、君が殺人を計った時。さあ、どれかね?」
無意識にソファから尻が浮いていた。カップを皿に戻していなければ、床に落としていただろう。心臓の鼓動が全身で血管をわななかせ、その震えが骨肉にまで響いていた。愕然とするサニーを前に、スタージョンは淀みなく続ける。
「なぜ知っているか、という質問は無意味だ。説明をしている暇が惜しい。さあ、君はどこからやり直したい。どこからやり直せると思う。どうしたらここに辿り着かなかったと思うかね」
「僕は……」
サニーが選ぶならそれは一つしかない。兄を殺そうと思ったあの日、あの時。けれど、それで自分はやり直せるのだろうか。フィーネやミズルのことを知っていたら、自分はやはりナイフを持って兄の部屋に行っただろう。事後に自刃する決意でも付けて。あるいは、返り討ちに遭って爆弾にされると知っていても、殺害計画を練り直して実行したに違いない。
あの時の自分は何もかも間違っていた。
「どこからやり直しても駄目でしょう。僕はきっと、〝ここ〟に辿り着きますから」
サニーの答えに、スタージョンは我が意を得たりという調子で頷いた。
「その通りだ。中にはやり直せると思う輩もいるがね。サニージーンくん、君はひと繋がりの
「〝
その言葉はサニーにとって、気持ちのいい表現ではない。そんなもののために、自分は爆弾にされてしまったのか、と。眉根を寄せて軽く不快を示しながら、サニーは続く話を聞いた。
「この宇宙には天にも地にも君の幸運に責任を持つ誰かさんはいやしない。全ては起こるべくして起こる偶然に過ぎず、善も悪も無いということさ。時間というものが単なる〝順番待ち〟であることと同じように、生死も善悪も、ある一方がそうなったからこうなった、というだけのことでしかない。だが、そこに必然を見いだすのは人間の意志だ。偶然があるから全てが生まれ、人は偶然と意志によって己の運命を紡いでいく。偶然の犠牲という言い方が気に入らないならば、君は自分の意志で爆弾になったのだ」
「まるで宗教ですね」
苛立ちを堪えきれず、とうとうサニーは口を開いた。
「よく知りませんが、ブディズムか何かみたいだ。あなたは世界の因果律でも全てご存じなんですか。千里眼のように、僕のこともよくご存じのようですけどね」
時間が無いと知っているはずなのに、なぜこの男はこうもマイペースなのか。だがスタージョンは、悪びれるでもなく言った。
「何、私たちは世の秩序に対して、ズルをして生きている人種だからね。つい、お節介が多くなる。だからもう少し、それに付き合ってくれないか。何しろ君は若い」
スタージョンは眩しいものでも見るように眼を細めた。毒気を抜かれそうになる柔和な顔。
「それは単時点における閃光だ、点として存在することの最大の意義とも言える。多くの若人自身が、その価値に気づくことが出来ないことも含めてね。
――だが君は若くして死ぬだろう、後一日二日ほどでね。
それを悲劇と見るかどうかは君次第だ、私としては与えられた時間の重要さを見直す良い機会だと思うが。そして見た所、君はそれが出来ているようだね?」
「僕が、ですか」
アンセルドアの落涙を思い出す。彼女は、おそらくはサニーが爆弾であることを知っていたのだろう。マッチ売りの少女は頂けないが、なるほど悪気はなかったらしい。多分この父も。
そう思うと、急に腹を立てているのがバカらしくなった。この男がゆっくり構えているならば、それだけの猶予がまだ残されているという意味なのかもしれない。そんな風に考え直す。
「君自身が何を志向しているのか。何を大事に思っているのか。そう、例えば誰を愛しているのか。それを忘れていないのならば。ああ、ところで新市街の終戦記念公園は分かるかね。不発弾の隔離区と隣接するスポットだ。あそこでなら探し人が見つかるだろう」
「えっ?」
さらりと核心に触れられて、一瞬聞き逃しそうになった。
「直接には兄君に会えないが、まあそこへ行くのが一番の近道だよ。サニージーンくん、許されるなら幸運を祈らせてくれたまえ。君が辿り着く爆心地が、良きものであるようにと」
サニーがはいと答えるまでもなく、スタージョンはさっと呪術めいた仕草を行った。十字を切ったのか手を合わせたのかよく分からず、記憶に残らない動作だった。
「僕の幸運に責任を持つ人なんて、いないんじゃなかったんですか」
「いないことと、祈ることは別のことだろう。では、もう行きたまえ。彼らも待っている」
促されてサニーは立ち上がった。出口の前で振り返り、頭を下げる。
「ありがとうございました」
スタージョンはソファに腰掛けたまま、軽く手を振った。
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