§03 非時(ときじく)の使者

「そら、早速お迎えが来てくれたぞ」


 インヴァットの言葉にサニーは心底ほっとした。歩き始めて三十分、予想より早い到着である。辺りはポルノ店が建ち並ぶ、いかがわしいネオンライトの通りで、一刻も早くここを抜けるか引き返すかしたい所だった。

 休暇中の刑事が示す手の方を見やると、場違いにこざっぱりとした少女が居る。編み上げのブラウスとブーツ、レモンイエローのネクタイに、同色のロング・プリーツスカート。スラムの荒んだ空気から浮いていると、そう思った。

 その子はサニーより二つ三つ年下のようで、ブルネットの髪はシニヨンに纏められ、鷹揚な様子で歩いてくる。こんな所で情報屋の使い走りをしているより、繁華街でショッピングでもしている方が似合いそうだ。

 少女がサニーの前に立つと、ラベンダーの香りがふわりと漂った。

 世の十代といえば、通っている学校を三日も休めば、たちまち世間の流行から取り残されてしまう。五年も軟禁されていたサニーなど、まさにリップ・ヴァン・ウィンクル。年上のミズルらと違い、同世代の相手と話が合う自信などまったくなかった。


「あのう、貴方はサニージーン・グレイスさん――、

 十七年八日と十五時間二十三分歳さんでよろしいですか?」


 だがこの少女相手にその心配は無用そうだ。


「年齢が合っているか自信ないけど、多分それで間違いないと思うよ」


 答えると、少女は愛に満ち足りた笑顔でサニーの手を握った。途端にぴりぴりと静電気が伝わって驚くが、微弱な刺激が心地よく、不快感はない。

 彼女の周りでは、そこら中で飛び交う嬌声や、淫靡で薄汚れた空気が遠かった。


「じゃあ大丈夫ですね、良かった。はじめまして! わたしはアンセルドア・スタージョン……ええと、点時的パンクチュアルに言って十四年六十二日八時間三十五分歳です」

時間厳守パンクチュアル?」

「はい、この言葉はラテン語の『点』が語源ですから。時間と空間の座標軸から導き出される点としての存在という観点から言ったほうが、わたしの年齢は分かりやすいと思います」

「確かに分かりやすいけどさ……」


 むしろ、他にどんな数え方があると言うのだろう。

 困惑するサニーに、インヴァットが「まあこういう連中なんだ。親子揃って」と耳打ちした。気にしても仕方ない、ということらしい。


「親子って、当の情報屋もこんな調子なんですか?」


 つい訊き返すと「むしろもっとパワーアップしているぞ」と言われて、ますますサニーは嫌な予感がしてきた。本当に有益な情報が得られるんだろうか。

 考えていると、握られた手に熱いものが滴った。びっくりして前を見ると、アンセルドアが両の目を潤ませている。黒とも青とも判じがたい不思議な瞳から、一筋の涙が頬を伝っていた。


「ど、どうしたの!?」

「いえ……ごめんなさい」


 アンセルドアは手を離すと、可憐な仕草で顔を拭った。


「マッチ売りの少女の話を知っていますか。わたしは初めてあれを絵本で読んだ時、悲しくて胸が張り裂けそうでした。あなたを見ていると、それを思い出してたまらなくなります」

「……どーいう意味かな」


 理不尽な同情を感じてサニーは下がりかけたが、アンセルドアはすかさず、その手を捕まえて逃さない。こちらの魂に踏み入ろうとするように、ぐわっとサニーの顔を覗き込んだ。


「あなたの主観人生に幸がありますように!」

「君さ、もしかして喧嘩売ってるの?」

「この子、悪気はないのよ。悪気は」


 背後でミズルがフォローを入れたが、却ってタチが悪い。


「お久しぶりだわさ、アニー」

「ミズルトリスさん!」


 手を振るミズルに少女が抱きつき、サニーは解放されてほっとした。少し相手にしているだけで、一気に体がだるくなってしまった。

 逆にアンセルドアは一貫して溌剌とした調子で、ミズルの胸元に深々と頬を埋めている。


「前にお会いした時から、三年七ヶ月十八日五時間四十一分ぶりですね」

「またお世話になるわよん」

「あ、でも今日お迎えに来たのは、サニージーンさんだけなんです」


 言われて、インヴァットが頭を掻きつつ苦笑した。


「なんだ、オレたちはお呼びじゃないんだな」

「別に同行なさっても構いませんよ。父に話を聞く時だけ、サニージーンさんを別室で待ってくださればいいですから。お茶も出します」

「じゃあ、お邪魔させてもらおうか」

「はい、おまかせくださいっ」


 そう言ってアンセルドアはミズルの胸から顔を離した。名残惜しそうにちらりとそれを見ると、ひょいと右手で自分の、左手でミズルの乳房をすくい上げる。


「ミズルトリスさん、また熟してきてませんか。ほらほら、弾力も張りもすごいです」

「この歳でこれ以上成長しないわよ」

「でもこれ、この機を逃したら行き遅れになっちゃいますよ。わたしなんて、まだちょっと膨らみきらないから、しこりがあるんです。青い果実というやつです」

「んー、どれどれ?」


 何気ないような仕草で、ミズルはアンセルドアのおっぱいに手を伸ばした。


「ひゃ、くすぐったいですよう」

「こーら、逃げるな……って、じゃれている場合じゃないわね。道案内、お願い」

「はあい」


 ようやくアンセルドアは先頭に立って歩き出した。その後に続くミズルを尻目に、赤い顔のサニーはインヴァットに同意を求める。


「どうですか刑事さん、潤いませんか」

「言いたいことは分かるが、オレは子供に興味はないぞ。あと、刑事と呼ぶな」

「すいません」


 苦笑してサニーも出発した。

 一度動き出すと、自分たちがポルノ産業の通りにいるのだと思い出す。アンセルドアがいるだけで、次元のポケットに入ったような隔絶感があった。

 インヴァットは彼らを都市伝説に例えたが、こうしたエキセントリックな人柄に触れると、さもありなんという気がしてくる。だいたい何を持って人の年齢など分単位で計っているのか。


「着きましたよ」

「もう!?」


 アンセルドアに言われてサニーはつんのめりそうになった。今歩き始めた所だったはずなのに、そんなに近かったのだろうか。そう思って周りを見渡すと、さっきまでの通りはとっくに抜けていた。どこをどう歩いたのか全く分からない。

 今いるのは、廃墟然とした建物が並ぶ街路だった。住宅街のようにきちんと計画して建てられたのではなく、人が寄り集まって勝手に家屋を作り、そして出て行った後も長らく放置されている、そう思わせる雑然とした場所だ。

 ほら、とアンセルドアが指さした先には、ぽつんと木製の扉があった。何か看板が出ているでもなく、特徴のないそれは、あらかじめ知っていなければ見つけることも難しいだろう。


「お父さん、サニージーンさんと、インヴァットさん、ミズルトリスさんをお連れしました!」


 意気揚々と扉を開けてアンセルドアが呼びかけると、奥から「おかえり」と柔らかな声が響いた。その声と共に、真っ暗だった室内に明かりが灯る。

 部屋はアンセルドアと同じく、こざっぱりとした様子だった。落ち着いた色調のソファにテーブルに椅子。革で綴じられた古書が詰まった本棚まである。確かここは中間街のスラムの、そのまた一角だったのではないかと、サニーは心中首を傾げた。

 テーブルには、既に二人前が切り分けられて無くなっているアップルパイと、三人分が注がれた紅茶のカップがあった。どちらも食器に保温されているらしく、湯気を立てている。


「サニージーンさんの分は父の部屋にありますから、あちらへどうぞ」


 人類愛と営業スマイルと博愛主義の三点項目を模範的に満たした笑顔で、アンセルドアは奥の扉を掌で示した。愛らしいと言うより、愛されている自信に満ちているのだろう、この娘は。そんなことを考えながらサニーは教えられた扉をノックした。


「いってらっしゃい。あまり相手の言うこと真に受けないようにねぇ」

「いちいち驚いていたら切りがないからな。まあお前ぐらいなら大丈夫だろ」


 部屋の主から「どうぞ」と返事があった。それぞれに言うミズルとインヴァットに送られ、サニーは扉をくぐる。最初に、ラベンダーと紅茶の香りが嗅覚に入ってきた。

 次に感じたのは、電気。ここの空気は異質な何かで帯電している、そんな感触に肌がざわついた。それは不思議だが不吉な感じではない。


「ようこそ、サニージーンくん。まあ楽にしてくれたまえ」


 部屋の主は四十代の男だった。長身痩躯、アンセルドアより更に濃いブルネットの髪と口髭で、古めかしい黒服を着ている。シャツにベストにズボンにボウタイ。軍服のようなそれにしばらく思い当たらなかったが、フロックコートのスタイルだ。実際、部屋の隅に置かれたコート掛けに、糊のきいたフロックコートと山高帽があった。とんでもない骨董趣味だ。

 男――アンセルドアの父は書き物机の椅子から立ち上がって、サニーに握手を求めた。

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