§03 踏み入れた、二人

 二人が目的の場所に着いた頃には、太陽灯がゆるやかに弱まり、青空のホログラムが赤へと変わっていた。季節に合わせて日が落ちるのを早くしてある。


「ここがデボルデ・クリニックね?」

「そうです。僕がここを出た時は、一台だけ車があったんですけど」


 サニーが観察した所、駐車場は空になっていた。外からの印象ではまったく無人だ。もうよく覚えてないのだが、小さい頃のサニーはなぜか生傷が絶えなかった。兄がいつも手当てしてくれたものだが、それが追いつかなくなると、ここの世話になったものだ。お医者横町とは違って、この辺では唯一の医療施設がここだった。


(そういえば、父さんや母さんに連れてきてもらったことはないなあ)


 過去を思い返して、ふとそんなことに気付く。両親自体の記憶が希薄だから、実際はどうとは知れないが。兄は何でも人に先んじて物事を片づけてしまうのだ、両親が安心して幼いサニーを任せきりにしていたというのもありうる。


「ふむ」


 ミズルはバイクのサイドカウルに手を入れた。収納スペースから取り出したのは、一挺の拳銃だ。躊躇無く安全装置を解除した。

 サニーは慌てて誰かに見つからないかと周囲を見回したが、ミズルは長い髪をひるがえしてクリニックの方へ歩いていく。幸い、周りに人通りはなかった。


「ミ、ミズルさん」

「ごめんね、これ一つしかなくてさ。念のため、警戒するに越したことはないわ」

「そうでしょうけれど……」


 自分には彼女ほど荒事に対する覚悟はないようだ、とサニーは認めた。

 ミズルが手にした拳銃をしげしげと見るが、分かったのはマッセナが使わせられたそれとは違うな、くらいのものだ。口径だの照準だのは彼の埒外だった。

 それを頼もしく思うべきなのかもしれないが、今はびっくりするばかりだ。サニーはピルケースの中身をあおりながら、ミズルに続いて玄関をくぐった。


「何か変わったことはない?」

 あらん限りの細心さでサニーは辺りを観察したが、これといった物は見つからなかった。


「いえ、特には……。僕がいた時、ここには兄や爆弾含めて数人しかいなかったと思います。こんなに静かだし、誰もいないのかも。試しに二手に別れてみませんか?」

「まだ入ったばかりでしょ、早急な判断は危険禁物。……まあ実際に彼らに出くわして、これ一挺で対処出来るか危うい所だけどね。でも、どっちみち単独行動は論外」


 解体屋というものは結構、修羅場をくぐるものなのかもしれない。サニーは素直にミズルの言葉に従うことにした。

 外の日が落ちて、照明のない廊下はますます見えづらい。サニーとミズルはそれぞれの袖口を操作して、手元から明かりを灯した。

 夜の廃病院、いかにもお化けが出そうなシチュエーションだが、それを口にするのは憚られた。それ以上に、出直しましょうよという提案を堪えなくてはならない。

 自分たちには時間がないのだ。グレイス邸へ入るための申請に、いつあの刑事が気付くとも限らない。でなくとも、サニーは何かの拍子に爆発しかねない不発弾だ。

 時間の価値を金銭に例えることの愚かさが、今や身に染みていた。

 時こそが命なのだ。それが尽きれば何もどうしようもない。有限の中で最善を尽くさねばならないのだ。

 しかし一階では、人間爆弾の製造をしていたと分かる以上のものはなかった。


「オーケイ、ここはいいわ。二階へ行くわよ」


 ミズルは全身に緊張としなやかさを漲らせて、階段を登っていった。

 サニーは場慣れした動きに舌を巻きながら、それを追う。逃げる猫を捕まえようとする気分だった。華麗に波打つ髪が、サニーの目の前で尻尾のように踊る。

 踊り場は夜間の太陽灯が作る月明かりに満ち、それにさっと照らされたミズルの横顔がひどく凛々しい。すると彼女の物騒な行動が頼もしく思えて、いもしないお化けを怖がるサニーの心を、急にしたたかな物にしてくれた。

 二階は少数ながら入院患者のためのスペースで、より一層の気味悪さを漂わせている。しかし、それは最早サニーの恐怖を煽る物ではない。

 代わって其処此処の闇に、敵となる者がいるもしれない、という現実的な不安があった。


「人の声がする」


 彼女の囁きに、喉元で心臓が脈打った気がした。そのせいか、しゃっくりのような声が出かける。冷や冷やしながらそれを抑え、サニーは耳を澄ました。

 ……何も聞こえない。


「突き当たりの部屋から……」


 ミズルが示したのは院長室だった。もう一度集中するが、自身の血流が無意味な雑音になるばかりで、サニーは意味のある情報を聞き取れない。

 ミズルは足音を消して、滑るように廊下を進んで行く。いつ撃たれてもいいよう物陰を利用し、周囲に警戒を怠らない。それが一層サニーの緊張感を募らせる。

 院長室の扉が開いた。部屋の明かりが点いて人影を浮かび上がらせる。


「サニー、分かってんだぜ遅漏野郎! 用があるなら堂々とこっちに来な」

「オルキスさん……」


 闇夜にも黒く濃い肌と、ドレッドヘアが特徴的ですぐ見当がついた。ウェザーヘッドの一人だとミズルに説明し、どうしたものかと思案する。


「外には車も無かったのに」

「地下(駐車場)があんだよ」


 オルキスはサニーの独り言を拾った。なるほどと、しまった、という思いが交差してサニーの眉間にシワを刻む。

 ミズルは素早い眼球の動きで、辺りを観察しようとしているようだ。


「来ねえなら、無理にでも来てもらうぜ」


 ミズルが両手で銃を構えたが、二人のすぐ傍で壁が爆ぜた。火花と壁の破片から逃げようと身をよじり、サニーは背後を見る。病室のドアから銃口が覗いていた。


「そうら、警告一、だぜい。不発弾ゾンビのてめえはともかく、そっちの姉ちゃんは生身なんだろう? ま、茶でも飲んでゆっくり話をしようや」

「お断りだわよ」


 ミズルは振り返りもせず背後を撃った。片手撃ちだというのに、正確に襲撃者の手から銃を叩き落とす。サニーが呆気にとられていると、そのまま疾走を始めた。慌てて付いて行くと、短機関銃を抱えたオルキスが誤射を恐れてか躊躇した。

 自分が前に出て盾になった方が、連中はミズルを撃てなくていいかもしれない。サニーがそう考えた途端、オルキスは発砲していた。

 革ツナギの上で火花が弾けるが、ミズルは撃ち返しながら突撃する。顔面は駆け出した時に、展開したヘルメットで覆われていた。


「ミズルさん!」


 弾丸を浴びながら突っ込む彼女に声をかけるが、まるで聞こえていないようだった。仕方なく自分もそれに続くと、部屋にはオルキスの他にもう二人男がいる。


「言われた通り、堂々と来たけど?」


 片袖をナイフに変形させながらミズルは告げる。モバイル・スーツの違法改造による武装だ。


「イカれてやがる」


 テロ屋の一人にサニーもまったく同意だった。ミズルの革ツナギは、所々が灰色に硬化し、弾痕を残している。これが銃撃を防いでいたらしい。

 院長室には酒瓶が持ち込まれていた。ウォッカらしきそれを一口あおり、オルキスは短機関銃をミズルに向ける。自らが主導権を握ろうとするような詰問口調。


「姉ちゃんよ、このサニー坊やとはどんな関係だい?」

「解体屋だわさ。この子が市警から回されてきてね」


 当たり前だが、テロ屋の一同はその返答に仰天した。


「おいおい、その解体屋がなんでまた爆弾と一緒にいんだ」

「あんたらの所のクラウディオ・グレイスをとっ捕まえてやりたくて」


 ミズルはスリーブそでナイフと拳銃を、それぞれに構えた。


「奴の居場所を答えなさいな」


 無光沢の素材で出来たヘルメットが、光を吸うように暗く、彼女の表情を隠す。その不気味な威圧感は、サニーに料理を振る舞ったミズルとはまるで別人だ。


「知るかよ」


 ぺっとオルキスは唾を床に吐き捨てた。


「あのイ■ポ野郎、男にも女にも勃ちゃしねえと思ったら……あんな恥毛も揃わねえガキ連れて行方くらましやがった。金庫の軍資金持ち逃げしてなあ!」

「も、持ち逃げ……!?」


 唖然──愕然。サニーは信じられない思いで、オルキスの言葉を反芻した。

 マッセナは資金の一部をネコババしたことで、私刑にかけられることになったのだ。だというのに、あの処刑を提案した兄がそんなことをしていたとは。

 銃を構えていた別の男が、オルキスの言葉を継いだ。


「おぉよ。ここは弟のテメェに落とし前つけてもらうのがスジってもんだが、炸裂しそこなった人間爆弾たぁな。兄弟そろってロクでもねぇぜ。あぁ~ったく、お前らには参るよ」


 輪のように嘲笑が広がった。武器を構えたミズルへの侮りと、サニーへの嘲り。二人とも、如何ほどの物でもないと見ているのだ。ただの粋がった女と、湿気った火薬の不発弾と。


「ちょっと待ってください、兄さんが連れて行ったガキって誰なんです? まさか、キャスのことですか!?」

「他に誰がいるってんだよ、この屁喰らい野郎め!」


 オルキスの銃口がサニーに向いた時、ミズルが動いた。放たれた矢の動きで、傍に居た一人の首を撫でる。血と力を失って崩れ落ちるそれを見もせず、とどめの銃弾を片手で放った。長い髪さえも武器にして、弓なりにしなったそれでオルキスの横っ面を張る。髪を揮った首の動作のまま、方向転換。二人目のどてっ腹に至近距離で三連射、弾の尽きたそれを復活しかけたオルキスの顔面に投げて寄こす。

 ぎゃん、と叱られた犬のような声をあげて、その鼻がひしゃげた。刃物の煌めきを持ってオルキスに迫るミズルを、背面からの衝撃が阻んだ。背中が硬化し、被弾を告げる。病室に居た残り一人が、銃を拾って反撃に出たのだ。

 サニーも落ちている拳銃を手に取ったが、安全装置が暗証番号を訊いてくるので捨てた。意外にちゃんとした品を使っている。

 はたと、今のを投げるか殴るかして使えば良かったのではないかと思ったが、その時には最後の一人が室内にまで踏み込んでいた。幾ら防弾仕様でも、体にダメージは蓄積されるのだろう。動きが鈍っていたミズルの髪を掴んで、その首に銃口を突きつける。


「はぁ~ッ、コラなめた真似しよんのォ?」

「よくやった、スローン!」


 オルキスがガッツポーズで、ミズルを捕えた巨漢を褒めちぎった。どかっと机に腰かけ、置いてあった酒瓶の中身をぐびぐびあおる。そして院長室に入ってきたもう一人に、倒れた連中の手当てを、巨漢にサニーとミズルの身体検査を命じた。


「まだ残っていたのねぇ」


 そのことを見抜けなかったことを悔しがるように、ミズルが唇を噛んだ。サニーはサニーで、彼女が戦っているのに突っ立っているだけの、己の間抜けさが情けない。全てが一瞬の出来事で、何が起こっているのか把握することすら一苦労だったのだ。

 巨漢はサニーに持っている物を全て出すように命じると、自分はミズルの革ツナギを調べ始めた。袖口などモバイル・スーツの機能を司る部分を探し、武装を解除していく。ミズルがの持ち物は、座るオルキスのすぐ横に纏めて置かれた。


「おい爆弾野郎、てめえは窓の方へ行ってな。そこから一歩も動くんじゃねいぞ」


 オルキスの言うがまま、サニーは部屋の隅に行って立った。倒された仲間の様子を見終わった男が、彼女の頭に銃を突き付ける。もちろん身を守るヘルメットはない。

 彼らは爆弾サニーを撃てないが、サニーが動けばこの女を撃つぞ、ということだ。ミズルの武器を全て取り上げてなお、身体検査は続いていた。既に目的が切り替わっている。


「五年前誘拐されてきた、フィーネ・オルブライト。いましたよね?」


 せめてもの抵抗にサニーは問うた。


「兄さんがあの子を誘拐して、身代金に人間爆弾の製法を要求した。そして、オルブライト教授とフィーネを殺した。そうなんですか?」

「おうともよ」


 存外あっさりとオルキスは答え、サニーの〝ひょっとしたら〟という希望を打ち砕いた。


「あの教授は当時有名人でな、大学で人間爆弾の解体講座をやるってんで注目されていたんだよ。で、クラウドの野郎はそれに興味を持って調べた。

――したらドンピシャリ、間違いなくあの教授は人間爆弾の造り方を知っている。レシピを請わねえ手はないってな」


 オルキスがとくとくと解説する一方、ミズルの体を弄ぶ試みに、もう一人も加わった。ツナギのホックを下ろされ、アンダーウェアの上下から胸をこねくり回されながら、彼女の表情には何の緊張も恥じらいもない。だがサニーは気が気ではなかった。


「ミズルさん!」


 クックック、と笑ったのは、オルキスではなくミズルだった。


「まるでハイエナだわね、クラウドって奴は」


 一人が、ミズルの背中から外したブラジャーを取り出し、捨てる。モバイル・スーツの脱衣モードを使えばすぐさま裸にも出来るのに、テロ屋の男たちはあえてそうしなかった。だが、あくまで彼女の声音は平坦なまま。


「サニーくんには悪いけど。その人喰いを、あんたらはずっと飼っていたって訳?」


 不意に、サニーはこの男たちよりもミズルの方が怖くなってきた。なぜミズルはそこまで、女としての辱めを無視できるのだろう。復讐するためならば、どんな恐怖も屈辱も甘んじて受けるというのか。だとしたら、その心はあまりに底知れない。


「あいつは鼻がきく」とオルキス。

「何かとすぐ儲け話を見つけてきちゃ、新しい商売を始めて当たりを出すからな。人間爆弾を俺たちのグループが造れるようになるかもしれん、ってのも、またでかい商売ビズだったってことよ。クラウド様様だったな、昔はよ」


 そこでオルキスは、クックック、と先ほどミズルがやった笑い方を真似た。


「長年真面目にやって来たんだがな。レイモンの野郎も金の卵だとかって随分お気に入りだったもんだがよ、最後の最後で裏切りやがって」


 そこでサニーの忍耐が限界に達した。

 これ以上こいつらの口から兄のことを聞くのも、ミズルをいいようにされるのも、決して絶対に心の底からまっぴらごめんだった。


「黙れ!」


 思わず一歩踏み出していたサニーに、オルキスは素早く銃を向けた。


「そこから動くんじゃねえ! つったろうが! この姉ちゃんの足にトンネルを掘っても、俺たちがヤることヤるにゃ問題ないんだぜ?」

「別に手足の二本や三本惜しくないわよ」


 やれやれと言わんばかりの調子でミズルは微笑んだ。サニーが目を剥いて彼女の顔を凝視すると、ぱちりとウィンク。心臓をノックされたような気分だ。


「私の足やらその上やらに開通されても、あの男を追い詰められるなら何でもない。本当に痛いものなんて、私には何一つないのよ。だからサニーくん、私は大丈夫」


 ミズルが言わんとすることを理解して、サニーはすとんと覚悟が決まった。

 天啓が閃いたような心の変化に自分でも驚く。臓腑から引き締まるような決意に、サニーはファイティング・ポーズを取った。

 何度となく練習してきた、ガエタノと同じ構えだ。


(こいつらは、爆弾の僕を撃てない)


──だろうな。ま、分かってて動ける度胸がてめえにあれば別だが。


(度胸なら、あるさ)


 殴った拍子に自分が炸裂するかもしれない、という考えはこの際無視した。明らかにテロ屋どもがひるんだが、その一人がミズルの腕を捕らえてサニーの視界に入る。

 ミズルの口に銃が突き込まれたが、彼女の眼は強い光でサニーを見ていた。踊り場で見たのと同じ、そして更に美しくなった凛々しさに後押しされる。

 言葉をなさない叫びをあげてサニーは突撃した。

 脳裏で何百回と無くガエタノのフォームを再生し、強く強く拳を握り締める。

 殴るのはサンドバッグでも弱い自分でもない。

 ただ腹立たしかった、奴らが並べる兄の評も、ミズルへの暴挙も、その存在の全てが。だから、こいつらに一発ぶちかましてやるのだ。

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