§02 人間爆弾候補生

 工業から医療まで押し寄せていたオートメーション化の波は、近年家庭にも及んでいて、グレイス邸もそのご多分にもれない。ただし台所だけは別。

 せいぜい皿洗い機があるぐらいで、両親亡き後、他の家事機械を買う余裕はなく。そんな前時代的な台所で夕食の支度を終える頃には、サニーの心は決まっていた。


──兄さんを殺さなきゃ。


 キャスリーンの言葉は、サニーに羞恥と悔恨の奥深い痛みをもたらす。

 けれどそれを受け止めることで、自分は目を逸らし続けた物事について、ようやく考えを巡らせられた。いつまでもこの状況を放置する訳にはいかない、ということ。

 今はまだ拒むことが出来ても、いずれ自分も奴らの犯罪に荷担させられる。

 やがて考えるのをやめて、心から連中の仲間になって、遠からずどこかの銀行で銃撃戦にでも巻き込まれて死ぬのだ。

 そうなってからでは遅い。行動を起こさなくてはならないのだ。

 ああ、それにしても兄がおかしくなり始めたのはいつからだったのか?

 六年前の晩夏、「新しく会社を立ち上げる仲間」だと言って、あのテロ屋どもを家に引き入れた時だろうか? その一年後、サニーに学校へ行くなと言った時から?  いや、実際はもっと前から、兄はイカれてしまっていたのだろう。ただ自分が知らなかっただけで。

 けれど当時十歳のサニーは、兄の言葉を頭から信じていたものだ。兄の客たちは柄が悪く、横柄で暴力的だったが、弟に手を出すことはクラウドが許さなかった。そのことにサニーは安心していたが、男たちの横暴は日に日に増していった。

 テーブルの上に分解された銃や、ガンオイルの染み、怪しげなドラッグや注射器といった諸々が酒瓶と隣り合って並んだ。

 兄を交えた連中の相談には、警察がどうの火力がどうのと物騒な単語が頻出し、夜遅くまで賭け事やよく分からない演説で騒いだ。

 数日泊まって帰るものと思って我慢していたが、一ヶ月経とうが二ヶ月経とうが状況は変わらない。個々の面子は時々入れ替わったが、同じような連中が常に家の中を我が物顔で闊歩していた。唯一、サニーの部屋だけは放って置かれたので、用事を言いつけられない限り、そこから出ないようにするので精いっぱいだったものだ。

 そして半年が過ぎた春、最初の一人が連れて来られた。

 綺麗な黒髪の少女で、キャスリーンと同じぐらいの歳だった。クラウドは仲間の一人がしばらく預かることになった親戚の子だと説明したが、それにしては扱いがおかしかった。

 まともに寝床を与えるでもなくリビングに放置し、ソファでそのまま眠らせ、シャワーやトイレには見張りをつけたのだ。

 クラウドは同じ相手だろうか、何度も長電話を繰り返して、そのやり取りに集中しているようだった。何か変だなとは思ったが、サニーはすっかり自分の部屋に引きこもりがちになってたので、数日して気がつくと少女はいなくなっていた。

 あの頃は何も気にしてはいなかったが、今はそのことが呪わしい。気がついても何も出来なかっただろうが、それにしても自分が愚かだったのは変わらない。

 その少女も誘拐されてきたのだ。兄の電話は身内との交渉だったのだろう。その子は無事に親元に戻されたのか、それとも売られたのか、殺されたのか。

 分からない。分からないから尚更サニーは怖い。

 そして、それは一人では済まなかった。あれから半年に三回から四回は、子供が連れて来られた。一人だけの時もあれば、兄弟なのか三人まとめてだったこともある。

 さすがに「親戚の子を預かっている」のではないとサニーが気付くと、クラウドは弟をも家に閉じ込めることにした。もはや取り繕った言い訳を添えることもしない。そして、サニーには日々の料理の他に、物置の子供たちに食事を運ぶ仕事を与えた。

 見張りがついているので、大して言葉をかわすことも出来ない。何とかあの子たちを助けられないかとは考えたが、手をこまねいているうちに、彼らはすぐ居なくなってしまう。

 だがある時、男たちの一人が棚の上にPDAを置きっぱなしにしているのを見つけて、サニーはそれを手に取った。これぞ千載一遇の好機、神さまの御手だ。


「サニィ~、人の物を盗っちゃダメじゃないか」


 兄は音もなくサニーの背後へ忍び寄っていた。ネクタイが蛇のようにうねってPDAを奪い取る。違法改造のモバイル・タイ、弟の細首に巻き付いた。


「それとも何かな。たった一人の家族を売るとでも?」


 ぎくりと強ばる背筋に追い打ちがかかる。ああそうか、僕が警察に通報したら、兄もいなくなってしまうのだ。けれど、このままじゃいけない。何とかするチャンスだったのに。


「サニー、お前は俺の弟だ。だから他の連中も一応遠慮してくれるんだよ。だがね、仲間を売るような奴は殺さなくちゃならない。お前が豚の餌にされる所なんて見せないでくれよ」


──僕はあいつらの仲間なんかじゃない。

 けれど兄さんは、もうとっくにあいつらの仲間だったんだね。──


 あの時から分かっていたことだ。

 ただ、サニーはそれを認めることが出来なかった。自分の身が可愛かったのもそうだが、何より兄に幻滅したくなくて。だから。


──死んでしまえばいいのよ。


 キャスリーンの言葉は、サニーの思いその物だった。死んでしまえばいい。これ以上兄に罪を重ねて欲しくなかった。とうに手遅れかもしれないけれど。

 兄が好きだった。兄が憎かった。

 ならば殺すしかない。例えそれが悪魔の囁きでも。

 一度そう決めてしまうと、ふくれあがる殺意の禍々しさに、サニー自身おののいた。今まで気付かなかっただけで、本当はずっと思っていたのだろう。

……兄に、死んで欲しいと。

 そして、キャスリーンとクラウドの約束が決定打だった。


 人間爆弾スーサイドボンバー。それは全身の細胞を有爆性タンパク質『ヒューマネックス』に置換され、脳や脊髄など中枢神経系を信管に改造された人間を指す。

 この最悪の兵器は先の軌道戦争(OW)時代、まず動物移植用の生体爆薬として誕生した。そして開発軍閥が戦争で困窮したため、兵士に移植し特攻させたのが始まりである。

 戦後はさすがにどこの軍でも採用されることはなかったが、技術流出を受けてカルト教団やテロリストに使用され続けるようになった。ウェザーヘッドもその一つ。


 それが、キャスリーンが憧れる〝爆弾〟の正体だ。

 これまで誘拐されてきた子供たちとキャスリーンは、最初から扱いが違った。物置ではなくサニーの部屋に閉じ込めて、菓子や服の差し入れまでしたのだ。

 それもこれも、爆弾にするための特別扱いだったという訳か、と腑に落ちた。

 目蓋の裏に、これまで連れて来られた子供たち一人一人を思い描く。自分はあの子たちを見殺しにしてしまった。けれど、もうそんなことはさせない。


(だから、キャスだけでも助けなくちゃ)


 僕は兄さんに報いなくちゃならないんだ。味方になるか、敵になるかどちらかの道で。サニーはそう考えて果物ナイフを握り締めた。

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