§02 無為の有意義

 望むべくもないことだが、目を覚ましても夢は夢。自分はやはり爆弾で、どうやらどこかの病院にまた連れて来られたらしい。と、サニーは嘆息した。

 デボルデ・クリニックのようなみすぼらしい所ではない。床も壁もぴかぴかで、真新しい機材が所狭しと並んでいる。薬臭い空気はぴりっと毒々しいほど。

 しかも死体か何かのように寝袋に詰め込まれて、みっともないったらなかった。


「おはよう、爆弾さん。私はミズルトリス・オルブライト、あなたの解体屋だわさ。確認させてもらうけれど、君はサニージーン・グレイス、十七歳で間違いない?」


 やや間を置いてサニーは頷いた。

 言われるまで自分が誕生日を迎えていて、一つ歳を取っていたことを忘れていたのだ。答えてみてから、自分が誰と話しているのか考える。

 サニーの体は冷えていたが、部屋の空気で徐々に温まっていた。それに伴って意識もだんだんはっきりしてくる。視認していても頭が理解していない相手の姿に、サニーは改めて目の焦点を合わせた。

 つやめくウェーブロングの黒髪に、充実したバストの


(女、の──人だ)


 それと認識した瞬間、サニーは世界の半分を思い出した。

 女、女性、雌性、母性、異性! 五年間の軟禁生活で目にしたそれは、誘拐されてきた小さな子供がせいぜい。

 後はむくつけき男どもばかりで、サニーは思春期も盛りの頃に女性に対してほぼ無菌状態で育ってきていたのだ。確か駅で一度女性と出会ったはずなのだが、あの時は炸裂欲求の葛藤と苦悶のまっただ中で、それを気にしている余裕もなかった。


「よし、まずは問診だわね。……ん、私の顔がどうかした?」

「ああいえ綺麗な人だなと」


 言い方を捻ろうという思考も生まれない緊張感。

 ああ女の人というものは、どうしてこうも流れるような優美さで動くのだろうか。それともこの先生が特別なんだろうか。


「あら、ありがとう。そういう君は、確か昼間に駅で出会ったわね」


 ミズルの微笑にぽやんと見とれて二秒、言葉が頭に染みて三秒、五秒目になってサニーは記憶を喚起させた。親切にしてくれた女性と、目の前の女医が一致する。


「知り合いだったのか?」

「ちょっとね。今、怖いことに気がついちゃったんだけれど──私、知らない間に人間爆弾と出会っちゃってたみたいだわよ。それも、炸裂寸前の」


 ミズルが返事のために首を曲げて、サニーは部屋にもう一人誰かがいることに気がついた。よく見ようと体を起こしたが、首元までしか下げられていないジッパーのせいで動きにくい。サニーがじたばたするのに気付いて、ミズルが近づいてきた。

 しなやかな歩みで傍に寄ると、寝袋のジッパーを腰のあたりまで降ろす。その一連の仕草がどこかエロティックに見えてどぎまぎした。うぶ毛が彼女の体熱で揺れる気さえしてくる……。


「まあ色ボケするのはそのぐらいにして、だ」


 目の前にずいっと大柄な影が立ちはだかった。腕組みをした長身の男が、どこか金属的な冷たさの目でサニーを見下ろしている。


「事情聴取を先に済まさせてくれ。診察は解体の前段階なんだからな」

「いいけど、色ボケって誰がなのよさ?」


 軽く首を傾げたミズルに、男は不満そうに鼻を鳴らした。


「……キミが爆発太郎の様子にとんと気付いてないならそれでいい」

「そんな変な名前で呼ばないでください」


 むっとして口を挟むサニーを、男は怒鳴りつけた。


「黙れ、名無しの爆発太郎ジョン=ドゥ・ザ・ボンバー! 好きこのんでか無理強いされたかは知らんが、爆弾なんぞにされやがって。誰も手榴弾にキスをして、アッサラーム、〝汝の上に平安あれ〟なんて言いやしない。平安・平穏・平和、哀しいかなそれはあるべくもない。キミこそがそれを乱す権化だからだ! 人並みに優しくされるなんて思うな!」

「なっ……」


 あんまりな言い様に絶句しながら、どこかサニーは冷たい納得を感じた。爆弾なんぞにされやがって。ああそうだ、人間爆弾になるとは、こういうことなのだ。


「自己紹介がまだだったな。オレはCPPDのインヴァット・ジランドラ警部補だ。刑事課で対人爆係をしている。つまりキミが解体なんぞされてたまるかと逃げ出したりしたら、オレの仕事が増えるという寸法だ。

 その代わりオレの拳銃からは弾が減る訳だが」

「爆弾を撃つ気ですか!?」

「キミがべらぼうに高性能な爆薬ならそうもいかんが、何せ威力は手榴弾一個並というしょっぱい診断が出たからな。念のため、狙撃班を呼べば万事確実だ」


 サニーは愕然としてミズルの顔を見た。女医から返ってきたのは肯定と捕捉。


「そうね、君が目を覚ます前に調べたけど、この威力だと人一人を殺すのがせいぜいって所よ。それも対象と抱き合うぐらい密着した距離でないと、死に損なう可能性があるくらいだわ」

「それは、その……。火薬で言うしけった状態とかじゃなく、ですか?」

「設計段階でそうなってるようだわね」


 人間爆弾は基本的に高性能爆薬であるが、手榴弾程度の物を作ることも不可能ではない。ただ、普通は誰もやらないだけで。

 サニーはどこにいるとも知れぬ兄か、それとも神の顔を見るように、天を仰いだ。

 なるほど、確かに駅を爆破する役目にはとても使えない。だがクラウドは何を考えてこんなことをしたのか、ますます分からなくなった。

 自分が爆弾だという事実はずっとサニーを打ちのめし、悩まし続けていたが、大した威力じゃないと言われると何かわびしい。


「悔しがっている暇はないぞ爆発太郎。善き市民の一般常識として知っていると思うが、人間爆弾である以上キミはこれから無害化するため解体処理される。イコール死亡する。ただし人間爆弾は改造された段階で死亡しているので、身元確認の段階で死亡届は受理済みだ。つまりキミは法的には危険物及び死体であって、人格が無い物として扱われる。よって解体された結果キミが死亡してもそれは殺人には当たらない」


「はあ」上の空で返事をする。


「聞いているのか爆発太郎? キミにもはや人権はない。財産の相続権、選挙権、教育を受ける権利、市民権、納税の義務、社会保障、すべてだ。残された権利は、大人しく解体処理を受け容れ、しかるのち故サニージーン・グレイスとしてキミの流儀宗派に即した葬式で、丁重に埋葬されることだけだ。分かったか!?」


 言葉の最後でインヴァットは顔を近づけ、アイスブルーの瞳でサニーを射抜いた。まるで視線の恫喝だ。だが、それに対して恐れも怒りも沸いてこない。

 インヴァットのしゃべり方は身振り手振りも交えた大仰なものだった。そう、どこか芝居がかっている。その振る舞いはあくまで職業的な冷徹さだ、とサニーは感じていた。厳しい刑事という役割を、自分自身に演じさせている。


「あのね刑事さん。これから事情聴取を始めるのに、もうちょっと言い方ってものがあるんじゃないかーしら?」


 ミズルにやんわりと咎められて、インヴァットは軽く肩をゆすった。サニーは一瞬それを声のない動揺と見たが、ひょっとしたら苛立ちの表現かもしれない。


「いいですよ。僕の知っていることだったら何でも話します。本当なら誕生日が命日になっている所でしたし。僕は僕自身が、誰も殺さずに済みそうで安心です」


 サニーはミズルの顔を真っ直ぐ見つめた。もう自分のやるべきことは分かっているのだ。


「駅であなたに助けられたのは、僕が数年ぶりに人から受けた親切でした。ありがとう。僕の解体、どうぞよろしくお願いします」


 ミズルの瞳、金の坩堝のように輝かしいそれが、わずかに曇った気がした。けれど、猫のようなその目をいだく顔は、やはり猫のように表情が分からない。顔色は肌の象牙色のまま赤くも青くもならず、彫像のように完成された静けさを湛えている。

 その面にサニーは不思議な共感を抱いた。彼女の静謐として自分を見る様は、サニー自身の心境を映す鏡のようだ。そう、鏡。鏡面にも似た凪いだ湖の穏やかさだ。

 自分は死ぬ。爆弾として解体されて、炸裂することなく終わる。

 目を覚ます前は少しでもそんなことを考えたらおかしくなりそうだったのに、炸裂欲求は遠くへ去っていた。多分、サニーを起こす前に薬を打っておいたのだろう。

 だとしても、この落ち着きを不自然な物とは思わない。炸裂欲求こそが〝人間〟サニーに不自然なもので、それが化学的な刺激で取り除かれた状態こそが正しいのだ。

 だから、これは正真からの自分の気持ちだ。頭の中の信管が決めた考えではない。キャスリーンのことも、話しておけば彼らが何とかしてくれるだろう。

 自分はもうここまでだ、人間爆弾は長生きしない。サニーはまた炸裂欲求に突き動かされ、爆心地を垣間見るのが恐ろしかった。


「始めてください、刑事さん」


 サニーが声をかけると、インヴァットの顔には瞳のみならず、全体に金属質の冷気が宿っていた。目覚める寸前まで冷凍されていただろう、サニー自身もかくやという冷え方だ。インヴァットのこの、刺々しいまでの冷たさはどこから来るのだろう。矢継ぎ早に質問を受けながら、サニーはその点がさっぱり分からなかった。


「キミの兄が関与していた組織は、ウェザーヘッド・リポートマンで間違いないな?」

「確かそんな名前でした」

「キミの兄はいつから連中に関わっていた?」

「少なくとも六年以上前からです」

「キミは自分から人間爆弾に志願したのか?」

「いいえ」


 サニーは自分がクラウドの殺害を企てたこと、その結果として改造されたこと、だがしかし不発弾となってしまったことまでも、つまびらかに話した。


「ちょっと待って」


 その過程でキャスリーンの名前が出ると、ミズルが口を挟んだ。そこで言われるまで、サニーはキャスリーンの両親が殺害されたなど知るはずもない。


「クラウディオがヒューズ嬢を拾ってきたと言うんだな? オレもそっちの件は詳しく知らんが、その子が家を出たのが両親殺害の後か先か──まあ置いておこう」


 インヴァットはそう言うが無理な話だった。サニーはそのニュースでいっぺんに、頭の中がキャスリーンへの心配に占められてしまう。ついつい受け答えも浮ついた物になった。


「……つまりクラウディオはヤクの密売にも関わっていたのは確かなんだな?」

「はい」

「そんで兄貴も商品のヤクに手を出してジャンキーになったとか?」

「はい」

「キミの兄貴は男と結婚したのか?」

「はい」

「アッチャラペッサー?」

「あっちゃらぺっさー」

「おい、ちゃんと質問を聞け火薬頭め!」


 サニーが何とかキャスリーンのことから頭を切り換えると、話は誘拐の件にさしかかっていた。五年の間に連れて来られた子供たちの顔や名前、どれぐらいの間家に居たか、必死で記憶を探って答える。改めて、サニーは自分が見殺しにしてきたものの存在を感じた。


「思い出せる名前はたった二人か?」


 焦れるようにこめかみを掻くインヴァットに、サニーは深々と謝るしかなかった。テロ屋たちは誘拐してきた子供らを名前で呼ぶことなど、ほとんどしなかったのだ。


「……まあいい、容姿の特徴はある程度出たから、行方不明者リストと後で照らし合わせてみよう。キャスリーン・ヒューズは殺人課の連中と取り合いになるかもな」


 事情聴取が終わった時には夜も更けて、太陽灯が温まり始める頃合だった。もう一時間もすれば、都市の天井に青空が投影され出す。


「オレは署に戻って報告書をまとめにゃならん。爆弾解体は頼む」

「ええ、万事ぬかりなく」


 インヴァットを送るためミズルも上へ行き、サニーは地下の処置室に一人残された。


(キャス、大丈夫かな……)


 きっと、あの子は間違いなく人間爆弾にされたことだろう。

 それは遠からず、今の自分とまったく同じ位置に立たされるということだ。薬をもらっても、あの子は炸裂欲求とは無関係に爆発したがって泣くのかもしれない。


――兄さん、どうして僕たちを爆弾にしたの。


 独りにされると、思いのほか未練が吹き出してくる。そんな自分が情けなかったが、ここには弱い己を殴り倒せるサンドバッグはない。兄もいない。けれど〝何もない〟ことこそが、今のサニーに出来る最大最後のことなのだった。

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