§04 天国の扉を閉めろ
あれから何時間経っただろうか。病室に誰かが入ってきたが、サニーは構うことなく床に寝転がっていた。自分はいまや、ただの〝生きて考える爆弾〟なのだ。
もう嫌だ、しばらく何も考えたくない。僕のことなんて死ぬまで放って置いてくれ。ひんやりしたリノリウムの冷たさに任せ、サニーは呆と思考を手放す。
来訪者はそれを許さずに、サニーの首筋を掴むと猫のように持ち上げた。無理やり立たせ、顔を上げさせる。
ドレッドヘアーにサングラスのアフリカ系、知った顔のテロ屋だ。
「オルキスさん」
「やっと起きたと思ったら具合が悪そうじゃねえか。動けるか? んっ? 動けるならとっとと着替えな。そろそろ時間になるからな」
オルキスの口調は心配そうなそれではなく、かすかに苛立ちを含んで急かす物だった。しかし言われてみれば、裸の上に検査着一枚というのも気恥ずかしい。
サニーは素直に着替えることにして、用意された衣服を手に取った。
一歩出てみれば、どこか見覚えのある廊下が薄暗く広がっている。
あまり手入れが行き届いていない印象で、壁のひび割れも放置され、全体的に薄汚れていた。人気も照明もなく、廃墟に侵入したとしか思えない。
「あの……兄は、どうしていますか」
遠慮がちに訊いてみると、幸いオルキスは答えてくれた。
「もう一人の爆弾にかかりきりだったな。しかし──」そこでにやりと笑う。「またこりゃ酷い兄貴を持ったもんだ。まさか実の弟を爆弾にするなんざ、正気の沙汰じゃねいよ」
その通りだ、サニーもまったく同感だった。だがこの期に及んで、兄を悪く言われるのは腹が立つ。そんな自分を救えないバカだと思う。
玄関口まで辿り着いて、サニーはここが近所の廃医院だったことに気付いた。デボルデ・クリニック。小さい頃はよく世話になったものだが、主の老医師も今は亡い。
外は青空に隠された太陽灯が、正午の光を降り注いでいた。
眩しさに目を細めながら、駐車場へ歩いていく。五年ぶりの外出にも、サニーの沈んだ心は高揚を感じなかった。
ホログラムの投影で青い空を作っても、摩天楼の群れに切り取られて空は狭い。ビルとビルの隙間にも、見えるのは他のもっと高い建物ばかりだ。
「ほら、乗りな」
オルキスに一台のセダンを示されて、サニーは躊躇した。
「どこへ行くんですか?」
「野暮な話だぜ、
これからどこかを爆破しに、自分を設置しに行こうということか。それを聞くなりサニーは踵を返し、腕を掴まれ転びかけた。軽々と手首を捻られ、痛みに呻く。
オルキスはサニーの片腕を極めたまま、車体に押しつけた。ややあって、後頭部に固い感触がする。
オルキスから刺すような気配が放射され、それが銃口であると察した。脳裏に何十回となくマッセナの死が瞬き、背筋に怖気が走る。
「ば、爆弾を撃てる訳がない。あなたも死ぬ」
ロシアンルーレットのイメージに喉が引きつりかけながら、サニーは言い放った。
「だろうな。ま、分かってて動ける度胸がてめえにあれば別だが」
言われてサニーは脱力した。オルキスの言う通り、口をきけたのが不思議なぐらい自分は怯えている。頭で分かっていても体が動いてくれない。
オルキスは抵抗を諦めたと見て、サニーを後部座席に放り込んだ。自身も運転席に乗り込み、キーを回す。その時、ドアをロックするのも忘れない。
「まあ聞けよサニー坊や。これからてめえは駅へ行って、一発どかーんと炸裂してくんだ」
「炸裂……!」
それは魔法の言葉だった。瞬間、胸がときめき、甘い興奮がしぶいて全身を満たしていく。体中の細胞が喜んでいた。〝早く早く、爆発したい!〟と。
オルキスは夢見るようなサニーの顔を見て、満足げに笑った。
「ほらな、それが人間爆弾ってやつだ。
車が発進したが、もはや逃げようという考えは消し飛んでいた。
死ぬのは怖い、自分が爆発したらきっと大勢の人が巻き込まれてしまう。それが分かっていてなお、サニーはこの気持ちを抑えることが出来なかった。考えるだけで脳の芯がじんと痺れ、他の何もかもがどうでもよくなっていく。まるで麻薬だった。
「脳幹に形成された
オルキスは運転しながら時折サニーに声をかけ、炸裂欲求を煽り続けることを忘れなかった。これまでもそうやって、爆弾にされた子供らを運んだのかもしれない。
目的地は時計塔のふもと、ド・ジョーン駅だった。
サニーの印象では、市の北端にそびえる時計塔は、塔と言うよりも壁のような建物だ。近づくと視界いっぱいに構造物が広がって、ますますその印象は顕著だった。
時計塔は本来、ド・ジョーン聖堂が建てた物だ。市が空爆のため地下シェルターへ潜った時に壊れてしまい、その後増改築を繰り返してここまで肥大した。
戦前、
おかげで先人たちは生き埋めになることはなかった。今は業者や市の職員が時たま利用する程度で、地上新市街との連絡路は、中間街と呼ばれる上層が担っている。
地上では第二のセンタープロヴィデンスが造られ、そのシンボルとして新しい時計塔も建設された。地下旧市街と地上新市街、双子の時計塔は一体に連結されている。
建物に見とれる暇も与えず、オルキスはサニーを引っ張った。適当に改札をくぐり、しばらくうろついたかと思うと、一番混雑したホームにサニーを置いて去る。
病室で自分の体を探った時は何も見つからなかったが、どこかに起爆装置が付いているはずだった。オルキスは遠隔操作でそのスイッチを入れるのだろう。
周囲の雑踏は、ここに人間爆弾があることなど知らず、サニーの左右を通り過ぎて行く。自分もこの人たちも、あと数分の命なのだ。
それは悲劇なのだけれど、同時に、「何もかも綺麗に終わる」と思ったら妙にスッキリするような気がして、ワクワク楽しくなってきて、今か今かと待ち構えた。
(──いや、そんなのダメじゃないか!)
炸裂欲求に流されかけ、サニーは我に返った。途端に、頭の芯から刺すような痛みが走る。本能を抑えつけられた信管が警告を発しているのだ。
だが、それがかえってサニーの目を覚まさせた。オルキスがいなくなった今がチャンスだ、一刻も早く人混みから離れて、出来るだけ被害を減らさなくてはならない。
そう、被害を。轟く爆風に人々が吹き飛ばされ衝撃波でおててもあんよもおけつもおつむどてっ腹もバラバラになり内臓がブチ撒けられその全てが爆炎に焼き尽くされて何もかもを箒で掃いたようにまっさらにしてくれる素敵な大爆発を──、
(違う、違うんだ、それだけはダメだ!)
破裂するような陶酔の奔流から立ち返り、ハンマーの一撃じみた頭痛を喰らう。視界がレッドアウトし、サニーはその場に崩れ落ちた。頭痛は頸椎や脊髄にまで広がって、体の中心に居座る。まるで焼けた串に貫かれる気分。指先まで激痛に痺れ、動くこともままならない。
(僕は爆発しない、爆発しないぞ)
何かがこみ上げて来て痙攣すると、細胞と細胞が反発し合うような衝撃を生んだ。悲鳴の代わりに少量の胃液が口から迸る。すぐ横を通る誰かが舌打ちし、あるいは嫌悪に満ちた声をあげた。何人かに蹴られたが彼を省みる者はいない。
──ちくしょう、こいつらみんな吹っ飛んでしまえばいいのに。
それはサニーの思考なのか信管の思考なのか。とにかくその瞬間、全身をかつてない震えが射抜いた。息も出来ない苦痛と快楽が一体となってサニーを地獄に叩き落とす。これがもう数秒続けば自分は狂ってしまうだろう。
それで理解した、今こそ炸裂の瞬間なのだ。ここが僕の爆心地。
ロシアンルーレットのアタリを引き当てた。そう悟って、サニーはマッセナと同じ言葉を胸中で呟く。ああ、神さま、神さま、神さま。あらん限りの祈りを込めて。
「ちょっと。どうしたのさ、君」
不意に人の言葉が聞こえた。
少しでも動いたら亀裂が入り、崩壊しそうな体の中で、誰かが自分を案じていると知る。不思議に上げることが出来た視界の先、黒い髪の女性がこちらの顔を覗き込んでいた。
「わ、酷い顔よ。大丈夫? よっぽど苦しかったんだわね」
女性はハンカチを取り出してサニーの顔を拭い始めた。
涙や鼻水や涎や胃液で、たちまちウサギのアップリケが汚れていく。それを申し訳なく思いながら、苦痛の頂点が過ぎ去っていることに気がついた。まだ体は辛かったが、赤かった視界が晴れている。
若い婦人はゆっくりとサニーの身を起こすと、その手にペットボトル入りの茶を持たせた。勧められるままに口をつけると、荒野のように渇いていた喉がたちまち中身を飲み干す。
「ほら、構わないからここで横になっちゃいなさい。家の人に連絡する?」
サニーはのろのろと首を振ると、懸命に口を開いた。
「ありがとう、ございます……。もう、へいきですから」
苦痛の残滓は肌の下に詰め込まれ、砂鉄のように淀んでいる。体の節々はピリピリとした痺れを発していたが、サニーは無理やり己を立ち上がらせた。次の瞬間にも爆発するかもしれない身、早く人気のない所へ行かなくてはならない。
「これから、じぶんで、おいしゃさんに行き、ますから……」
「一人でいいの? 途中まででよければ、私も付き添うのよさ」
「大じょうぶです、ほんとうに、だい丈夫です」
せめて、この綺麗な人だけは殺してはいけない。彼女に、あなたは命の恩人ですと告げることもままならない内に、サニーはよろよろとホームを出た。
果たして起爆スイッチは押されたのだろうか。
時間と共にサニーの体調は急速に回復していった。最初は壁に手をつきながらだったが、十分もすると先ほどまでの苦悶が嘘のように消えて無くなっている。
首を捻りながら、サニーは駅構内を走り抜けた。人混みの中を行くのはぞっとするが、時間をかけていれば、どのみちその場で炸裂してしまうのだ。
オルキスの車は既に無かった。あの男を追うのは即座に諦めて、サニーは人通りが少ない道を探して歩く。とにかく家に帰ろうと思った。
背後で時計塔の鐘が鳴る。それは故障が直った訳ではなく、不規則に動いているようだ。その音に、否応なくマッセナと、その死を笑うクラウドを思い出した。
どうせ炸裂してしまうなら、いっそテロリストどもを道連れにしてやる。ここからだと、廃医院より自宅のほうが近い。兄が医院から帰宅していることを期待しよう。
徒歩では時間がかかるが、交通機関を使うのは拙い。道中で炸裂してしまうかもしれないが、このまま一目、兄に会うこともなく死んでしまうのは耐えられなかった。
「なら、よし。待っていろよ、兄さん」
もう自分が死ぬことは了承済みだ。残り僅かな時間を有効に使うしかない。
もちろんこの世に未練がない訳ではなかった。次のガエタノの試合も観たかったし、キャスリーンも心配だ。彼女は爆弾になって幸せだったのだろうか?
もしかして、後悔して泣いていないだろうか?
それを知るためにも、サニーは家に向かって歩き出した。
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