§03 追いかけていけ、過去を

 上へ戻ると、インヴァットはずっと堪えていただろうタバコを咥えた。懸命に己をなだめようとしているのか、合成樹脂の吸い口をガリガリと神経質に噛み続ける。

 エレベーターを降りてもそれは止まらず、ついに噛み割って放り捨てた。中に充填されていたリキッドが床を濡らしたが、院長であるミズルは頓着せずそれを見る。どうせ片付けるのは、クリーンアップ・ボットだ。

 インヴァットは肺病のように胸をかきむしって、懐からペンダントを取り出した。弾丸そっくりのシルバーアクセサリーだ。

 そこには、Blessed Be. ──祝福あれ、の刻印がある。インヴァットはタバコ代わりに銀の弾丸を咥えて、ぎりぎりとそれを噛み始めた。

 過去何度も同じようにしたらしく、表面が随分でこぼこになっている。噛み跡からすると、慎重に刻印の部分を避けてはいるようだった。

 ミズルは横からしげしげと、その口元を見る。


「そろそろ新しいのをプレゼントしたほうがいい?」

「いんや、それには及ばんよ」


 インヴァットはぷっと銀弾を吐き捨て、軽く拭ってそれを懐に戻した。そして不意に、ミズルの両肩を掴んで、金の瞳に訴えかける。


「キミがオレに何かを贈ると言うなら」


 声は哀願の響きを伴っていた。


「ミズリィ、約束してくれ。罵迦な真似はしないって」

「五年前の私みたいな?」

「そうさ。あの事件からの一年間、キミが最後まで連邦刑務所送りにならずに済んだのは奇跡だ。今度あんなことがあったら、オレはキミをカウンセラーに引っ張っていかにゃならん」


 ミズルは謎めいた微笑を浮かべて、やんわりとインヴァットの手を肩から外した。まるであやすような仕草。インヴァットは三十路になるが、二人の年齢が逆転したかのようだった。


「そうね。確かにそれは私にとても必要。クレイジーなのはお墨付きだもの」

「その称号はアクセサリーじゃないぜ。精神の不健康は爆弾解体の資格に響く」


 インヴァットはこの分からず屋をどうしてくれようと、悩むように眉根を寄せた。それから、同情に耐えないといった調子で、ゆっくりとかぶりを振る。


「……グレイスの坊やは哀れさ。キミはオレが感じている忌ま忌ましさ以上の物を、この件に感じているはずだ。そして、それがまた良くない」

「知っていたら、何が何でもうちに持ち込まなかったでしょうね。でも、私は解体屋だわよ」

「そうであって欲しいとオレも願っているよ」


 深々と溜め息をついて、インヴァットはまたミズルの目を覗き込んだ。


「オレのようなろくでなしに出来るのは、あの哀れなちびに引導を渡すぐらいのものだ。だがこの仕事を他の誰かに押し付ける気にはなれんから、こうしてここにいる」


──キミもそれは同じはずだ。何であれ爆弾解体の道を選んだんだろう?


 言外に含んだその声を、ミズルは確かに聞いた。

 そう広くない医院の中、二人はとうに玄関まで辿り着いている。インヴァットはようやく気が済んだと見えて、扉をくぐった。


「じゃあね、〝人間砲弾〟さん」

「いい加減そのくだらんあだ名は忘れてくれ」


 外は既に太陽灯がともっていた。



 人間爆弾の機能を司る頭脳信管は、脳内に形成される有機体である。細胞単位で融合したサイバーウイルスから出来ているので、物理的に取り除くことは出来ない。

 ワクチンも開発されたが、それを使うとただちに起爆命令を出してくる。そこでセオリーどおり、爆弾自身の信管と起爆回路を安全に「切り離す」しかなかった。


「さて、最後に言い残したことや、やり残したことはない?」

「兄さんとキャスに会いたいです」


 手術着に着替えて横たわりながら、サニーはぽつりとミズルに答えた。


「女の子のほうは分かるけれど、お兄さんに会いたいのはどうしてかしら」

「何でこんなことをしたのか。どうしてあんな悪党になっちゃったのか。でも、そんな時間ないですし、だからもう思い残すことは何もありません」


 それが彼女が戻ってくるまでの間、サニーが考えておいた結論だった。どの道、自分に採れる選択肢など無いのだ。けれどミズルはそうは思っていないようだった。


「本当に?」


 解体屋は手にしていた端末を置き、サニーの傍らに立った。


「本当に、それでいいの?」


 それは職業的に必要のない問いに思えた。


「私が君の立場だったら、そんなの死んでも死にきれないわよ」

「あなたは解体屋じゃないですか。何でそんなこと言うんです」

「さあ。駅で君を見て、素通り出来なかったのと同じじゃないかしら」


 彼女は微笑したが、サニーは前のようにそれに見とれるよりも苛々してきた。


「はぐらかさないでください」

「復讐する権利があるのよ、君には」


 ミズルは医療ベッドに手を置き、顔を近づける。さらりとこぼれた髪がサニーにかかった。その吐息と匂いも。


「クラウディオ・グレイスがあなたを爆弾にした。彼があなたの人生を滅茶苦茶にした。普通に学校へ行ったり友達を作ったりガールフレンドと遊んだりするような生活を、彼が木っ端微塵に吹き飛ばして、今またあなたを吹き飛ばそうとしたのよ。

――それを許したいほどお兄さんが好き? ならそれもいいけれど。でも、せめて一目会いたくないの?」


 サニーはなにがしか反論しようとして、胸の痛みにそれを阻まれた。いや、それとも痛むのは頭だろうか、頭蓋に収まる信管だろうか?

 与えられた薬が緩やかに効果を失い、ミズルが口にした爆発を連想させる言葉全てに反応し始めていた。息が苦しくなる。


「もっと言えば、クラウディオには復讐される義務があるんだわ」

「……その義務を履行させるのは警察です」


 乱れる呼吸の中でサニーはそう言い返した。間近で彼女の視線を受け止めて。


「オーケイ、確かに私刑は法にもとる」ミズルは笑って身を起こした。


「でも、何も私は彼を殺せと言っている訳じゃないのよ。会って理由を聞きたいと言ったのは君なんだし」

「あなたは僕にそうさせたがっているようにしか聞こえません!」

「そうだわね」


 再び、微笑。

 この先生はどうやら罵迦げたことをしようとしているらしいぞ、とサニーは今更ながら恐ろしく思った。先ほどまでの印象は、刑事を前に猫を被っていたかのようだ。


「復讐する権利があるのよ、君にも私にも」


 ミズルの声音が低く肌寒いものに変じた。その顔は事情聴取の前にも見た、あの彫像のような鏡のような静けさで強ばっている。どこか人間離れした無感動さ。


「私の両親は兵士でね、軌道戦争に行ったきり帰ってこなかったから、私はポップおじさんに育てられたわ。ポップの娘がフィーネという女の子で、五年前ウェザーヘッドに誘拐されたの。長い黒髪で、ウサギのぬいぐるみが大好きな私の従妹」


 はたとサニーの記憶からそのイメージが引き摺り出された。ぬいぐるみを枕代わりに抱いて、浅い眠りをリビングで取っていた少女。サニーは最後までその子がどこの誰の子供で、何という名前なのか知りたいとさえも思わなかった。


「ポップは、人間爆弾の研究をしていたのよ。多分、戦時中に何体かを作ったでしょうね。あの人は数少ない製法を知る人間だったから。

 だからウェザーヘッドはポップに目をつけて、従妹を誘拐したの。身代金に、人間爆弾の製造方法を要求してね。ポップはその脅迫に屈したわ」


 自分の唾液を飲む音が、轟きのようにサニーの聴覚を打つ。


「フィーネは帰ってきた。でも無事じゃなかった。胸にね、爆弾が埋め込まれていたの。後で知ったことだけど、乱暴な外科手術よ。ポップも私もそれに気付かなかったわ。で、ポップは駆け寄ってきたフィーネを抱きしめた、そして二人もろともに炸裂しちゃったのよさ」


 ミズルの声はあくまでも平坦で、冷え冷えとした穏やかな囁きであり、かえってそれが手術メスのようにサニーの心へ切り込んでいた。

 悪党どもが子供を誘拐してきたのだと気付いた時、その子らの先行きが暗いだろうことは分かっていた。だがフィーネの末路は彼の想像を遥かに越えるもので、自分の甘さと懺悔のしようもない落ち度に、痛みにも似た吐き気が押し寄せる。

 クラウドは違法にだが医者の技術を持っていた。

 あのテロ屋どもに、他に医者の仲間がいるかは分からない。だが五年前の少女がフィーネだとすれば、彼女に爆弾を埋め込んだのは兄に間違いがなかった。そして兄がどこから人間爆弾の製法を学んだのか、これで明らかになったという訳だ。


「それからしばらくして、ウェザーヘッドは人間爆弾を使い始めた。間違いなく、ポップの製法から生まれた物よ。あの人は戦後、大学で人間爆弾の解体を教えていたのにね。私もその生徒だった。

 けれどウェザーヘッドは──クラウディオは、ポップの知識を、あんなやり方で奪って、人間爆弾を都市にバラ撒きだした」


「だからあなたは解体屋になったんですね。でも……僕に、どうしろと」


 冷や汗にまみれながらサニーはうめいた。頭痛と吐き気、どれが精神的な圧迫によるもので、どちらが炸裂欲求の脅威によるものなのか、判別がつかない。


「それはもう言ったじゃないのさ。あなたと私は利害が一致すると思うけれど?」


 またも微笑。けれどそれは、最初に見た物とは印象を大きく違えていた。なぜならこの人は、自分をも憎んでいるに違いないからだ。

 家族の仇であり、爆弾の製法を残酷なやり方で奪い取った男の、その弟。彼女の手が、今にも自分の首にかけられそうな気がした。


「……すみません」


 謝罪など口にしてどうなるのか。サニー自身そう思ったが、ミズルは黙って続きを待った。


「僕は長い間、兄のしていることを見て見ぬふりで済ませようとしてきました。キャスのことでやっと決心がついて、兄さんを殺そうとして……でも、それは間違いだったって思うんです。復讐なんてするべきじゃない。兄を裁くのは僕らじゃない」


 サニーはミズルが怒り出すと思ったが、彼女はまだ沈黙を続けていた。


「だから僕は、僕の命をあなたに預けます。あなたはいつでも僕を解体することが出来るし、街中で爆発しそうになったら、薬か何かで抑えることも出来るでしょう。あなたが僕を使って兄さんを追い詰めたいなら、どうぞそうしてください。けれど兄の命はあげません」


 ミズルの手がぴくりと震えたが、もはやサニーは何も恐れなかった。

 一息に身を起こし、彼女の顔を、金の瞳を、真正面から見据えて貫く。自分の意志を知って欲しかった。


「僕は兄を殺しません、あなたにも殺させません。ただ捕まえて警察に引き渡そうというのなら、幾らでもお手伝いします。そしていつでも僕を解体してください」


 彫像のようなミズルの無感動な顔が、その時初めて崩れた。はぐらかすような猫かぶりの微笑ではなく、呆れたような驚きで目を丸くしている。

 不意に、ミズルはサニーを抱き寄せていた。柔らかな突風に吹かれたような抱擁。豊かな胸がサニーの頭を捉え、その奥深い谷間に顔がうずまりそうだ。

 頭の上でミズルが囁く。


「ありがとう、ありがとう。神さまが私たちを助けたまわんことを」


 ぱっと自身の頬が熱くなったが、彼女の体温は更に熱く思えた。


「だけど約束してください、決して僕を炸裂させないって」


 口にした途端、頭痛が強くなってサニーは顔をしかめた。


「それはもちろんだけど。そんなこと言った爆弾は、間違いなく君が史上初だわよ」


 ミズルはにっこりして体を離すと、薬剤の充填された注射器を取り出した。


「それ何ですか、先生」

「ミズルでいいわよ、今から本職は休業だわさ。で、これは鈍化剤どんかざい


 爆弾の起爆感度を下げる物質を鈍化剤と言う。

 例えば水は、最も古く簡単な鈍化剤だ。人間爆弾の場合、トランキライザー系の薬物がそれに当たり、俗に鎮静剤とも呼ばれた。


「さ、今日はもうお休み。ちょっと強力なやつだから、効いてきたらぐっすりよ。一晩ぶん睡眠を取ったら、これからのことを考えましょ」

「でも、あの刑事さんに知られたら大変なんじゃないですか」

「もちろん、内緒だわさ」


 ミズルは人差し指を唇にあててウィンクした。それから手早く鈍化剤を打つ。頭痛が引いて、代わりに眠気が押し寄せてきた。

 その波に身を任せようとして、ふとサニーは引っかかる物を感じた。


(あれ……今まで誘拐されてきた子も爆弾にされていたなら、何でキャスだけは扱いが違ったんだろう? それとも、爆弾にしたのはフィーネとキャスだけだったんだろうか? いやでも……)


 答えを模索するより先に、サニーは心地よいまどろみに引きずり落とされた。

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