§04 死出のハネムーン

 すっかり眠り込んだサニーを前に、ミズルはこれで良かったのかと自問した。

 インヴァットが隣に居れば即座に間違いだと言い放ち、彼女に本来の仕事をさせようとするだろう。彼は何度もやめろと警告した。

 その警告も危惧も正しかったが、彼女は敢えてそれを違えたのだ。インヴァットは自分を妹のように案じてくれる、そうと分かっていながら。

 けれどミズルは、自分自身を恥じ入りはしてもそれに溺れることはしなかった。


──ただ少しだけ、私たちは考える時間があってもいい。


 例えば一晩ぶんの眠りと同じぐらいには。この子はどのみち選択の余地など無いのだから、気は変わらないだろう。けれどこの私はどうだ。

 もしかしたらやっぱり止めて、この小さなサニージーン少年を解体してしまうかも、という迷いのためではなかった。いいえ、その逆。自分自身の背をもう一突きして、この復讐を最後までやり遂げる決意をする、そのための猶予だった。


(だってヴァッティお兄ちゃん……。ミズリィはやっぱり、ポップとフィーネのことをそのままにしては置けないのよ)


 その事件は今も、ミズルの胸中に黒々とした焦げ付きとなって残っている。切り傷のように血を流すのではなく、いつまで経っても燻り続ける火傷だ。

 だから、それは彼女を駆り立てずにはおかない。



 ミズルが復讐心に焦がれながら、再び眠りに就いた一方。

 しばらくして、人を焦げ付かせ続ける男が目を覚ました。夜が明けたことを認識しながら、ホテルのベッドでぐずぐずしている。


「ねえ、ねえってばクラウド! ルームサービス頼んでいい?」


 ぱっと部屋の照明が点けられ、華やかな声に呼ばれて、仕方なくクラウディオ・グレイスは身を起こした。盛大なあくびをして、それから「好きなのを選びなよ」と返す。

 早速メニューを眺めるキャスリーン・ヒューズはといえば、すっかり身支度を済ませてめかし込んでいた。百合のような白のドレスに、丁寧に結ばれた二房のプラチナブロンド。スカートの布地には、アニメーションの蝶がきらきらと舞っていた。

 気合い入っているなあ、と考えたきり、クラウドは何ら建設的な思考をするでなく、ベッドから降りる訳でもない。それに気付いて、キャスリーンはメニューを閉じた。


「どうしたの、ねぼ助さん」と男の顔を覗き込む。

「あー、いや」


 言葉のしゃべり方を思い出そうとするような、しばしの間。


「サニーもやっぱり、連れてきたら良かったなあって」


 明らかにキャスリーンはむっとした顔になった。ベッドに跳び乗ると、腰に手をあて高飛車風にクラウドを見下ろす。


「もう、しっかりしてよ。通報したのはあなたじゃないの、クラウド」


 警察が到着して冷却弾を撃ち込み、氷詰めにされたサニーを運び出す所まで、二人は一部始終を見届けていた。もちろん、現場から離れた高台から。


「キャスはパパとママを殺したこと、後悔してないわ。――なのに、あなたが弱気になっちゃイヤ」


 だがクラウドはまだ夢うつつで、とつとつと未練をこぼし始めた。


「俺が一番愛しているのはサニーだったんだ。小さい頃からお兄ちゃんお兄ちゃんって後ろをついてきて、俺が働き出したら家事を手伝って、健気なやつでさ。最初のうちは家電のAIをハングさせたり、そりゃあもう余計な手間を増やしてくれたりもしたんだが、毎日ちゃんと上達していったし、同じ間違いは繰り返さない奴でさ……」

「でもサニーは間違えたわ。キャスを助けるためにクラウドを殺そうとした。あたしはそんなことして欲しくもなかったのに! あは、可哀想なクラウド」


 キャスリーンは、九歳という年齢には不自然なほど成熟したしなを作った。恋人を甘やかすように、クラウドの首に腕を回して抱きつく。

 すがるようにその背を撫でながら、クラウドはなおも繰り言を吐き散らした。


「そうだよ……どうしてそんなことで俺を殺そうとしちゃったんだ。俺はレディの願いを叶えたかっただけなんだ。今の生活だって、もう少ししたら待遇を変えなきゃなって考えていて……そう、最初はちょっとした内職からでいいからさ……」


 そこで少女の忍耐は切れたらしい。勢いよく体を離して、男の両頬を手で挟む。


「──さっきからもうっサニーサニーサニー! レディといる時に他の子の話なんてするものじゃないわ!!」

「他の子って……。サニーは俺の弟なんだよ?」ぱちくり。


 左右同時にビンタを喰らった格好になって、ようやくクラウドは目を覚ました。


「関係ないわ、どうせ爆弾になっても不発しちゃうようなタマ無しじゃない。男じゃないわ」


 この時クラウドは「玉がないからって穴がある訳じゃないだろう」とは思ったが、それを少女に向かって言わない程度には、品性を持ち合わせていた。


「にしても、不発しちゃうなんてサニーらしいわ。あの子、きっとナイフに生まれていたら紙の一枚も切れないに違いないわよ。銃なら人を撃てないオモチャね!」


 とくとくと容赦の無い評を下す少女に、クラウドは兄として反論した。


「レディ、実用の役に立たない物も、可愛げさえあれば観賞用になるんだよ。俺にとってサニーはそれで充分だった。心が安らぐ」

「じゃあ、どうして爆弾なんて、実用的な物にしてしまったの?」


 フォローになっていない反論は、更にもっともな意見に封じられた。クラウドは言葉か、それとも心情かに詰まって、黙り込むしかない。

 男が敗北宣言をしたと見て、キャスリーンはいたずらっぽい笑みになった。甘えたようにすり寄り、クラウドの胸にくるりと収まって、頬にキスをする。


「クラウド、あなたはサニーと正反対なのよ。とても尖っている。過激なの、あたしクラウドのそういう所が大好き。テロ屋どもの悪だくみのほとんどだって、あなたの仕業なんでしょう? ねえ、だからいつまでもクヨクヨしてちゃイヤよぅ。あなたがいなくちゃ、あたしだって気分良く炸裂できないわ。あたしの導火線をしけさせないで。もっと熱くしていて」


 最後にキャスリーンは、クラウドに唇を重ねた。そのくちづけは、火酒のように無理やり満たして彼を燃やし、奮い立たせる。腑抜けた表情に獰猛な生気がともった。


「──そうだ、そうだね。せっかくの〝新婚旅行〟だ。景気良くいかないと」

「ええ。あたしたちの門出に、湿っぽいのは禁止。あたし今、人生で最高の日々をスタートさせようとしているんですもの」


 クラウドの首にかじりつき、その赤く染めた髪を手でかき乱して、キャスリーンはうっとりと目を閉じた。かと思いきや、その灰色の目を開き、尖らせる。


「あれがいなかったら、もっと良かったのに」


 キャスリーンは部屋の隅に目を向けた。そこには黒い染みのように、椅子に腰かけ虚ろに呆けている別の男がいる。頭に巻いた包帯から、黒い髪の毛がこぼれていた。


「ごめんよレディ。でも、マッセナにはもう少し働いてもらわないとね」

「分かってるわクラウド、せっかくの命ですもの。きちんと使ってあげなきゃ」


 爆弾魔と爆弾はさえずるように嘲りの笑いをもらした。自分の頭を撃ち抜いたはずのマッセナは、吹っ飛んだ脳の一部を永遠に見失ってしまったかのようだ。

 だが間違いなく生きていた。欠けた頭脳の一部分を、今は信管で補って。

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