§02 道半ば

 中間街は大きく分けて、旧市街寄りの第一層・新市外寄りの第三層・そして中心部の第二層で構成されている。

 各層は更に細かな階層構造だ。第一層がジオフロント管理施設のための整備通路で、最も古く、あまり関係のない人間は立ち入らない場所だった。第三層には、新市街の地下鉄として利用されるダウンシティ・レールが走っている。

 そして第二層こそ地図に書き込まれない空白地帯に溢れ、上下の市警がぶつかり合い、拡大し続ける貧民街によって一種の迷宮と化したアンダーグラウンドだった。

 三人がまず目的とするのが、ここだ。

 違法工事によって各層の繋がりは混沌とした状態になっている。インヴァットはその中から地図に記載されているルートを選んで、第二層に車を進めた。

 旧市街は、地下であることを忘れさせるためあらゆる手を講じる。

 空を作り、太陽を作り、季節に合わせて日照時間を変化させ、公園などには定期的な散水で雨をもたらす。クリスマス期間になると大量のホログラムで幻雪を降らせ、少しだけ人工雪を混ぜた。空調で風を演出することも忘れない。

 観光客の多くは、もっと閉塞感に満ちた都市を想像しているので、旧市街の明るさと開放感に驚きを隠さないものだ。

 だが中間街は、そういった取り繕いとは無縁だった。

 旧市街にも地下鉄という物はあり、サニーも何度か利用したことがある。ここは、それを更に広くしたような印象だった。

 ただ、地下鉄と違って車道と歩道が区別され、バスも通っている。コンクリートや配管がむき出しの天井には古ぼけた電灯が並び、車窓に流れる景色は壁と柱ばかり。行きかう人や車のざわめきに、空調のごうごうという音がやけに大きく混ざっていた。ここでは時計塔の鐘も聞こえない。

 自分の頭の上にこういう場所が広がっているのは、サニーとしても奇妙な感じだった。これを目の当たりにしていると、普段意識していなかった地下暮らしを実感させられる。インヴァットが適当な駐車場で車を停めた。


「さて、こっからは徒歩だぞ」

「その前に、腹ごしらえしないとね」


 ミズルがティクアウトのオムレツやスパゲッティを出し、三人は車中で軽く食事した。それが終わると、モバイル・スーツや銃の調子を確認する。

 サニーも二人に倣って、取り合えずホルスター内の銃を出した。試しに暗証番号を入力すると、ちゃんと安全装置が外れて慌ててしまう。こんな物、果たして自分に扱えるのだろうか。そんな不安ごと飲み下すよう、サニーは鈍化剤を口にする。

 駐車場の周囲は賑やかなショッピングモールだった。明るく、清潔で、狭苦しさを別にすれば市街と大した違いはないように見える。

 中間街にも人が住んでいると聞いた時はびっくりしたが、実際に歩いてみると、暮らすのにそう悪い場所でもなさそうだ。


「ほら、こっちだ」


 インヴァットに先導されて歩いて行くと、どんどん人気ひとけが遠ざかっていった。やがて、ぱたりと人通りが途絶え、境界線に立ったような気にさせられる。


「気をつけてね」とミズルに声をかけられ、サニーはにわかに緊張してきた。


 一つ角を曲がると、露骨に通路の様子が変わった。照明が今にも消えそうな明滅をくり返し、辺りにはゴミが放置されている。しばらく進むと、その中で鼠が蠢いた。

 やがてゴミ漁りの列に、犬が猫が、最後に人がと大きい物が順々に加わっていく。浮浪者はどれもこちらに無関心な風で、じっと座っている者もいれば、眠っているのか死んでいるのか判じがたい者、明らかな麻薬中毒者まで様々だ。

 サニーはそうした都市の暗部と悪徳のごった煮に、出来るだけ注意を向けないことにした。ただ前を行くインヴァットと、隣にいるミズルだけを見るようにする。二人とも、こうした場所は慣れっこだと言うような態度で堂々としたものだ。

 しかし、そうやって意識的に視覚を制限してしまうと、今度は嗅覚の方が気になってきた。ここは臭いがこもりすぎるのだ。

 常に空気を循環させて清浄と新鮮さを保つ市街とは訳が違う。そこら中の汚物や、浮浪者たちの体臭はもちろん、どこからか死臭が漂っていた。

 あの日、マッセナが自分のこめかみに銃を突き付けていた時と、まるで同じ。これから誰かが死ぬ予感と、どこか目に見えない所で、本当に誰かが死んでいる気配だ。

 いずれは自分も、あの臭いの中に加わる。


――残された権利は、丁重に埋葬されることだけだ。


 インヴァットに以前言われたことを思い出し、サニーは唐突に疲労感を覚えた。

 自分はこの二、三日でどれだけ鈍化剤を飲んだだろう。今朝も、小用を足したら妙な違和感があった。鎮静剤や睡眠薬が排出されて、尿が薬臭いのだ。自分の体は以前と変わらず物を食べるし、排泄もする。それでも、やはり爆薬で出来ているのだ。

 そんな人間爆弾でしかない自分に、サニーは嫌気が差していた。もちろん、最初から爆弾であることなど歓迎していない。だがいつ炸裂するかと怯え、薬物に頼り、信管を起こさないよう神経を張り続けていることに、もううんざりだった。


――疲れた。早く眠りたい。


 死の恐怖も悲哀も忘れ、頭に痺れるような疲れが襲う。まるで炸裂欲求の裏返し。


「こら、サニーくん。はぐれないの」


 ふと掌が温かくなったと思えば、ミズルに手を引っ張られていた。いつの間にか立ち止まりかけていたらしい。

 ミズルはサニーの様子に気づいたのか気づいていないのか、そのまま手を放さず歩く。長い髪が尾のように、彼女の尻を掃いていた。

 掌の体温がありがたくて、サニーは大人しくついていく。改めてミズルの横顔を見上げ、自分を奮い立たせることにした。まだ休んでいる場合ではないのだ。

 兄を捕まえることは気が重い。キャスも解体と炸裂、二択の爆弾だ。けれど、ミズルに兄を殺させる訳にも、キャスに誰かを殺させる訳にもいかない。

 自分の本当の役目は、兄のみならずミズルとキャスの三人を止めることなのだ。なるほど、こんな大役疲れる訳である。


「もう大丈夫です、ミズルさん」


 意気を取り戻すと恥ずかしくなって、サニーはミズルに手を放してもらった。インヴァットの側へ足早に走り寄る。

 辺りは怪しげな骨董品店や電気屋の並ぶ商店街になっていた。


「ジランドラさん、情報収集って何をやったらいいですか?」

「素人が何もせんでいい。邪魔だから後ろで待っていてくれ。ほら、一件目に行くぞ」


 なるほどとサニーは引き下がったが、それからの数時間は無茶苦茶だった。

 インヴァットと情報屋のやり取りは、商談をしに来たのか逮捕しに来たのか分からないものだったのだ。確実なのは、インヴァットは彼らから情報よりも恨みの方を多く買っており、彼らも情報より喧嘩の方を売りたがっているようだ、ということだった。とはいえ、情報屋の半分以上はこの人間砲弾を見かけるなり、脱兎のごとく逃げ出そうとしたのだが。


「あの人たちのうち、単なる事情通のチンピラが六割、前にヴァッティに逮捕されたのが三割、残り一割が本職の情報屋なのよね」

「ミズルさん、その説明だとジランドラさんってもしかして、情報網とか交渉事とかは……」


 二人の目の前には、ぴったりと閉じられたクラブの扉。かすかに、インヴァットの『ブチ込まれてぇかぁ――ッ!』というシャウトと乱闘の音が響いていた。


「人間、誰でも得手不得手はあるんだわさ」


 生暖かい目のミズルを横に、サニーはこっそり頭を抱えた。人間砲弾というあだ名が「猪突猛進」の単なる言い換えだとしたら、あの刑事が嫌がるのも頷ける。


「空振りだ!」


 場末のディスコクラブで大立ち回りを演じて戻っての開口一番。インヴァットに聞かされる何十回目かの台詞に、サニーもミズルも生返事するばかりだ。


「手がかりナシですね」


 いい加減サニーもぽろっと愚痴がこぼれる。

 情報収集を任せっ切りにしておいて何だが、そろそろこの刑事で大丈夫かという気分になっていた。だからと言って、サニー独りでどうにか出来る訳でもないのだが。


「いや、最後にもう一人アテがある。問題は、そいつと会えるかどうかだ」

「捕まえづらい人なんですか?」


 その言葉にあまり期待せず、サニーは訊ねた。


「まあな。奴はどういう訳か、自分に用のある人間をすぐに察知する。会う気があれば迎えを寄越すし、そうでなけりゃ絶対に会えん。以前の対面で道を覚えて、自分から会いに行こうとしても駄目だ。奴が望まない限り、まず話を聞くどころか顔を見ることも出来ん」


 なにやらお高く留まった人物のようだ。その上奇妙だった。


「その人はどうして、自分に会いたがっている人が居るって分かるんですか?」

「さあな。なぜかこちらの知りたいことは質問する前から知っているし、隠しておきたいことも見抜く。情報屋と言うより占い師の類だな。半分くらいは都市伝説だ」

「胡散臭い……」


 ついサニーは顔をしかめた。さんざん足を棒にして、最後に辿り着くのがそんな怪しげな人物とはため息が出る。


「仕方ないだろう、一応情報は確実なんだから。もしも会えれば、べらぼうに塩梅が良いってもんだ。さ、行くぞ」

「今度はどこですか」

「適当に歩き回るんだ、向こうから接触してくるまでな」


 言われてがっくりとサニーの肩が落ちた。インヴァットに付いて情報屋を追い掛け回していたので、ブレザーの少年はすっかり徒労で倦んでいる。こうしているのが時間の無駄に思え、一刻も早く上へ向かったほうがいい気がしてきた。


「あら、サニーくん。疲れた?」


 ぽふ、とミズルはサニーを後ろから抱きしめた。後頭部が温かいクッションのような物に包まれて気持ち良い。それも脳がとろける種類の心地よさ。


「それも仕方ないけど、最善は尽くさなきゃね。話さえ聞ければ、きっと有益な情報が手に入るんだもの。だから頑張りましょ」


 そう言いつつ、ミズルはぎゅうぎゅうと母性溢れる抱擁を繰り返した。その都度、彼女の体温やら弾力やらが頭と背中に押し寄せて、サニーの心臓を早鐘のように滅多打つ。


「さ、元気出して行ってみよー」


 ミズルは腕を解いて、ぽんとサニーの背を叩いた。そこにはまだ彼女のぬくもりが残っている。返事をする自分の呂律が、わずかばかり回っていない気がした。

 髪を翻して颯爽と歩き出すミズルに、しかしサニーは腰の辺りからフラ付いて遅れを取る。その肩を、インヴァットががしと掴んだ。それはそれは真面目くさった口調で語りかける。


「どうだ少年、潤うだろう」

「ええ、ぐっときますね」


 野郎どもの間に、小さく連帯感が生まれた。

 しかし、サニーがミズルに抱きしめられたのはこれが初めてではない。最初に協力を約束した時、ガエタノと別れた時、クリニックで炸裂しかけたのを止められた時と既に三度。だから今更、色気にあてられるのも、変な話だという気がした。


(案外、余裕なのかなあ。僕)


 自分が人間爆弾になって、まだ三日だ。爆弾としては長い方なので、もう三日と言ってもいい。インヴァットの休暇は残り二日しかないというのに、自分は既に気が緩んでいるらしい。それで良いのかとも思ったが、この安らぎは手放しがたかった。

 何より、クラウドを追い詰めたくて焦っているのはミズルも同じはずなのだ。その彼女がわざわざ気を使ってくれたのだから、少しだけその好意に甘えさせてもらおうと、そう思った。

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