§02 歩を止めて、また進むために

 サニーが食事の残りでサンドイッチを作り、インヴァットが茶を入れる間にミズルがシャワーを浴びて、三人は今後の相談を始めた。最初に口を開いたのはミズルだ。


「グレイス家の家電LANは?」

「洗おうにも、データが全消去されてたよ」


 インヴァットは肩をすくめて、チャイをミズルに差し出した。彼女は革ツナギから、シャツとジーンズというラフなスタイルに着替えている。

 この時代、高機能化した家庭用電化製品はAIの搭載が標準となっていた。それら家電AI同士を繋げた、家庭内ローカルエリアネットワークが家電LANだ。

 これにより家電たちはより効率的に家事を進めることが出来、必然的に家電LANにはその家の生活ぶりや個人情報が集積されていく。

 そのため、警察の捜査令状でもなければ、他人の家庭LANの中身などまず覗き見ることは出来ない。解体屋の資格ではまるっきり通用しないのだ。


「何にせよ、テロ屋が氷詰めにするより先に、クラウディオを見つけにゃならん」


 インヴァットは自分用のキャラメルマキアートに口をつけた。サニーには「栄養をつけろ」と自作の野菜ジュースを出しており、中々マメな性分らしい。

 モロヘイヤとセロリたっぷりのそれをすすって、サニーは苦さに顔をしかめた。


「兄さんが簡単にやられるようには思えませんけれど」

「まあ、聞く限りでは連中のブレインだったようだしな」


 インヴァットは警察手帳を兼ねる端末から、テロ屋に関する捜査資料を抜粋して読み上げた。記録によると、ウェザーヘッド・リポートマンは戦時中に誕生している。

 当初は、刑務研究所で献体刑けんたいけいに服している思想犯の釈放を求めてデモをするなど、右翼過激派としてはまっとうな活動をしていたらしい。その後もデモの解散を求めた警察と市街戦を繰り広げ、報復として警察分署やパトカーの爆破、州兵協会に火炎瓶を投げ込むなどの活動を継続。裁判所や銀行を爆破した記録もある。

 しかし十年ほど前から、銀行強盗や営利誘拐など資金繰り活動が目立つようになり、政治的活動は鳴りを潜めた。現在のウェザーヘッドは政治思想を持った右翼集団ではなく、手段と目的が逆転したギャング団でしかない。

 そして、彼らの軍資金獲得を目的とした犯罪の数々を計画したと思われるのが、クラウディオ・グレイスだった。


「こんな物もある」


 インヴァットはサニーらに白い粉末の写真を見せた。

 砂糖のように思えるし、実際ダイエットシュガーらしい。だがその実、ウェザーヘッドがばら撒いた新種の麻薬だというのが、インヴァットの説明だった。


「最初クラウディオに注目したのは麻薬課の連中でな。こいつの製造元として追っていたんだ。このドラッグは副作用として避妊効果があるから、お楽しみの前に飲む奴が多い。十代の若者が常用してりゃ、成人する頃には確実に不妊だ。将来の納税者を刈り取って、未来の薬中予備軍を生産する訳さ。そこで少し前から本格的に取り締まりだした。でようやく、奴とウェザーヘッドに繋がりが見え始めたんだ」

「割と最近だったのねえ」


 ミズルは自分の端末で、インヴァットから送信されたデータを眺めながら言う。サニーは暗澹とした気分を、苦いジュースで飲み下そうと試みた。

 兄はいったいどれだけの犯罪に手を染めてきたのだろう。悪党だという認識はあったが、現実はサニーの考えより遥かに酷かった。誰彼構わず騙して盗んで殺して奪って、そして何一つ省みない。自分は兄のことを、本当は何も知らないのではないか。


「その、兄さんが捕まったら、……やっぱり第一級献体刑ぐらいにはなりますか」

「妥当だな」


 頷くインヴァットの声を耳にしつつ、サニーはちらりと隣のミズルを盗み見た。何ら表情を動かさない横顔。カップに口をつけて、ゆっくりとそれを傾けている。

 兄が受ける裁きに具体的な名前が付く。そう思うと、サニーは視界が暗くなるような悲しさと脱力を感じた。目の前のテーブルに悄然しょうぜんと視線を落とす。

 献体刑とは、人体実験への参加を持って罰とする刑だ。

 その範囲は広く、罰金の代わりに血液や骨髄を採取する程度から、臓器摘出、製薬会社の治験参加など「安全」なものまで様々。

 しかし第一級献体刑ともなれば、死までの長い長いマラソンを意味する。

 昨今では人権団体が反対の声を上げているが、廃止は当分あり得ない。死刑の方がまだ慈悲があるだろう。

 これがミズルと自分の望みのはずだ。兄を殺さず、死よりも重い生き地獄に放り込んで、罪を償わせる。分かっているのに、しかし、という気持ちが湧き上がってくるのが止められない。

 意気消沈としながら、サニーは会話を続けた。


「献体刑って、一級は何をやるんですか」

「茶の最中にする話じゃないな」


 つまりインヴァットに答える気はないらしい。あるいは口にしたくもないほど陰惨なのか。空になったカップを置いて、インヴァットはサニーに向き直った。


「キミはまだ奴に肉親の情があるらしいな?」


 言いつつ、野菜ジュースのグラスに目をつける。


「随分と残っているじゃないか、ちゃんと飲めよ。まあオレは責めるつもりで言っているんじゃない。人間、自分の感情はどうにもならんもんだ。そこの」とミズルを指さす。「の解体屋がいい例さ」


 名指しされた当の彼女は、そ知らぬ顔でチャイを味わっている。今ひとつミズルの考えは分からない、とサニーは眉根を寄せた。

 彼女は自分に親切に接してくれているが、サニーに好感を持つ理由などあるだろうか。本当ならもっと徹底的に道具扱いしてもいいはずなのだ。

 それとも、協力を得やすくするための演技なのかもしれない。ミズルの優しさを疑う訳ではないが、自分は憎まれて当然の立場だということを時々忘れそうになる。


「ところでな爆発太郎。お前は確かテロ屋どもに殴りかかった時、ミズリィと兄貴のことで腹を立てたんだろう?」

「はい」


 この人は今さら何を言うんだろうと思いながら、サニーはインヴァットの言葉を待った。


「じゃあ断言するがな――お前は〝怒りで〟殴ったんじゃない。〝怒りが〟お前に殴らせたんだ。そんなのは、ハン、断固として拒否しろ、少年」


 サニーの背筋が自然と伸びる。こちらを見る眼差しが真摯に思えて、格好付けの訓示を垂れているのではないだろうと思った。怒り。恐らく頭の中の信管が好む物。


「人間は感情に振り回される。だからそいつの使い方を覚え、乗りこなさなきゃならん。冷静になれ、冷たいまま熱くなれ。殴るのが悪いんじゃない、殴らされるのが駄目なんだ。熱い怒りは人を使う、冷たい怒りを使いこなすんだ。クールダウンさ、忘れるなよ」


 そこでインヴァットは、ぽんと親しげにサニーの肩を叩いた。微笑とは言えないまでも、表情を柔らげる。


「引き金を絞るのと同じさ。霜が降りるように、冷たく静かにやるんだ」

冷たく静かクールに、ですか」

「クールダウンだ。覚えておけ」


 やはりインヴァットは、無理して激怒を演出するタイプなのかもしれない。初対面の印象を思い起こして、サニーはこの刑事の人柄を好ましく思った。

 くすりとミズルが笑いを漏らす。


「ほらね、やっぱりスウィートなお兄さんでしょ」

「オレは別にスウィート《おしとやか》じゃないぜ、このじゃじゃ馬め」


 気心の知れた感を漂わせる二人のやり取りを見ながら、サニーは今言われたことを吟味した。インヴァットの言葉に、ミズルの声が重なっていく。

――良かった。グリーンよ。爆弾の赤い目じゃない、グリーン安全


(僕はレッド危険になっちゃいけないんだ、爆弾の赤い目には)


 ロシアンルーレットの拳銃が、ふと自分に握られたリヴォルバーのイメージに変わった。この銃は僕自身だ。一発撃つごとに、自分か、それとも他の誰かが撃たれるかもしれない。

 けれど、これが必要になる時が来る。自分は少しだけ、それをコントロールするすべを身に付け出られるかもしれない、サニーはそう考えることにした。

 それは再びあの危険な賭けに出ることを、良しとするということだ。もちろん、積極的にやりたいなどとはサニーも思わない。

 だがまた同じ状況に陥って、他に手段がなかったならば。その時のために、自分が炸裂しないよう心得るぐらいはしておくべきだろう。

 それからしばらくして、インヴァットは署に連絡を入れた。正式に有休を申請し、幾つかの情報を同僚から仕入れる。それでようやく、三人の方針が纏まった。


「デボルデ・クリニックのテロ屋は、市営病院に収容されたらしい。オレは話が出来そうなら、一応奴の尋問をして、その後署の方でクラウディオについて情報がないか漁ってみる。その間、ミズリィ。キミはこの爆発太郎の精密検査だ。

 そいつが終わったらたっぷり体を休めて、いいか、二人ともオレが戻るまでどこにも行くなよ。そいつを反故にされたら、オレは即座に休暇を返上する」


 ミズルもサニーも、それに逆らう理由はなかった。二人とも疲れているのだ。インヴァットは明日の午前中にならないと戻れないらしいので、今夜はもう検査して寝てしまうしかない。


「じゃサニーくん、これ」


 ミズルが渡したのは睡眠導入剤だった。頭脳信管は人間爆弾が眠っている間も炸裂欲求を煽り続ける。幾度も夜を越える爆弾などそう多くはないが、理性が緩んだ睡眠中に〝寝ぼけ誤爆〟した例は幾つかあった。

 だからサニーは、夢も見ない眠りを取らなくてはならない。そして枕を置くのは、三重の隔壁に守られた地下の処置室モルグだ。

 まるで埋葬される気分――そもそも自分は法的には故人だったが。

 地下へのエレベーターが開くと、ミズルに「先行ってて」と促された。インヴァットを見送るようだが、どうも二人きりになりたいらしいと察して、サニーは一人で処置室へ降りた。


(そのうちどっちかに、二人がどんな関係か訊いてみようかな)


 そんな考えがあまりに平穏過ぎて、サニーは額を押さえた。

 自分は意外とのん気なのか、余裕があるのか。あるいはただの、現実逃避なのだろうか。自分の内にも外にも、怖いものや痛いものが多すぎるから。

 サニーはすがるようにピルケースを握り締めた。必死になってその中身をあおり、噛み砕き、嚥下する。頭蓋の内側で己を見つめている信管が、鈍化剤によって眠りに就くことを祈って。

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