§02 踏み出していく、二人
サニーとミズルは手始めに、グレイス家を訪れることにした。もちろん、爆弾に公共交通機関を利用させるほど、二人とも傍若無人ではない。
ミズルは『隼』という漢字がペイントされたバイクを出してきた。ファルコンの名を持つそれにタンデムし、ウォーラム街からブロード街を目指す。
本来、グレイス家の警備システムは、家人であるサニーを認識すれば玄関の施錠を解除してくれる。だが今現在、システムは市警の管理下に入っていた。
これでは家の中に入れない。ここで役立つのが、解体屋の資格だ。
「とりあえず、私が一人で行ってくるわ」
ミズルが人間爆弾の解体や分析に必要だと理屈をつけて申請すると、封鎖を越えてラブレス家に踏み入る許可が出された。
「よろしくお願いします」とサニー。
後は自分がミズルと連絡を取って、家の中をナビゲートするだけである。
前髪が無くなってスッキリした視界で見る外は、改めて新鮮だった。長い後ろ髪は、ミズルに手間を取らせるのが悪い気がして、うなじで纏めるに留めている。
(小さい頃は、よく兄さんが髪を切ってくれったっけ)
そんな思い出がふと脳裏をよぎる。停車したバイクの傍ら、ヘルメットを抱えてサニーは彼女を見送った。黒い革ツナギ姿なので、ボディーラインがくっきりしている。ことに、美しく切れ上がった尻の形は格別な物だ。
……それにしても、後部座席に乗ってミズルの体に密着する体験は、何とも心臓に悪かったが。あの体勢のままでは鈍化剤を飲むことも出来ない。
心を落ち着けようと深呼吸すれば、却って髪の香りをたっぷり味わったりして、すっかりへとへとになってしまった。
もっともミズルお姉さんは、ブレザーが似合う少年の思春期には頓着していないのだが。今はただ、グレイス家の玄関口で感慨に耽るばかり。
憎き仇の実家にして、ウェザーヘッドどもの元ねぐら。一歩踏み込めば、室内には冷却ガスの痕跡が色濃く残っていた。
『連中はよくリビングに集まって過ごしていました』
「みたいだわね」
電話口の囁きを自分の目で確認する。分解された銃だのドラッグだのといった品々は警察が押収していったようだが、整備油の染みや壁の弾痕が未だ残されていた。
――五年前、フィーネがここにいたのだ。
「サニーくん、地下室とかある?」
『あ、はい。えーと、台所の方に入り口があります』
早速降りてみたが、どこの家庭にもありそうなガラクタと保存食があるばかりで、大して見るべき物はなかった。あったとしても、やはり押収済みということなのか。
ミズルは一階を歩き回って家探ししたが、結果はどれも空振りだった。
「二階へ行くわ。クラウディオの部屋は?」
『あがって一番奥です』
ミズルはまずそこへ直行した。自分の眼がきりきりと尖っていくのが分かる。心がそれだけ刺々しくなる。こんな顔をあの子に見られなくて良かった、そう考えてほっとする自分がミズルには意外だった。
クラウディオの部屋は雑然としていて、クローゼットや机をひっくり返され、物盗りにあったような有り様だった。大慌てで荷造りしたのが丸わかりだ。
パソコンが放置されていたが、電源を入れてもまともに起動しなかった。何かのプログラムを流して完膚無きまでにぶっ壊してある。
薬品棚があったが、それも空になっていた。
引き出しの一つ一つ、ベッドの下、本棚の裏。山と積み重なった機械部品や実験器具の数々を、ミズルはそれこそ草の根を裂くような執拗さで精査して回った。瞳が針のように細く絞られ、顕微鏡でクラウディオを見つけ出そうとしている気分だ。
ない。ない。いない、ここにあの男はいない。手がかりが何もない。
『……ミズルさん、どうですか』
冷え冷えとした焦燥からミズルを引き戻したのは、サニーの心配そうな声だった。
「ダメね。まるで無関係の家へ空き巣に入ったみたいだわよ」
存外穏やかな返事をした自分に、ミズルはどこか安心を覚える。オーケイ、自分は復讐心に駆られすぎて、何もかも見失っちゃいないのよ、と。
インヴァットに言わせればまるで違ったろうが、本当に自分が見境を無くしたら、こんな物ではないのだ。ミズルは諦めてクラウディオの部屋を出た。
ふと自分が素通りした一室に注意を向ける。
「あっちはサニーくんの部屋?」肯定の返事。「じゃ、何か持ち出したい私物とかない?」
電話口が戸惑ったような声を漏らした。
『そんなことしてて、いいんですか』
「何を遠慮してるの。せっかくだから、も少しオマケを二つ三つ付け足したって構やしないわよん。部屋を見られるのが恥ずかしいなら、別にいいけど」
『あ、いえ。それじゃあ、スクラップブックをお願いします』
サニーの部屋は兄と対照的に、整然と片付いていた。軟禁の事実など知らなければ、勉学に励む真面目な学生といった印象だ。後はボクシングが趣味、ぐらいか。
ミズルはボクシングのみならずスポーツ全般には疎い。だから壁のポスターを見ても誰やらさっぱり分からなかった。サニーが言ったスクラップブックというのは、ポスターの主に関する記事を集めたデータカードのファイルだ。
「ポスターとか持って行かなくていいの?」
『スクラップブックにカードのやつが入ってるからいいです』
そう、とミズルは相手に見えもしないのに、にっこりと笑った。結局、ここの収穫は以上か。グレイス邸を出ると、市警に退出の報告を入れて事を終える。
バイクの所まで戻ってくると、サニーが明らかに大喜びでスクラップブックを受け取った。フリックで次々とページを送り、中身を確認する様が微笑ましい。
焦らずに行こう、そんな考えがふとミズルの脳裏をよぎった。出来るならサニーの解体などしたくない。したくないが、爆弾である以上自分はいつかそれをやるだろう。そこまで己を見失ってはいない。何よりサニー自身に炸裂させないと約束した。
ただ、少しだけ、こんな平凡な安らぎが続いたらと。
ほんの少しだけ、思ってしまった。
「あ、そうだ。ミズルさん、もう一つ近所の廃医院に行きましょう!」
スクラップブックを後部座席のボックスに片づけつつ、サニーが提案した。
「デボルデ・クリニックって言って、小さい頃は僕ら兄弟がよくお世話になった所です。院長のおじいさんが死んじゃってから、兄さんが機材とか持ちこんでラボにしてました。僕が眼を覚ましたのもあそこです。
……多分、人間爆弾の手術をやっていたんですよ」
「なるほど? どうりで家に処置出来る部屋がなかった訳だわ」
ミズルは首元に収納したヘルメットを展開させ、バイクに跨った。サニーが腰に腕を回して、きっちりしがみつくのを確認してエンジンを入れる。
うんともすんとも言わない。
「……あらっ?」
何度か試して見たが同じだった。突発的な故障らしい。
「ああもう! こんな時に!」
「ついてないなあ……」
ミズルは座席の下から工具を取り出して処置を始めた。とりあえず、どこが悪いのか調べるが、整備は解体ほどに得意ではない。というか分野が違う。
サニーも手伝ったが、整備知識に関してはまったくのどっこいで、つまりお手上げだった。仕方がないので、電話番号検索で最寄りの整備工場に連絡を入れる。
「ちぃーッス、アビレス自工です」
十数分して、筋骨たくましい青年が来てくれた。さっとバイクの状態を見て取ると、てきぱき作業を進める。サニーはその横顔をしげしげと眺めると、不意に相手の帽子を奪った。
まさか、そんな失礼なことをする子とは思ってもみなかったミズルだが、サニーはといえば整備工の顔に心当たりがあるようだった。
「やっぱり! ガエタノさん!」
「え?」
ミズルはびっくりしている若い整備工の顔を観察した。
すすけた灰色の髪に、地下都市の住民らしくない、よく日に焼けた肌。引き締まって精悍な顔立ちに見覚えがあった。
「ああ、部屋にあったポスターの人ね」
間を置いてミズルは合点がいった。ボクサーがボクシングだけで食べていくのは、とても大変なことだ。サニーは黄色いトーンの声ではしゃぐ。
「でもガエタノさん、バーのバイトと掛け持ちなんですか?」
ガエタノと呼ばれたボクサーは苦笑いした。快活でタフな表情。
「店のマスターが夜逃げしちまってな。まあジムからも近いし、いいバイトだよ。しっかし」
ガエタノはいきなりサニーの首をホールドした。がっちり捕まえて髪をかき乱す。
「俺も最初は気付かなかったぞサニー坊や! 何だよもう、めっきりジムに顔を見せなくなったと思ったら、こーんな年上の姉ちゃんを射止めやがって」
「いたたたたたた。あの、ミズルさんはそゆのじゃなくてですね、ええと、あうち」
「主治医なのよさ」
二人のじゃれ合いに頬を緩ませながら、ミズルはそう説明した。
「サニーくんは長いこと病気でね。今日は具合が大分良くなってきたから、遠出してきた所なの」
ほほー、とガエタノは納得の声をあげた。
まさか、爆弾と解体屋とは夢にも思うまい。
「そうか。昔は毎日のように見学に来てたのにな、お前がいなくなって寂しかったんだぜ。ま、俺みたいなマイナーボクサーなんざいつ飽きられてもおかしくないしよ」
「何言ってるんですか、ガエタノさんはいっつも僕のヒーローです。あ、こないだの王者獲得戦、おめでとうございました! 次は二階級制覇目指すんですよね?」
「さすがに試合はチェックしてくれてたか! ン、二階級制覇? もちろんその予定だ。それよりお前、体すっかりナマってるんじゃないか? 元気になったらうちのジムに入れよ」
「そのつもりですよ、とーぜん」
サニーはごく自然に笑って請け合った。一瞬、彼は己の身の上を忘れているのではないかと、ミズルが心配するほど。一点の曇りもない爽やかな笑いだった。
「パンチだってずっと練習していたんですよ」
ミズルはサニーの部屋に置かれた、古い古いサンドバッグを思い出した。
「どれどれ、打ってみろや」
構えたガエタノの掌に、サニーはジャブを二回、右ストレートを一回見舞った。
「随分と様になったじゃねえか。やっぱりお前はスジがいい」
ガエタノは大口を開けて笑った。サニーがとっくに自分の後輩であるかのような態度だ。サニーも一緒に笑っていた、その頭をがしがしとガエタノが撫でる。二人とも幸せそうだ。
(彼はきっと、サニーくんの〝人だった頃の日常〟その物なんだわ。まだグレイスがただの仲の良い兄弟で、将来への夢や憧れに、何の疑いもなく満ちていた頃の)
肺が痛烈な哀しみに満たされるような思い。けれど、それを吐き出すことは出来ない。ミズルは一つ深呼吸をして、目を伏せた。
「そうそう、サニー。お前の兄貴はどうしている?」
ガエタノは何気なく話題を切り替えたが、それはミズルには致命的なほどの負荷だった。心臓が破裂寸前まで跳ね上がり、必死で荒れ狂う内面を押し隠す。
「相変わらず忙しくしてますよ。今はちょっと、仕事で出張に出ています」
「そうか。いい兄貴だな、小さい頃から頑張ってお前を育ててさ」
「はい。僕の兄さんですから」
サニーの返答はそつのない物だった。意外とこの子は面の皮が厚いのかもしれないわ、などという考えがミズルの頭に浮かぶほどに。
「兄貴が帰ってきたら歓迎してやれよ。俺は一人っ子だったからなー、お前らみたいな兄弟は羨ましいもんだ。だから、くれぐれも大事にしてやるんだぞ」
「もちろんですよ、僕の自慢の兄さんなんですから」
満面の笑みでサニーは断言した。兄への愛情と憧憬が眩しいほど詰まって、今にもはち切れんばかりだ。ガエタノもそれに劣らぬ輝きの笑顔で返した。
修理が終わり、代金を支払う段になると、サニーはガエタノに握手を求めた。
「おいおい、今更か?」
「だって、次はいつ会えるか分からないじゃないですか。それに、チャンプのツキにあやかりたいです」
「ふふん、なるほど。そいつはご利益あらたかだ」
二人は固い握手をかわして別れた。遠ざかっていくガエタノの背に、サニーがぽつりと別れの言葉を呟く。──さよなら。きっと僕は、次の試合は観れませんから。
「ごめんなさい、ミズルさん」
続けて謝罪され、ミズルは戸惑った。何を謝ることがあるのだろう。
「あなたの前で、兄さんの自慢なんてしてしまって」
「そんなこと言うもんじゃないわよ」
言葉にしづらいが、それはサニーが責任を感じるべきことではないと思った。
クラウディオがミズルの仇であることと、彼の弟であるサニーが身内に愛情を抱くのは、それぞれ別の問題なのだ。
「あいつが殺したいほど憎い私と、あいつをまだ愛しているあなたと。
私たちきっと、二人一緒でちょうどいいんだわさ」
なぜそんなことを言ったのか分からないままに、ミズルはブレザーの少年を後ろから抱きしめた。
自分はこの子を爆発しないように止める、この子は私が暴発しないように止める。 そういう役処なのだと、その時そう思った。
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