§03 生まれ変われ(リサイクル)

 夜――この地下市街が存在する、ジオフロント内の消灯時間。血と硝煙の臭いが残るリビングでも、テロ屋の男たちは気にせず食事をとるようだ。きっと慣れているのだろう。そんな人種と同じ空間にいるなんて息が詰まりそうだった。

 サニーは早々に食堂を辞して兄の夕食を運んだ。クラウドは基本的に自分の部屋で食べる。そこで一日中、機械類や化学実験の道具をいじっているのだ。

 薬剤師の資格と、非合法な医者の技術があるので、それを使って何かしているらしい。他にも、近隣の廃医院をラボとして利用しているようだが。

 サニーは兄に食事を渡しながら、気付かれないよう室内の様子を確認した。雑然として足の踏み場もない部屋は、兄弟が二人で暮していた頃の見る影もない。昔の兄はもっと几帳面で掃除好きだった。

 この男はもう、かつて憧れた人ではないのだ。改めてそう認識し、サニーは物の配置を記憶した。突撃の際に足を取られては適わない。

 深夜、寝静まったキャスリーンを起こさないよう自室を抜け出し、サニーは軽食を用意した。サンドイッチと温かいコーヒーを盆に載せ、その裏にナイフを隠す。

 深呼吸をして、サニーは記憶を手繰った。クルーザー級ボクサー、ガエタノ・バッセルが王座を勝ち取った試合を脳内で再生する。せめてもの元気づけだ。

 ガエタノのジムは、グレイス家からそう遠くない。兄に見学へ連れて行ってもらった時から、サニーはずっとファンだった。向こうにも顔を覚えられたぐらいだが、今ではもう忘れられただろう。

 家に閉じ込められるようになるまでは、熱心にジムを覗きに行ったし、ハイスクールに入ったら通わせてもらおうと考えていた。けれど、それももう叶わないだろう。

 この家のセキュリティは兄が一手に担っている。彼を殺したら、キャスリーンを連れて外へ逃げ、警察に駆け込むのだ。

 彼女は自分を恨むかもしれないが、むざむざ爆弾になって命を散らせることはない。自分はその場で自首して、兄を殺したことを一生背負っていく。


「兄さん、起きてる?」


 覚悟を決めて、サニーは兄の部屋をノックした。何ら警戒心を見せることなく、扉は開いて迎え入れる。弟が反抗するなど思ってもいないのだろう。

 作業中らしい兄の眼鏡には、何重ものデータウィンドウが投影されていた。


「夜中まで大変でしょ。これ、夜食」

「なんだ、珍しいなあ」


 その言葉に心臓がびくつく。内心の動揺を堪えながら、兄が椅子から立ち上がり、こちらへ近づくのをじりじりと待った。足元を確認し、走り出すルートを選択。

 サニーは盆をクラウドの顔面に投げつけ、ナイフを手に床を蹴った。突撃の瞬間、ぴったりとタイミングを合わせて腹部に衝撃。完全なカウンターに肺腑が悲鳴を上げる。あえなく這いつくばり、息も出来ないサニーに兄は傲然と声を降らせた。


「怪しまれていないとでも思ったの? 昼間あんなことがあったのに、お前が今更そんな気をきかせるなんてさ。まったく……」


 クラウドはサンドイッチの皿を掴んで、サニーの頭を滅多打ちにし始めた。


「なんだよもう俺がどれだけお前のことを大事に思って今日まで育ててきたと思ってちぇっちぇっえぇちっくしょう俺はなァお前をちゃんと学校に行かせてやりたかったし就職まで面倒とか見てやるつもりだったんだぞまあハイスクールはダメだったがな俺と同じ道に歩むのもいいんじゃないかと最近思ってたりしてそれが何だよくそ──俺を殺そうとしやがったッ!!」


 皿が砕け散り、頭皮から流れ出た血がパンを濡らした。

 まだ戻らない呼吸が更に痛みで乱れ、サニーは四肢を引きつらせる。クラウドは同じようにコーヒーカップをサニーの頭で割ると、手近な工具を握り締めた。


「裏切り者には死を、だ。さよなら、さよなら、ゲームセット!」


 渾身の力で振り降ろされた凶器を受けて、痛みの代わりに眠気がサニーを襲った。ああそうか、ここで寝たら死ぬのだ。そう思ったが恐怖する気力さえない。

 ……ふと、兄が耳元で何事か歌い出した。ぼそぼそとした小声で聞き取りづらい。


――「ハッピーバースデー・サニー」


 どうにか聞き取ったフレーズに、「今日」が何の日だったかを思い出す。日付が変わったのだ。ああ、よりにもよって誕生日に死ぬなんて。

 僕は死ぬ。キャスは爆弾になる。自分の人生は何だったのだろう? それを考えるには、もう血も時間も少なすぎた。

 サニーに残された物は何もない。

 サニーが残せた物も。

 何一つとして。



 目が覚めてから、サニーは眠っていたことに気がついた。それから、天井の色や明かりや、体がベッドに横たえられている感覚を把握する。五感が徐々に意識を浸すようだ。ここは病院だろうか。少なくとも自室ではない。

 テロ屋どもが逮捕されて、倒れていた自分を警察が保護した? だとしたらキャスリーンも爆弾にならずに済んだのだろうか。

 サニーはそんな具合で、前向きに状況を検討した。まだ頭がはっきりしていない所為もある。今までのことは夢だったと思いたいのかもしれない。

 どこからが夢だったかは彼にも分からない。ただそんな甘っちょろい思考を、一発のパーティークラッカーが打ち砕いた。


「ハッピーバースデー・サニー! 人間から爆弾へ、生まれ変わりおめでとう!」


 朗々と響く、底抜けに明るい兄の声。

 紙テープと紙吹雪を呆然と浴びて、サニーはゆっくりと首を巡らせた。傍らには満面の笑みを浮かべたクラウド、ふざけた鼻眼鏡をかけている。


「爆、……弾?」


 サニーはその単語を口にするだけで精いっぱいだった。


「面食らった顔をしているね。今日、お前は〝人間爆弾スーサイドボンバー〟として誕生した訳さ。まさに新生、完成、完璧、俺の自信作。最っ高~だよサニー愛してる!」


 兄は感極まったようにクラッカーと鼻眼鏡を背後へ投げ捨て、弟の頭を抱きしめると額にキスをした。サニーは今耳にした言葉が欠けらも信じられない。

 この自分が、人間爆弾に? それも、よりにもよって兄の手で? 嘘だ。


「っ──嘘だ!」


 悲鳴にも等しい否定の言葉を、兄はニヤニヤ笑いで打ち払った。


「嘘か真か真面目に本気♪ 正真正銘、お前はもう爆弾だよ、サ~ニィ」


 ぐりぐりと弟の頬をつねりひっぱり弄びながら、クラウドはうそぶく。

 自分はどれだけ眠っていたのだろう。さんざん殴られたはずの頭はまったく痛まない。服も、貫頭衣のような物を裸の上から着せられているようだ。


「……キャスは!? あの子も爆弾にしたの?」

「そりゃ当然。そういう約束だったからね。後で会わせてあげるよ。……ああその前に、健康診断とか色々しないといけないなあ。服はそっちのカゴだから着替えときなさい」


 なだめるようにサニーの背中を叩くと、兄は体を離して出て行った。

 まだ訊きたいことがあったが、追いかけようとしてベッドから落ちてしまう。体は重く、空腹だった。

 床に這いつくばったまま、サニーは起き上がろうともしない。兄を殺そうとして、返り討ちにあった時と同じ姿勢だ。

 どうして自分はあの時死んでしまわなかったのだろう。キャスリーンも救えず。ヒトですらなくなり。そして人間爆弾である以上、これからどこかへ人殺しをさせられに行くのだ。それも自分の命と引き換えに。

 これは無理やり参加させられたロシアンルーレットだ。いつ弾丸が発射されるか分からない銃が、サニーのこめかみにぴったり押し当てられている。

 しかも自分が死ぬ時には、確実に他の犠牲が出るのだ。ルーレットとは名ばかりの、助かる道のないイカサマゲーム。


(ねえキャス、君はこんな物になりたかったのかい?)


 兄にこんな仕打ちをされるぐらいなら、あのまま殺されていたほうがマシだった。

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