Chapter04 爆弾、死すべし

原稿用紙約45枚

§01 女神よ、しばしの暇を請う

 ミズルの自宅では、インヴァットがジェットエンジンを連想させる表情で待ち構えていた。猛烈に回転しながら炎を噴き出しつつ、しかしそれが激しすぎて静止しているような、一周回ってまったく冷静な顔。地獄の門番に通じる趣きさえある。

 サニーは背骨が縮まる思いだったが、ミズルはしれっとした態度だった。テーブルを挟んでインヴァットと向かい合うが、誰も腰を下ろそうとはしない。


「ミズリィ。オレが爆弾にされた子供をキミの所に持ち込みたくなかったのは、こういう事態が起こることを恐れていたからだ。キミは何か手がかりを掴んだら、きっと前みたいにぶっ飛んで行くに違いないってね」


 インヴァットはごく物静かに話し始めた。理性的で苛立ちなどまったく感じさせないが、触れればバラバラにされてしまいそうな声音。まるで消音された回転鋸だ。


「人間爆弾を利用し、クラウディオ・グレイスを首尾良く捕らえたとして、その後キミの生活はどうなるんだ? まずボムドクターの資格は剥奪されるぞ。カウンセリングも受けなきゃならんし、医院だって閉めにゃならなくなる。確実にだ」

「今やめれば、無かったことにでもしてくれるって言うの?」


 臆面もなく言い返したミズルに、インヴァットは黙り込んだ。

 恐らくこの刑事の正義感は、その種の便宜は許せないだろう。ミズルもそんなことは期待していないようだった。


「どうせ結果が同じなら、私は最後までやり遂げるだけだわよ」

「同じじゃない。ああ、同じなものか。よりでかく、より悪く、キミの罪は重くなるかもしれんのだ。特に、その坊やが炸裂した暁にはますますもってな」


 サニーはつい小さくなった。今しがたそうなりかけた身には、何とも耳が痛い言葉だ。ピルケースの中身が欲しくなる。それでもミズルは涼しい顔で答えた。


「大丈夫よ。最悪の場合でも、一緒に死ぬのは私だけで済むから」


 サニーが仰天していると、インヴァットはにっこり、というか「ごとり」と笑って手を差し出した。


「お嬢さん、お手をどうぞ。何、すぐそこですから」

「手錠をかけてエスコート?」

「分かっているじゃないか。自分がそうされるだけのことをしているって!」


 ばん、とインヴァットは両掌でテーブルを打った。


「で、でもまだ逮捕するって決まったんじゃないんですよね?」


 慌てて割り込んだサニーに、インヴァットはにべもない。


「黙れ名無しの爆発太郎ジョン=ドゥ・ザ・ボンバー。許可無くしゃべるな火薬ドタマ。オレは今、愛する正義の女神に対する重篤な背信行為に苦悩している。アーメン、我が魂」そこでインヴァットはサニーに矛先を変えた。獲物を狙うハンターの眼で射すくめる。「いいか、キミがそのへんのカフェで一杯茶を飲む、それだけでテロ行為同然だ。分かっているんだろうな? この導火線付きが!

 分かったらとっとと、今日あったことを洗いざらい話してもらおうかっ」


 サニーとミズルはそれに応じ、交互に説明した。

 インヴァットは、二人がグレイス邸やデボルデ・クリニックに向かった所までは落ち着いて聞いた。が、その先からは明らかに機嫌が下り坂に落ちていく。オルキスらと出くわした辺りで歯軋りし、ミズルがそれを相手に大立ち回りを演じると苦虫を噛み潰した顔になり、彼女が捕まって暴行を働かれた件になると、亀裂のような青筋を立てた。

 そしてサニーが反撃に転じ、結果として炸裂しそうになりつつもミズルがそれを止めて、どうにか生き延びたのだ、と締めくくると、ついにインヴァットは憤激した。


「ハレルヤ! キミらはどうしても、オレの脳天に核弾頭を落としたいらしいな!?」


 万歳――おお神よ、のポーズ。


「いいかっ、オレの頭には今、疑問符と感嘆符と罰点が散弾のように詰まっている。一言で表わすならこうだ、何でそんな真似をしやがった、この疫病神ども!!」

「そうするしかなかったのよ」


 堅く冷たい声で、ミズルは言い切った。同じ言葉を繰り返す。そうするしかなかった。見つめ合うインヴァットとミズルの間で、サニーには窺い知れぬ無言のやり取りが流れる。


「じゃあ、訊くんだがな。他の選択肢を選ぶ気は、ハナッから無かったんだな?」


 自分の確認にミズルが頷くのを見て、インヴァットの息が苦しげな色を帯びた。


「なぜ、逃げようとしなかった。……キミは逃げても良かったんだ。過去から、目の前の出来事から、自分自身からさえも。少なくともそうすることが必要だったと、オレには思える」


 うなだれたインヴァットの声は、哀訴の響きで室内を打った。


「どうして逃げてくれないんだ、ミズリィ……」


 その言葉の中に、サニーは別の声を聞いた。〝お前のせいだ〟。それはオルキスらテロ屋どもの声にも、キャスリーンの声にも、あるいはクラウドの声にも思えた。

 だが、今はインヴァットの内なる声として聞こえる。

 お前とお前の兄さえミズルに目を付け、その人生に関わりさえしなければ、こんなことにはならなかったのだ──と。

 サニーがこの場に居なければ、刑事は彼女を抱きしめて、泣きながら『もうこんなことはやめてくれ』と懇願しているのかもしれない。

 自分はこの場に居ない方が良い。サニーは突き刺さるような痛切さで、そう思った。自分が居ても良い場所などない。消滅こそが、人間爆弾に望まれる唯一のことなのだ。それでもまだ、ここに留まりたくて、サニーは口を開いた。


「す、すみま」

「謝るなっ!」


 銃撃のようなインヴァットの一喝。完璧なカウンターだった。


「すみませんでしたとか申し訳ありませんだとか口にしようもんなら、とっとと解体されて墓穴に入っちまえ。いいか、この前は開いている解体屋がなかったが今は違うんだ。オレはキミを他のドクターに任せることも出来るし、本来今すぐそうしてやるべきだ。そいつが嫌なら少しでも、お前の兄貴に関わることを思い出すんだな。手がかりを見つけろ、クラウディオが行きそうな場所、やりそうなことを推測しろ!」


 話の途中からサニーは首を傾げ、ちらとミズルを見た。軽く肩をすくめて返事。何だかこれでは、インヴァットがミズルの行為を認めようとしているみたいだ。


「刑事さん」

「オレは今からおまわりじゃない、刑事と呼ぶな」

「えっ?」


 インヴァットはシャンパンゴールドの髪に手を入れ、ぴっちり撫でつけられた髪型をかき崩した。新手のオールバックになって天を仰ぐ。


「おお、法と秩序と警察の神、正義の女神よ。我が違法捜査を許したまえ。ただしこちとら休暇中なので、どうぞご酌量を!」

「あら、有休なんていつ取ったの」からかうようなミズルの声。

「言ってないのに有休と決めつけないでくれないか。確かに三日の有休予定だがな。そして七十二時間後、オレは職場に復帰する、警察官としての職務を果たす。

 その時まだこのクソ忌々しい間抜け野郎ブービーマンが、兄貴への手がかり一つ見つけ出せていないようなら、即刻バラバラに解体してもらうという訳だ」


 ミズルはインヴァットを指さした。茶目っ気と意地悪さで割った微笑。


「サニーくん、この人って口が悪いけど、本当は情に脆くて正義感が強いとってもスウィートおひとよしなお兄さんなのよん。だからこういう時、胸の奥じゃ心臓が自己嫌悪で七転八倒しているの。可哀想に、お酒が入ると滝みたいに泣き出すんだわさ」

「は、はあ」


 どう返事したものかと困りながら、サニーはインヴァットを観察した。休業中の刑事は諦めたように腕を組み、これみよがしに盛大な溜め息をついている。

 この人は最初から、ミズルを止めたり逮捕したりするためではなく、自分に出来る範囲で協力するために来たのかもしれない。

 だが約束の期限が過ぎたなら、本当にサニーを解体させるし、ミズルの逮捕も実行に移すのだろう。サニーの視線に気付き、こちらを見るインヴァットの瞳で確信した。凛然とした眼差しが、無言で己の決意を告げると同時に、サニー自身にも問うている。お前は途中で逃げ出さないか? 約束をきちんと守り通す気があるか?


「あの、いいですか」


 許可無くしゃべるなと言われたので、サニーはインヴァットに発言権を求めた。


「何だ」

「ジランドラさん、僕はミズルさんに、僕自身を絶対に炸裂させないよう頼みました。だから僕の命はミズルさんの物ですし、いつでも解体してもらって構いません。その代わり、僕に出来ることは何でもします。でも、僕は仕返しをしようとか、そんなことがしたい訳じゃありません。会って話を聞きたいなってのはありますけれど。兄さんを見つけたら、あなたにお渡しして、ちゃんと法の裁きを受けてもらいたい」

「一人前のような口をきくじゃないか、え? 名無しの爆発太郎」


 ずい、とインヴァットは詰め寄った。遥か頭上から金属質の碧眼で見下ろし、露骨なプレッシャーをかけてくる。だが改めて見れば、体格に似合わない柔らかな顔立ちだった。


「逆に言えば、キミが炸裂するもしないも彼女の匙加減一つだな? 解体屋にそんなことをしてもらっちゃあCPPDの名折れなんだがね」


 サニーは先ほどの〝危険な賭け〟を思い出して、心臓がぎゅっと縮まった。アイスブルーの瞳に全てを見透かされている気分。


「まあいい、オレも今はその看板を降ろしている。多少なりとも根性はあるらしいが、そいつが上辺だけのファッションじゃないことを願うぜ。なあ、爆発太郎」

「……あのう、その変な名前はやめて欲しいんですけれど」

「サニージーン・グレイスは死んだ。死者の名前をオレが呼ぶ謂れはない」


 むっとするやら、しょんぼりするやら。

 そんなサニーの肩を、ミズルがぽんと叩く。


「ちゃんとした名前で呼んだら情が移っちゃうもんね? ヴァッティお兄ちゃん」

「ああなんだ、オレの敵はこの半径二メートル以内にいる気がするな」


 インヴァットは忌々しげにタバコを取り出し、ぎりぎりと吸い口を噛んだ。

 サニーはそれを見ながら、この二人はどんな関係なのかと首を傾げる。単なる刑事と解体屋ではなさそうだが、男女の関係とも異なる気がした。

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