§04 羽ばたきは嵐を呼ぶ

 センタープロヴィデンス旧市街八番区。

 市中央部から続くフィニョール通り。周囲にはショップやホテルが立ち並び、道路をタクシーが行きかう活気あふれるエリアだ。その一角、いかにも老舗な店構えの料理店を、クラウディオとキャスリーンは朝食に訪れていた。

 少々染めた赤毛が派手だが、黙っていればクラウドは好青年で通る。キャスリーンと他愛ない話に花を咲かせる様は、歳の離れた兄妹と言った風情で微笑ましい。

 入り口、重厚な木製の扉が乱暴に開いた。

 どかどかと八人の男たちが入店し、さっと店内を睥睨する。その内の一人、タイヤのように出っ張った腹と、たっぷりの髭を持つ男が二人の姿を認めて、目を眇めた。

 店員が人数や席を訊ねに来たが、男たちは一顧だにしない。どこかで微かに虫の羽音がする中、ズシズシと重く低い足音を立てて、クラウドの背後に立った。


「ヘイ。ボンバルリーナ、子猫ちゃん。ケツの調子はどうよ?」


 隣の大男が先走るのを、タイヤ腹の男――レイモンが制止する。ここまでクラウドを追って、ウェザーヘッドの一団を率いてきたのだ。


「おれが話す。ようクラウド、へいトラウト。今大人しく戻るンなら、多少のペナルティで勘弁してやるぜ」


 食事客もウェイトレスたちも、揉め事の雰囲気を察知して静かになっていた。だがクラウドらは我関せずで食事を続けている。


「ねえクラウド、出かける前に新しい服が欲しいわ。魚が泳ぐ青いドレスよ」

「いいね、レディ。波しぶきを立てるスカートのやつが、三ブロック先の店にあったはずだ」

「すてき!」


 二人は愉しげに笑い合った。露骨に周囲を無視したそのやり取りは、実に寒々しい。笑い声に混じる羽虫の唸りが、先ほどより数を増したように思えた。

 天井近くで飛び回るそれがうるさくて、ウェザーヘッドらをなお苛立たせる。レイモンはクラウドの肩を掴み、強引に振り向かせた。


「おまえにゃ随分と稼がせてもらった、帰ってこいよ。おまえのボールはタネの代わりに悪徳でパンパンだ、俺は気に入ってんだぜ、そこん所」


 クラウドはずれた眼鏡を直しながら、ようやく応えた。


「食事中なんで後にしてくれないか。俺がチーズ味のペンネ好きなの知ってるだろ」


 先ほどの大男がテーブルをひっくり返し、半分以上残っていたペンネや料理を床にぶち撒けた。残りの連中がそれぞれの銃を出して突きつける。

 店内が悲鳴で溢れ返った。咄嗟に通報しようとしたウェイターが威嚇射撃を受けて跳び上がる。当事者たち以外が全員手を挙げ、あるいは床に伏せて震えた。

 演説向けの静けさを得て、ウェザーヘッドの一人が朗々と告げた。


「何ならおまえの弟にも、落とし前着けさせてもらったっていいんだぜ。爆弾だって埋めるなり凍らせるなり手はあるんだ」


 その言葉は否応なくクラウドを反応させた。瞳が無関心から焦点を外して動く。


「サニーは死んだろ? もうとっくに解体されているはずだ」

「それが生きてんだよ、どういう訳か解体屋の女と一緒にてめえを嗅ぎ回ってなあ!」


 サニーに投げ飛ばされた巨漢のスローンは、幸い一命を取り留めていた。そこからレイモンたちまで、デボルデ・クリニックの出来事が伝わっていたのだ。


「へえ……いいこと聞いたよ」


 眼鏡の奥で眼光を煌かせ、クラウドは指を鳴らした。その十指に目立たずはまる、シンプルな指輪。店内の静けさをつんざいて、一際甲高く羽音が鳴る。


「痛ッ」


 テーブルを返した大男が首を刺されて跳び上がった。熱い痛みに何の虫かと見れば、それは白いピンのような物体だ。

 抜こうと手を伸ばすと、刺された箇所がみるみる風船のように膨れ上がった。丁度、巨人がストローでも突っ込んで「ぷっ」と空気を入れたかのように。

 膨張する皮膚に首が曲がり、血管の浮いた肉風船が破裂する。

 赤い噴霧を散らし、首を大きく抉られて、哀れな男は倒れた。

 皆、声も色も失って静まり返る中、クラウドは快活な笑い声を上げる。緑の瞳が蛍火のように燃えていた。眼鏡のレンズには、複数のデータウインドウ表示。


「ははははっ。CRY-MOREクレイモア――俺がヒューマネックスから作った有爆性酵素さ。血液中に入ればたちまち肉体を破裂させる毒だよ。こいつの針は、大抵のスーツを破れるくらいにゃ鋭い」


 クラウドが人差し指を立てると、羽ばたくピン、ロボットの蜂が針を上に向けて止まった。


「そうそう、あと知っていると思うけれど、レディは俺の爆弾だからね。弾が当たったりしたら、この店ごと木っ端微塵になるから気をつけてくれよ。俺たちは〝上〟へ用があるんだ」

「早く片付けて、次の店に行きましょうよ。あたしデザート食べそこねちゃったわ」


 ぼやくキャスリーンに頷き、クラウドは指を鳴らした。天井に、梁に、照明の笠に、テーブルの下に、店中にこっそり放されていた機械蜂が一斉に飛び立つ。わぁん、という羽音の唸りが膜となって彼らを包み込み、逃げ場を奪うようだ。

 何十匹もの機械蜂が飛翔した。針を突く、膨張する、肉が割れて血が飛び散る。標的が小さすぎて銃で狙うなど無理な話、ウェザーヘッドは逃げ惑い、ただ一方的に狩り立てられる。


「ちっ、ちきしょう!」


 一人がテーブルからクロスを奪い、それを蜂の群れに振り回した。卓布は弾痕が穿ったようにたちまち穴だらけになり、まったくの無力。ボロ布になったそれの向こうから毒針が襲いかかり、男の悲鳴より早く破裂音が上がった。

 闇雲に放たれたテロ屋の銃弾が食事客に当たる。ウェザーヘッドが機械蜂に追い回され、四肢や胴や頭のあちこちを炸裂させられる。どこもかしこも血の花火。その真っ只中をクラウドとキャスリーンは悠々と歩き回った。

 クラウドの手には一丁の九ミリ拳銃。背といわず腿といわず蜂に食われ、〝鼠に齧られたチーズ〟風になった男に止めを刺した。

 キャスリーンは旅行鞄から三本のスティックを取り出し、それを白銀のショットガンに組み立てた。構えると銃庄が縦に割れ、三脚となって彼女の肩や腕に取り付く。

 反動を抑えるパワーアシストに支援され、逃げ惑うウェザーヘッドに向けて猛烈な掃射を開始。照明が砕け散り、テーブルと椅子が吹っ飛び、店員も客もテロ屋も無差別にキャスリーンのライフルは蹂躙していく。

 恐怖と致傷と致命で動く者が居なくなった頃、毒液の尽きた機械蜂たちがクラウドの鞄に戻った。辺りを見回し、口笛を吹くと、クラウドは傍らの少女に笑いかける。


「上手くなったね、レディ。短い間に格段の進歩だ。その銃、よく似合っているよ」

「パパとママを撃った時は初めてだったけど、あなたが支えてくれたもの。教え方がいいのよ」


 死屍累々。温かな血が冷たいガラス片を浸す床の上で、クラウドはキャスリーンの髪をかきあげた。頬に軽くキス。


「行こうか、レディ。マッセナもいい加減限界だ。新市街は出たことあるかな?」

「ううん。でも、クラウドと一緒ならどこも怖くないし、どこでも楽しい」


 二人は店の出口に向かって歩いて行った。床に伏せたレイモンは倒れたテーブルの影に隠れ、奇跡的にほぼ無傷だ。

 このまま見つからないことを祈って、彼らの背を注視する。すると、その視線に気づいたようにクラウドが立ち止まった。くるりと振り返り、懐から何かを取り出す。


「さあ幸運の女神様、祝福をどうぞ」


 クラウドが差し出す手榴弾に、キャスリーンはくちづけた。

 直後、レイモンの絶叫が爆音にかき消される。



 朝一番で市営病院に向かったインヴァットは、医師に止められるまで事情聴取を粘ったが、大した情報は得られなかった。それでも皆無という訳ではないので、良しとするしかない。

 愛車を自動操縦にしてミズルの元へ向かいながら、インヴァットは聞き出した情報のメモを車中で読み返した。休暇中ということで、普段はぴっちり撫でつけた髪を少し崩している。

 現在ウェザーヘッドは、幹部のレイモン・デボルデが中心になってクラウディオを追撃しているらしい。見つけ次第、生死問わず捕獲せよという命令が出ている。推測だが、実際は生きたまま連れ帰り、リンチの後に処刑という手順になるだろう。

 病院で聞いた時からレイモンの姓に聞き覚えがあったインヴァットは、ブロード街の古い記録を引っ張り出した。即座にヒット。デボルデ・クリニック、そこがレイモンの実家だ。


(クラウディオは、かなり昔から連中と関わっていたのかもしれないな)


 サニーは小さい頃からこのクリニックの世話になっていたと言う。クラウドとレイモンがそこで知り合ったというのは、有り得る話だ。

 そこまで考えた時、警察無線が鳴った。市警の同僚からだ。


「よう、何かあったのか?」

『クラウディオの目撃情報さ。フィニョール通りの店で、テロ屋どもとやらかしたらしい』

「すぐそちらへ行く!」


 インヴァットは自動操縦を切り、自らハンドルを握った。

 アクセルを踏み込み、ナビAIに最短経路を選択させる。まさか直接捕らえられるとは思わないが、手がかりがすぐそこにあった。

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