§05 凍てつく懺悔

「ただいまー……」


 玄関口で声を上げても、サニーに返事をする者はいない。市の東端は十六番区、ブロード街のグレイス家はもぬけの空だった。

 ここまで歩き詰めた疲労を覚えながら、兄の返事を待っている自分に気付く。クラウドに外出を禁じられて以来、言われることのなくなった「おかえり」を。

 駅に連れて行かれて既に一時間以上になるはずだが、あれから何の変化も起こらなかった。もしかして自分は失敗作なのではないか、あるいは爆弾にしたなど嘘だったのではないか。そんな一抹の希望さえ、サニーの胸には芽生えていた。

 テロ屋が鍵もかけずに、アジトを空けるはずもないだろう。留守番が誰か居るかもしれないと考えて、サニーは家探しすることにした。まずは兄の部屋からだ。

 だが探すまでもなく、階段から当のクラウドが降りてきた。

 コートを羽織り、大きなトランクを持って、まるっきり旅支度を終えている。弟に気付くと、ぎょっとして後ずさった。


「うわっ、サニー。何帰って来てるの」

「何って……まあその、いつまで経っても爆発しなくて」

「爆発しないもなにも……。さては、お前不発ダッドしたな!?」


 唾を飛ばす勢いで兄は言い放った。


「まったく期待外れだよサニー。オルキスの奴は、用意したのとお前を間違えて連れて行ってしまうし。俺が何したって言うんだろーねー。ああ、厄日だ」

「間違えた?」

「駅を爆破するのはお前の役目じゃなかったの! ま、もういいか。俺はちょっと別件のトラブルで足が付いたから逃げる。みんなが帰って来たらヨロシクね。んじゃ。アディオス!」

「ま、待って!」


 横をすり抜けようとする兄に手を伸ばすと、クラウドは乱暴に振り払った。


「触るな、間抜け野郎ブービーマン! お前みたいな役立たずの恩知らずは知らん。俺の前から消えろ」


 兄の声がガラスの剣のようにサニーを突き刺し、瞬時に砕けて内側からズタズタに引き裂いた。自分を見るクラウドの顔は、奈落のような失望だ。

 お前には期待していたのに。盛大に爆発して何もかも木っ端微塵に吹き飛ばしてくれるものと。蛍火の眼光が、眼鏡の向こうからそう言っているような気がした。

 自分は炸裂してしまうべきだったのかもしれない。だが。


──ほら、構わないからここで横になっちゃいなさい。家の人に連絡する?


 そんなはずない。これで良かったのだ、少なくとも親切な女性を死なせずに済んだ。この五年間でたった一人、自分は誰かを助けることが出来た。もうそれでいい。


「分かったよ、兄さん。触らないし、追いかけない。もう近づかない」

「よし。そのままもう、そこを動くな」

「でも最後に訊かせて。キャスはどうしたの?」

「その前に俺の質問だ。どうして殺しに来た?」

「キャスを助けたくて」


 咄嗟に嘘をついてしまった。半分は本当だったが、残りの半分は口にしない。


「おおっ、んにゃろ、こんチクショウめ」


 にわかにクラウドは靴箱を蹴った。木製の扉が大仰に軋む。


「とっとと解体されてしまえ不発弾。俺はお前と同じ墓にも入らないよ」


 もう兄でも弟でもない。──それはそういう宣告だ。サニーはぺたんと腰を降ろした。膝を抱え虚ろな視線で、出て行く兄を見送る。

 玄関のドアが明るい声で「いってらっしゃい!」と声をかけた。空気を読まない家電AIめ。今更、サニーは残りのテロ屋たちを探す気にもなれなかった。

 自分は地獄への道連れも作れなさそうだ。爆発できないと思うと、サニーの頭は引き絞られるように痛んだ。どうやら炸裂欲求が、不発したことを悟って嘆いているらしい。この脳に宿る信管はなんて厄介なんだろう。

 サニーは頭痛を堪えながら、ごろりと玄関先に寝転がった。エンジン音がして、兄が車で去っていくのが分かる。

 ほどなくしてそれも消え、完全な静寂がサニーを包んだ。

 自分の人生は中々どん底だと思っていたが、この上まだ突き落とされるとは恐れ入った。兄はテロ屋になって、自分は爆弾に改造されて、でも不発してしまって。


(殺して、殺されて……一体どこから間違えちゃったんだろう)


 あんなに仲の良い兄弟だったはずなのに。

 とはいえ後妻の子であるサニーは、兄とは腹違いだ。半分だけ血が繋がっていない。けれどそれが間違いの元ではないだろう。

 小さすぎて両親の思い出など何もないが、幼い頃は親を恋しがって泣く夜もあった。そんな時、傍らにいて慰めてくれたのはいつだって兄だ。

 あの頃は、兄に手を引かれて散歩に行くのが好きだった。

 ブロード街には年季の入った建物が多く、伝統的な様式の物から、増改築を繰り返して奇抜な形になった物まで揃い、それらが一種独特の雰囲気を醸し出している。

 そういう所が散歩道に評判で、週末ともなると意外に人通りは多かった。

 それを当て込んでか露店の出る路地もあり、兄は時々そこで小物を買ってくれたりもしたものだ。大したことのない安物のオモチャばかりだったが、兄が買ってくれたということ、一緒に散歩したという思い出こそが大事だった。

 また遠くで時計塔の鐘が鳴り、回想に耽るサニーを現実に引き戻す。気がつけば、もう外が暗い。いつの間にか市の消灯時間になっていた。


──死んじゃえばいいのよ。


 機械鐘の音色に、キャスリーンの声が重なる。

 彼女の言葉を思い起こして、サニーは自身の拳を見つめた。人を殴れもしないパンチ。自分は何を殴りたくて、サンドバッグを叩き続けたのだろう?

 忘れもしない、ガエタノ・バッセルのデビュー戦。

 彼は華麗な右ストレートで対戦相手をノックアウトした。それに少しでも近づきたくて、サンドバッグをもらってきたものだ。

 そして確かめたかった、自分が信じ憧れてきたものを。自慢の兄を。憧れのボクサーを。兄とジムの見学に行ったあの頃、普通に学校へ行って、ジムに通わせてもらう別の未来があったかもしれないあの頃を。

 そう、全ては「こんなはずじゃなかった」。

 もっと別の道があったはずなのに、実際はまったくどん底で。自分が殴り続けてきた物は、サンドバッグではなく、堕落した兄の影だと思っていた。

 だからサニーは骨肉の命を断じたのだ。死んでしまえばいいと。いつから、何がどこから間違っていたのかは分からない。だが、自分の行いは間違っていた。


「兄さん、ごめんね」


 自分は道を誤ったのだと、サニーはきっぱり己に宣言した。兄が好きだった。兄が憎かった。だが殺そうとするべきではなかった。


「ごめんなさい」


 許して欲しいとは思わない。

 だが、サニーはそれを口にせずにはいられなかった。そうすれば僅かでも気が晴れるかと思ったが、却って自分自身の罪を自覚させられる。

 今や爆弾となった身の上も、どうでも良い。

 自分がサンドバッグにしていた物は、弱いサニー自身だ。

 法にも道徳にも正義にも従わず、兄に依存しゆるやかに堕ち続けていた愚かな子。手の施しようもないほどの。


「キャス、ごめんね」


 他にキャスリーンを助ける方法があったのか、それとも助けようとすること自体が無駄だったのか、判断はつかない。だが、彼女は自分〝たち〟の被害者なのだ。

 呟くサニーに応えるように、玄関の扉に穴が開いた。

 外から撃ち込まれた黒い筒が、ごろんと床に転がる。サニーが慌てて跳び起きると、筒の両端から白煙が噴き出した。


「え、なっ何っ!? 冷た……っ」


 たちまち視界が真っ白な闇に閉ざされ、凄まじい冷気が襲う。あっという間に手足の感覚が消え、髪の毛が音を立てて霜付くのが分かった。

 爆発物という物は、まず冷却してから運び出すのがセオリーなのだ。そして人家や人気の無い所で解体して処理する。

 それに思い当たると共に、サニーの意識は落ちた。

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