第5話
〈リプリー〉に装備された大出力のペネトロスキャナーが、強烈なミューオン・ノイズを潜砂艇の周辺にまき散らしはじめて約一〇分、目と耳を塞がれた潜砂艇は大きくソースをそれ、今や見当違いの方向へ進んでいる。これで石油プラントに被害が及ぶ可能性は、かなり小さくなった。後は敵が捨て鉢になって反撃してくるのを、気長に待つだけだ。〈ジレル〉〈ブリュンヒルデ〉そして〈リプリー〉は、それぞれにまるで半径の異なる同心円を描きつつ、潜砂艇をぴったりとマークしていた。一分、また一分──時間が経つのがひどく遅い。
「あーあ、たまんないなあ、待つのって」単調な旋回の繰り返しに飽きたユッカが、ぶつくさと呟いた。
「特に、血を吸いたくてうずうずしてる誰かさんが、後ろの席にいる時にはね?」ミユが他人事のように言う。
「言えてる。あんたとつき合うのって、サスペンスなのよね」
「もっとサスペンス味わいたい?」
「けっこーです!」
「そう言えばさ、荷揚場で資材の検品やってた若い人、かわゆかったね。おいしそう」
「また! あんたって、そういう視点でしか人を見られないの?」
「堅気の人を襲うのは絶対にやめてよ、ミユ。信用問題よ」シービイの声が割って入った。「内輪なら何やろうと勝手だけどね」
「内輪でも良くないわい!」とアルビレオ。「こないだなんか、あたしが風呂から上がってきたら、バスローブに化けてたのよ」
「うっふふ、あれ面白かったね」
「面白くないっちゅうに! その前は、わざわざあたしのGシートを取っ払って、すり替わってたし、その前は格納庫の電源ケーブル……」
シービイがくすくすと笑う。「まあまあ、あんたは少し血の気が多いんだから、たまに抜かれるのもいいかもよ」
「……そうか、後ろで糸ひいてる奴がいたのか」
「おっと、私語はそこまで。敵さんの速度が鈍ったわ。上がってくるようよ」
「後で決着つけるからね」
アルビレオはそう言うと、ライフルを構え直し、砂がゆっくりと渦を巻いている中心部に狙いを定めた。
砂の表面が大きく静かに盛り上がったかと思うと、潮が退くように二つに割れ、〈サンドヴィラン〉の灰色の船体が姿を現わした。ベンチレーターが笛のような音を立て、蓄積した廃熱を水蒸気の形で放出する。ペニスを連想させる船首が、夕空に向かって高く持ち上がった。長い眠りから目覚めた恐竜だ。首に相当する部分はフレキンブル関節になっており、生物のようにしなやかな動きをする。死と破壊、ただそれだけの目的のために創造された美しいフォルムは、絶望的なまでの非人間性を発散している。
〈ジレル〉のライフルが火を吹いた。キーンという鋭い金属音がして、〈サンドヴィラン〉の表面に筆で刷いたような銀色の疵が残った。
「九〇ミリ強化弾をはじく!?」
アルビレオは目を
〈ジレル〉は後ろ向きにジャンプして、大きな砂丘の蔭に飛びこんだ。三〇ミリ弾が砂丘の頂で激しくはぜる。隙を見て何発か撃ち返したが、まるで効果がない。装甲の表面のポリマー被膜を剥いでいるだけだ。
「その口径じゃ貫通は無理よ」ユッカが口を出す。「複合装甲じゃないんだから、HEAT弾のほうが効果あるんじゃない?」
「るさいっ! 知ったかぶりでごちゃごちゃ言うな!」
「わ、ひどい言い方ーっ。あたし傷ついちゃうな」
「勝手に隅っこで傷ついてろ」
「えーんえーん、アルビがいじめるゥ」
「わーい、ユッカを泣かせた。いっけないんだあ」
「……頭痛いわ」
苦々しげに舌打ちすると、アルビレオはメインスラスターのスロットルを押し出した。力強い爆音とともに、一陣の砂嵐を巻き起こして、〈ジレル〉は滑走しはじめる。腰を低くして、スキーのようなポーズだ。砂丘を盾にして大きく迂回し、敵の背後に回りこもうというのである。
波打つ砂丘の間を巧みに縫って、〈ジレル〉は風のように疾走した。荒れ狂う濁流にも似て、足の下をすさまじい速さでオレンジ色の砂のカーペットがすり抜けてゆく。大地の起伏につれて絶え間なく上下する視野は、ジェットコースターに乗っている気分だ。目まぐるしく飛び過ぎてゆく砂丘の列の合間に、ちらちらと見え隠れする〈サンドヴィラン〉は、なおも執拗に撃って来る。まるで無尽蔵に弾丸があるかのようだ。
うっかり小さな砂丘に乗り上げてしまい、〈ジレル〉の機体が空中に躍り上がった。遮蔽物が無くなり、たちまち三〇ミリ弾の雨に曝される。衝撃が走り、左の主翼が中ほどから折れて吹っ飛んだ。一瞬、バランスが崩れる。
「このっ!」
両胸のバーニヤを吹かせて体勢を立て直すと同時に、素早くホバーをカットし、両脚を砂に踏んばって急制動をかける。その急激な動きを追い切れず、ほんの数秒、対空砲塔が目標を見失ってまごつく。隙を逃がさず、〈ジレル〉は両脇のATMを発射した。髪の毛のように細いグリネフスキー超導体のケーブルが、ネズミ花火のような音を発して宙を走る。二発のミサイルは左右に迂回し、空中に大きなハート型を描いて、〈サンドヴィラン〉の背後から迫った。
しかし、ミサイルは命中の直前に次々と自爆した。潜砂艇の発振している強力な超低周波が、瞬発信管のピエゾ素子を誤動作させたのだ。
〈ジレル〉はすべてのノズルを全開し、横っ飛びにジャンプして、三連装対空砲の射線をかいくぐった。だが、砲塔はどこまでも回転して追って来る。これでは埓があかない。
敵の懐に飛びこむきっかけがつかめず、いたずらに回避運動を繰り返しているところへ、反対方向から〈ブリュンヒルデ〉が接近して公た。地表すれすれに、もうもうと砂埃を舞い上げなから飛び、潜砂艇のカメラ・アイを混乱させる目論見らしいが、あれでは自分のビーム砲も使えまい。〈サンドヴィラン〉はまるで気がついていないかのように、依然として〈ジレル〉に攻撃を集中している。
「それで牽制のつもり!?」
「何これ! 敵まであたしのこと馬鹿にする!」とユッカ。「アルビばっかしひいきにして、このーっ!」
「メカにも人を見る眼はあるってことね」三〇ミリ弾の断続射撃をかわしながら、アルビレオはにんまりとした。
「傷つく! 傷つきの二乗だわっ」
「思春期にはよくあることよ」
「お仕事中よ。私語は慎んで」シービイがぶっきらぼうに言った。「ちゃんと前を見て操縦なさい」
「ゆとりよ、ゆとり」とアルビレオ。
「そ、ゆとりある戦いこそ美しい──」
いきなり、すさまじい紫色の電光が大気を切り裂き、〈ブリュンヒルデ〉のすぐ手前の地表に激突した。砂漠全体が巨大なティンパニと化したかのように、雷鳴が地を震わせて轟き、通信回線が強烈な空電とユッカの悲鳴に塗り潰される。荒れ狂う砂煙の中を突き抜けた〈ブリュンヒルデ〉は、安定を失って激しく尻を振った。高度を取ろうとしたが間に合わず、小さな砂丘の頂にぶち当たり、砂を蹴散らして急角度で上昇する。
「言わんこっちゃない!」とシービイ。「ユッカ、怪我は?」
「へ、平気……ちょっと計器をやられただけよ」
ユッカは一瞬早く攻撃を予知して回避運動を取っていたのだが、ソリトン・ビームは直撃でなくてもダメージを与えるのだ。
多少ふらつきながらも、〈ブリュンヒルデ〉はまっすぐに飛んでいた。青白い無害なグロー放電が、機体表面をちろちろと這い回っている。やたらに頑丈なのが〈ブリュンヒルデ〉の取り柄だ。
「ふえー、びっくりした。人生の終わりかと思った」
「でもさ、良かったじゃない? 無視されてるわけじゃないことが分かって」とミユ。
「あんたは気楽よね、死ぬ心配がないと思って」
「まだやる? それとも帰って寝る?」とアルビレオ。
「ま……まだやれるわいっ」
「よーし、その意気。ほんじゃ、今のやつ、もういっぺんやって」
「へっ?」
「今の牽制、とっても見事だったわよォ」嫌味な笑い方だ。
「お、鬼―っ!」ユッカの声がひきつった。「年下をいたわるって気はないの?」
「嫌ならいいのよ。嫌なら帰って──」
「やりますっ! こうなりゃ何だってやったるんだから!」
〈ブリュンヒルデ〉は急旋回し、再び敵に向かって突進していった。空中高く持ち上がった〈サンドヴィラン〉の船首が、ゆっくりと振り向いた。王者の風格を感じさせる余裕たっぷりな動きは、爬虫類的な外見だけに、ひどく不気味だ。半球状の先端部が左右に割れ、ソリトン砲のビーム収束グリッドが露出する。砲口内部はオレンジ色の励起光に染まっている。
「来るよ!」
「分かってる!」
またもソリトン砲が作動した。超高エネルギーの単一磁極粒子のビームが一直線に大気を貫き、強烈なイオン化現象を惹き起こす。今度は〈ブリュンヒルデ〉もうまく避けた。ビームは小さな砂丘に命中した。砂の原子が数万分の一秒のうちに縮潰して、白熱する高密度の中性子流体の
〈ジレル〉はすかさず残りのミサイルを発射した。今度は〈サンドヴィラン〉の本体ではなく、その手前の地面に落とす。続けざまに爆発が起こり、激しく舞い上がる砂煙が、潜砂艇のカメラ・アイを一時的に盲目にする。
その虚をついて、〈ジレル〉は一文字に突入した。沸き立つ砂煙を一瞬でくぐり抜け、潜砂艇の船首の下、対空砲の死角に潜りこむ。触れようと思えばできる近さだ。船首がぎろりと下を向き、コスモスの花に似たソリトン砲の砲口が、〈ジレル〉のライフルの銃口と向き合った。
アルビレオがトリガーを引くほうが、一瞬早かった。九〇ミリ・
静かになった──対空砲は回転せず、船首も空中で凍てついてる。いっさいの抵抗をやめた〈サンドヴィラン〉は、もはや兵器でも恐竜でもなく、何かのモニュメントのようだった。アルビレオは半開きの砲口からライフルをもぎ取り、ため息をついた。砲口の内部はむごたらしく砲壊され、蛇の舌のような赤い炎が、ちろちろと船首を砥めている。
「……手間かけやがって」
内からこみあげてくる勝利の快感に、アルビレオは思わず口の端を綻ばせた。無論、まだすべてが終わったわけではない。船首を破壊しただけで、動力系や制御系を内蔵した本体部分は無傷なのだ。何か別の武器でとどめを刺す必要があるだろう。だが、抵抗がなくなった今、それはたいして難しい作業ではない……。
モニターの画面がふわりと揺れ、緑色に染まった。空がゆっくりと回転し、大地が傾いてゆく。
「え……?」
何が起こったか分からず、アルビレオはきょとんと眼をしばたたいた。計器盤も緑色だった。数字や針の位置は読めるのたが、その意味が理解できない。不安と混乱の中で、彼女はただ茫然と、大地がせり上がってくるのを眺めていた。
衝撃とともに、前面のモニターが真っ暗になった。狼狽して〈ジレル〉を動かそうとするが、言うことをきかない。指の問からこぼれ落ちる砂のように、知性が急速に失われてゆく。周囲のあらゆるものが意味を喪失し、時間と空間の法則が崩壊した。現実への手がかりとてない混沌とした世界の中で、あわれな彼女はひとりほっちだった。
「アルビ! アルビ! どうしちゃったのよォ! ねえ、アルビーっ!」
誰かの声が耳許でがなりたてていた。だが、今の彼女はそれが自分の名前であることすら分からなかった。先程からひたひたと押し寄せてきていた頭痛が、今やはっきりとした形を取り、頭を万力のようにくわえこんで、強烈な力で絞め上げはじめた。恐怖と激痛の拷問に、彼女は子供のように泣き喚いた。
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