§03 墓地に爆弾の安らぎ無し

 二人切りの沈黙と二人分の静寂。たっぷり五分の間を置いて、ミズルはインヴァットの背中から顔を離した。その頬は乾いていたが、目は決壊寸前まで潤んでいる。


「……もういいのか、お嬢ちゃん」


 黙って背を貸していたインヴァットは、そっけなさげな声で問うた。昔から演技が下手なのだ、本人が思っているよりずっと、刑事なんて向いてないのかもしれない。

 だから、自分の身を案じてくれていることがはっきりと分かってしまう。ミズルはまた甘えたい気分になるのを堪え、きっぱりと「ええ、大丈夫だわさ」と答えなくてはならなかった。

 サニーの前でならまだ強がれたが、インヴァットの前では難しい。彼とは戦時中、兵士が子供を預ける福祉施設で出会った。彼と彼の三人の弟、本当の兄妹みたいに過ごしたものだ。施設を出て数年は連絡し合ってた。

 それも疎遠になっていた五年前、ポップとフィーネの事件で、刑事になった彼に再会したのだ。ミズルがこんなに迷惑をかけた他人は他にいない。


「ここでオレに謝ろうもんなら、張っ倒していた所だ」


 インヴァットは向き直って、ミズルの目の前に拳を突き出した。笑っている。


「オレの頭にさんざん火種をブチ込んでおいて、今更後ろを見せるようなら首を絞めたくなる。キミも人間爆弾と同じだ、いつ何時暴発するともしれん銃が、標的を見失ったまま四方八方に走ろうとしている。爆発太郎より性質が悪い」


 インヴァットの目はにこやかだったが、その奥の瞳は怒気に満ちて震っていた。彼が言う冷たい怒りだ。それほど真剣にミズルを想って、腹を立てている。


「いいか、この三日間が決戦だ。キミの焦げ付きに決着をつけろ。教授とフィーネを忘れろとは言わんが、そのためにキミ自身を焼き尽くすことはないんだ。それが出来ずに見境を失うようなら、オレはキミを許さないだろう」

「ええ。これを最後にするわ」


 それを果たせるか分からぬまま、ミズルは答えた。これが本当に最後になることを願って。


「だからミズリィ、終わったら墓参りに行かないか」


 誰の墓とは言われなくとも分かる。

 ポップとフィーネ、二人の墓前を訪れたのは事件の直後だけで、後はそれっきり。ミズルは仇を取るまではここに来るまいと決めていた。

 墓参りに行こうと言うことは、本当に終わらせるということだ。


「……うん」


 応える自分の声音がどこか幼げで、ミズルは心身の疲れを実感する。インヴァットはそれでやっと気が済んだようで、医院を後にした。

 インヴァットを見送ったままその場に立ち尽くし、ミズルは死のイメージに身を委ねる。墓。遠からずサニーも埋葬しなくてはならないのだ。

 あの子を炸裂させることなく、家族の仇を討ち、やがて三人の墓参りをする。それは想像するだに心休まる風景である気がしたが、死の元に成り立っているという点で吐き気がした。最初から、誰も死ななければ良かったのに。


(サニーくん、あなたは死ぬことが怖くないの?)


 あの子はなぜああも大人しいのか。死にたくないと暴れ、そのまま炸裂してしまう人間爆弾は幾らでも見てきた。炸裂させないでくれとは、我が耳を疑ったものだ。爆弾にとっての死とは、炸裂することなく解体されてしまうことなのだから。

 人間爆弾は人としては既に死んでいて、今この世にいるのは幽霊のようなものだと言う。それは法的にも保障され、解体する際に気を楽にしてくれる方便だ。

 だがサニーは、本当に幽霊のようではないか。

 この世に残した未練を晴らして、昇天の時を待っているだけという風の、あの悟ったような感じ。この自分は、あの子を生きた者のように扱っているにも関わらず。


(けど言える訳がないじゃない。人間爆弾に〝生きたくないの?〟なんて!)


 それは〝炸裂しろ〟と言うに等しい。

 人間爆弾とはいわば生ける屍、今はただ爆薬と信管に生かされる存在なのだ。彼らの命はもはや、爆弾としての短い生を意味する。

 自分を落ち着ける時のレッスン、頭の中のルービックキューブを弄り回す。けれど、今はいくらそれをひっくり返しても、ミズルの苛立ちは募るばかりだ。

 やり場のない気持ちの突破口に、一つの名前が浮き上がった。

 クラウディオ。あの男さえいなければ、誰も彼も死なずに済んだ。自分とサニーは出会うことなくこの都市ですれ違っていたかもしれないが、それであの子が生きていられるならどれだけ良かっただろう。


(ああ、クラウディオ、クラウディオ……!)


 あの男だけは許さない。出来るなら殺してしまいたい。その気持ちがまた、ミズルの胸を黒く暗く焦がしていく。



 ミズルが地下に戻ってきた。青白い照明のせいか、どこか死人のような顔色をしている。


「ごめんね、遅くなって。じゃ、寝る前の精密検査やろうか」

「はい」


 上でインヴァットと何を話していたのか、サニーにも想像がついた。クリニックであった出来事を考えると、やはりミズルが傷ついていないはずはないのだ。

 だが彼女はそんな素振りは全く見せず、てきぱきと作業を進めていく。

 診断針を刺して針頭から開く映像を見取り、ペンレントゲンで背や腹を照らして透かし、聴波器(※聴診器型脳波測定器)で信管の様子を確認。慣れた物だ。


「あの~ミズルさん」


 量子顕微鏡で採血サンプルを見る背中に向かって、サニーは切り出した。


「ジランドラさんと親しいんですね」


 別のことを言おうとして、つい話題を逸らしてしまう。これも逃避だ。


「古い知己よ、兄と妹って所かしら。恋人とでも思ってた?」


 ミズルは顕微鏡から目を離さず応えた。声音には笑いを含んだ響きがある。


「いえ、やっぱり兄妹みたいだなって風でしたよ」


 軽いやり取りに勢いを得て、サニーはもっと気になっていたことを問うた。


「ミズルさん。フィーネって、どんな子だったんですか?」

「大人しい子、かなあ」


 即答、そして長い沈黙の隙間風。

 心が寒くなるような時間に、サニーはこれは訊ねるべきではなかったかと迷った。けれど、自分はその子のことを知っておくべきだと気を持ち直す。

 ミズルは顕微鏡を停め、サニーに向き直った。


「……いつもニコニコ笑っていて、でも友達と遊んでいる時も一歩引いている感じだったわ。だけど、人と話すのが苦手とか嫌いって訳じゃなくて、そういうスタイルが性に合ってたのね」


 ミズルの語り出しはごく滑らかだ。

 だが滑らか過ぎて、次から次へと溢れ出す言葉が止め処を失ってしまう。奔流のようなフィーネの思い出に、サニーは必死に耳を傾けた。


「みんなの中に混じって遊ぶより、楽しく遊んでいる所を離れて見ているのが好きなの。そしてそれを絵に描いて、大事な宝物にしてた。そうそう、あの子の絵って評判良くって。友達に頼まれたら、モバスーツの布地にも柄を描いてあげてたのよ。ポップは十歳の誕生日に、子供用のミシンを買おうって言ってた。服飾デザイナーになるのが夢だって言ってたから……」


 そこでミズルは、うっと声を呑んだ。口を押さえ、その手で胸を撫でて、苦しげな様子で息をつく。溺れかけた人間を思わせる仕草だった。


「ねえサニーくん、私のことより、あなたはどうなのよさ」

「えっ」


 唐突に言われて思わず聞き返すと、ミズルは苦笑して首を振った。


「ううん、いいわ。忘れて」


 彼女は答えることも訊くことも拒んだ、固い空気の壁を纏った。サニーはそんな気がする。それに抗おうとは思わず、爆弾にされた少年は黙って検査の続きを受けた。

 ミズルはもしかしたら、訊いてはいけない質問をしようとしたのかもしれない。

 解体屋としては既に道を外れてしまった彼女だが、節度を失っている訳ではなかった。けれどあの問いを発していたら、それさえも失うのだ。

 例えば、死にたくないのか、などと爆弾に訊くとか。

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