Chapter03 爆発禁止/暴発禁止

原稿用紙約62枚

§01 助走せよ、破滅が追うぞ

 十五年沈黙していた時計塔が再び鳴り始め、今日で一週間が経っていた。サニーが人間から爆弾になるまでの間に、およそ三日から四日が過ぎている。

 ド・ジョーンの時計塔は相変わらず不規則で中途半端な時刻に、唐突に鳴っては市民の注意を惹いた。そろそろ慣れ始めてはいるものの、なぜ今頃になって機械鐘が動き出したのか、原因は分かっていない。

 その時計塔のふもと、ド・ジョーン駅はセンタープロヴィデンス旧市街、最大の駅である。広大かつ複雑な駅構内はもちろんのこと、ド・ジョーン聖堂とそのまま地続きの壮麗な建築、名のある芸術家によるステンドグラス装飾の数々など、見所は多い。当然、観光客に通勤者、人の出入りも当然多くなる。

 今の時刻は丁度、通勤ラッシュの頃合い。中でも七番ホームは旧市街交通の要として、最も混雑する時と所だった。

 だから、少々妙な人間が紛れ込んでも、注意を払うのは不可能に近い。

 その男は禿頭の若者で、体温に合わせて変形するカメレオン・タトゥーをたっぷり彫り込んでいた。今は赤く輝くファイアーパターンで、その煌々とした真紅が黒のレザージャケットに映えている。泥酔か興奮かで体温が上がっているのだ。

 男が七番ホームに辿り着いた時、何度目かのアナウンスが迫り来る列車の轟音にかき消されそうになっていた。


『七番線、列車が通過します。光線の内側に下がって、ご注意ください……』


 ホームと線路の間は、上中下三本のレーザーによって隔てられている。このセンサーレーザーを越えて何かがホームに落ちそうになると、隔壁が出現する仕組みだ。

 子供でも知っている常識だった。男は躊躇なく光線を乗り越えた。どういう訳か、安全システムの隔壁が作動しない。男はそうと知っていたかのように動いた。


「危ない!」


 誰かが叫んだが、男は恍惚とした表情で線路に飛び込んだ。

 その口をつんざく歓喜の叫び。


「おお、我は生まれり、我は生けり、我ここに在り! 見よ、我が生命を!」


 線路上には今まさに通過せんとする列車のヘッドライトが溢れていた。その上にタトゥーの赤い光が降り注ぐ。その両目すら爛々とした赤。

 戦慄的なタイミングで人体と時速四百キロ超の鋼鉄が接触する。誰もが流血を想像して目を閉じたが、その眼前で流れ出したのは火焔と衝撃波だった。

 四散した男の五体から熱波が噴き出し、自身に加えられた列車のエネルギーにも匹敵する爆轟を放つ。黙示録が落ちてきたような一撃が車両の鼻面を殴りつけ、線路の上から車輪を吹き飛ばした。ホームの天井に車体の背がぶち当たり、乗客が上下左右にシェイクされる。金属の悲鳴が人間の悲鳴を引き裂き、空気ごと亀裂が入ったような衝撃が構内に広がって、飛び散る車体破片が更に危険域を拡大した。全ての運動エネルギーが収束した長い余韻には、刻一刻と大きくなる呻き声と泣き声が後に続く。

 その頃には誰もが理解していた、これは投身自殺などではない。

 人間爆弾によるテロだったのだ。



 モバイル・スーツは電子繊維の一本一本が、触れても分からない極微の振動を発している。これが垢や埃を落とし、新陳代謝を促し、衣服と人体の双方を清潔に保っていた。つまり頭からペンキでも被らない限り、こまめに洗う必要はないのであって、サニーもミズルも特に服を替えることはしなかった。

 格好が気になるなら、色調変更やモード選択でデザインを変えてしまえばいい。もっとも、悠長にお色直ししている場合ではなかったが。

 時刻は昼過ぎ──オルブライト・クリニックの居住スペースはそう広い物ではない。一人暮らし向けのワンルームで、サニーはミズルの手料理を振る舞われた。


「爆弾と相席して食事する解体屋なんて、ミズルさんが史上初じゃないですか」

「自分でも中々冒険家だと驚いているわよ」


 しかしサニーが驚いているのは、二人の立場から来るこの異様な状況よりも、ミズルの腕前だった。ふんわりと金色に焼かれたベルギーワッフル、黄身が絶妙にとろりとした目玉焼きと魚のフライ、新鮮なグリーンサラダ。

 必要最低限の調理器具だけで、手早く美味しく仕上げてくれた。そして起き抜けには丁度良いメニューだ。何と言うのか、数年ぶりに温かみを感じる食卓で──、


「ど、どしたのよさ!? サニーくん」


 不意に視界がぼやけたと思えば、涙がサニーの頬を伝っていた。


「いえその、感極まったというやつです。はい」


 思い返せばこの五年、兄のみならずテロ屋どもの食事の世話まで朝昼晩三百六十五日間、ほとんど休むことなく続けてきたのだ。これがクラウド一人ならまだいい、たまの来客も仕方ない、だが五人から八人、時には十人以上の食事を毎日毎日毎日!

 献立も変化をつけなければ文句を言われるし、食事時間はやたら不規則だし、感謝などされたためしもない。小さい頃のように、兄が料理をしてくれることも無く。

 だが他人、それも女性から手料理をご馳走される日が来ようとは、夢にも思わなかった。


「そんなに感激してくれるのは嬉しいけど、なんか心配ねえ」

「いえ。本当に美味しいですから。大丈夫です大丈夫」


 涙を拭ってサニーが食事を再開すると、ミズルは静かに立ち上がった。食べ終わり時を見計らって紅茶をいれに行ってくれたのだ。気配りにまたも感涙しそうになる。


「ミズルさん、パズルお好きなんですか?」


 照れ隠しにサニーは話題を振った。バラエティ豊かな知恵の輪の数々は、置いてあるだけでインテリアのように部屋に映える。中でも、ルービックキューブは年季の入った物だった。


「ポップが昔、〝爆弾の解体をするなら頭の体操をしないと〟ってオモチャにくれたのよ。パズルって、どんな不可能に見える物でも必ず解けるように出来ているから。自信もつくのよね、頭を切り換えるにはぴったり。紅茶にレモンやミルクは?」

「あ、砂糖だけでお願いします」


 サニーは運ばれてきたカップの温度を調整した。彼は猫舌なのだ。

 今や食器は、料理の温度を完全に保ち続ける物であって、一時間待っても飲み物が冷めたりはしない。


「食べ終わったら散髪しないとね。長くても別にいいけど、前髪はちょっと邪魔でしょ?」


 言われてサニーは髪を引っ張った。自分で適当に手入れしている内に、すっかりこの辺は放置してしまっていた。慣れるとそう邪魔でもなかったし。


「僕の髪って、切ったら爆発しないんですか?」


 レモンの紅茶に口をつけて、ミズルは説明した。自分の髪のリボンを引っ張る。

「有爆性タンパク質は四次元超立方体オクタコロン・テセラック(正八胞体)の結合構造を持つ高次元化合物で……あ、うん。結論から言うと、しないわ。タンパク質って色々種類があるからね、全部が有爆物質に置換される訳じゃないの。髪を作っているのはケラチンっていう物で、これも置換されないタンパク質の一つよ。だから、人間爆弾が散髪しても問題なしってわけ」

「そういう物なんですか」


 ミズルはふと思い出したように、部屋の奥へ去っていった。ほどなくして戻ると、ウサギのイラスト付きピルケースを手にしている。ついでに郵便受信機うけから、紙面を更新した新聞フィードを取り出した。


「はい、これ。鈍化剤が入っているから、街へ出たらトンプクにしてね。多すぎると眠っちゃうから気をつけて。効き目は弱いけど、即効性だけはあるわよ」

「ありがとうございます」


 サニーはいっそ恭しいくらいの態度でそれを受け取った。これが当面、自分の生命線となるのだ。隣にいるであろうミズル自身も含めて。


「今言った通りあまり強くないから、危険だと私が判断したら注射を打つからね。その時は眠るって言うより落ちるってぐらい副作用がきついから、出来たら使いたくない。なるべく心を落ち着けてね。不安や興奮、緊張は炸裂欲求の元だわさ」

「はい」


 不発弾の危険性は爆弾と変わらない――むしろ、起爆装置が一度は作動済みであるという点で、より危険だと言える。

 改めて、サニーは己を危うい存在なのだと肝に銘じた。


 再びミズルは腰を落ち着け、新聞を読むと軽く眉をしかめたが、サニーは特に気にも留めなかった。――今朝方ド・ジョーン駅で起きた爆発事件を報じる記事エントリだ。

 ミズルはわざわざ、それをサニーの耳に入れまいと決めた。この種の話題は人間爆弾の心を揺らせる。ただ、この件がウェザーヘッドの手になるものかだけ、注意を払った。クラウド、あの男。早く捕まえてやる。

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